第38話:揚げいもは、全部終わったら
国道5号を北へ走る。
八雲の手前まで来た時、道沿いにあの家が見えてきた。畑の真ん中に、ぽつんと建ってる一軒家。
煙突から、煙が出てなかった。
玄関の前に、雪が小山みたいに盛り上がってる。玄関のドアが半分埋まるくらいの。
「……あの家」
後部座席で、夏子が言いかけた。
「止まらないぞ」
前を見たまま、それだけ言った。
夏子はそれ以上何も言わなかった。小雪も黙って、家が見えなくなるまで窓の外を見てた。
灯油、足りたかな。足りてりゃいいんだけどな。
そう思ったけど、口には出さなかったよ。
長万部から黒松内を抜けて、ニセコの方に入る。
道沿いのリゾートホテルも、ペンションも、みんな洞爺と同じだった。道の入口がブロックとバスで塞がれてて、中は真っ白で、人の気配がない。
「ここも放置なんですね」
「観光客多かったからな。洞爺と一緒だろ」
「……ここにも、繋がれてるんですかね」
夏子がぽつりと言った。小雪が窓の外を見たまま答える。
「かもしれないわね」
誰も確かめようとはしなかった。そういう余裕もないしな。
倶知安を過ぎて、京極に着いた頃には、もう日が暮れかけてた。羊蹄山がでかいシルエットになって、空がオレンジから紫に変わっていく。
「ここの水、うまいんだよ」
湧水の公園の駐車場で車を停めて、ポリタンクを持って降りた。雪の中から、水がこんこんと湧いてる。冬でも凍らないんだよ、ここの水は。
「北海道の人って、水の話好きですよね」
「室蘭の人は特にね」
小雪まで乗っかってきた。
「なんで室蘭限定なんだよ」
「虎杖浜の温泉の時も、地形の時も、あなた一人で楽しそうに喋ってたじゃない」
「……それは否定しないけどさ」
夏子がけらけら笑ってた。
公園の奥の、除雪もされてない空き地に、収納からコンテナハウスを出した。
「最初からこれで良かったじゃないですか!」
夏子が雪を蹴散らしながら文句を言う。
「函館じゃ旅館に泊まりたかったんだろ」
「それはそうですけど!」
小雪は外壁をぐるっと一周して、裏の排水タンクの前で立ち止まった。
「これ、溜まったらどうするの」
「中身だけ収納して、どっか遠くで出す」
「……」
夏子が、じりじり後ずさった。
「その収納、昨日あたしのパンツも入ってましたよね……」
「区画が違うの、区画が」
「区画ってなんですか!」
「あるんだよ、そういうのが!」
たぶんな。ちゃんと考えたことはないけど。
三人で順番に風呂に入って、あったかい部屋で晩飯を食った。レトルトのカレーだけど、湧水で炊いた米がうまいんだわ、これが。
食べ終わって、夏子がスマホを取り出した。春に電話をかける。
呼び出し音が鳴って、鳴って、切れた。
「……だめかぁ」
夏子がスマホを置きかけた、その時だった。
ぶるっと、画面が震えた。
メッセージが一通。春からだ。
夏子が飛びつくみたいに画面を開く。
『生きてます。子どもたちとセーフルームにいます』
「生きてる!」
夏子が叫んだ。小雪が目を閉じて、長く息を吐いてる。
「だろ。あそこ、俺が三日寝ないで作ったんだから」
「得意げな顔しないで」
「するだろ、そりゃ」
言ってる途中で、夏子のスマホがもう一回震えた。
さっきより短い一行だった。
『外に、人がたくさんいます』
夏子の顔から、笑顔がすっと消えた。
人がたくさん、って。ゾンビなのか、人間なのか。それすら書いてない。書く余裕がないのか、どっちか分からないのか。
「……明日の昼には着く」
それだけ言って、部屋の明かりを落とした。
翌朝、中山峠を越えた。
峠の上の売店は、シャッターが下りてた。雪に半分埋まった看板に、揚げいもの写真が色褪せて貼ってある。
「揚げいも、食べたかったなあ……」
夏子が窓に額をくっつけて言った。
「帰りに食おうぜ。全部終わったら」
「約束よ」
小雪が、助手席からこっちを見て言った。
「……おう」
なんで小雪が念を押すんだよ、と思ったけど、悪い気はしなかった。
定山渓を下りて、南区に入る。ここまで来たら、春の工場はもう目と鼻の先だよ。見慣れた景色になってきて、夏子がそわそわし始めた。
ところが、真駒内の手前で、道が止まった。
人で埋まってるんだよ。
駐屯地の前に、何百人も集まってた。プラカードを掲げて、拡声器で何か叫んでる。「政府は責任を取れ」とか「配給を増やせ」とか「軍事拠点化反対」とか、色んなのがごちゃ混ぜになってる。その向こうのゲートの前には自衛隊の車両と、隊員が列になって並んでた。
ゲートの内側に、黒塗りの車が何台も停まってる。
「偉いさんが来てるみたいね」
小雪が言った。
「東京がダメになったから、こっちに政府を移すって話、ネットに出てたわ。副首都構想ってあったでしょう。その視察でしょうね」
「こんな時に来るなよなあ」
小雪は答えずに、駐屯地のゲートをじっと見てた。
「……ここ、私のデスクがあったの」
夏子と一緒に、小雪の方を見た。
「C国絡みで北海道に来てから、ずっとここだったのよ。保全隊はもう内地に引き上げちゃったけど」
小雪が、ほんの少しだけ、懐かしそうに笑った。
「なんだか、帰ってきたみたい」
……そっか。
ここが、小雪のホームだったんだな。
夏子が、前の方を指さした。
「奏介さん、あれ」
デモの人垣の真ん中に、バスが一台、身動きが取れなくなってた。窓に小さい顔がいくつも並んでる。子どもだ。怯えた顔で、外を見てる。
「あれ、大丈夫なんですか」
「……囲まれてるわね」
小雪が眉を寄せた。
バスの周りの人が、だんだん増えてる。拡声器の声も、さっきより荒くなってきてる。
俺は人の海を見渡して、頭を掻いた。
「コイツらいたんじゃ、こっちは通れないなあ。ちょっとアッチ見てくるわ」
「どこ行くの」
「迂回路。裏から回れる道あったはずなんだよ。すぐ戻る。動くなよ」
車を降りて、雪を踏んで歩き出す。
少し行ったところで、ふと振り返った。
助手席の小雪が、窓越しに小さく手を振ってた。
いつもの無表情じゃなかった。湯の川の夜と同じ、ちゃんと笑った顔で。
俺も適当に手を振り返して、路地に入った。




