第36話:閑話 春の決めたこと
奏介さんたちが出て行ってから、一月が終わろうとしています。
私は毎日、奏介さんが作ってくれたランクルで街に出ます。プレートキャリアを着て、腰にグロック、助手席にM4。二ヶ月前の私が見たら、きっと腰を抜かすと思います。
狩るのは、半グレです。
奏介さんが残してくれた武器は、一人じゃ使い切れないくらいあります。「無くなったらまたパクってくりゃいい」って、あの人は笑ってたけど、本当にそうなんだろうなって思います。
最初に拾ったのは、姉妹でした。
南区の廃ビルに居座ってた連中を片付けた時、奥の部屋から出てきたんです。中学生くらいのお姉ちゃんと、小学生くらいの妹。
「もう大丈夫よ」
そう言った私を、お姉ちゃんは睨みつけました。
「何してくれたのよ! あいつらが食べ物くれてたのに! 明日からどうやって食べていけばいいの!」
頭が真っ白になりました。助けたつもりだったのに、って。
でも話を聞いているうちに、分かったんです。この子は、妹に食べさせるために、自分で決めて、あいつらに身体を差し出してた。
私たちは違いました。奪われただけで、何も選べなかった。
この子は選んでたんです。守るもののために。
気づいたら、笑ってました。
「何がおかしいのよ!」
「ごめんね。……あなたみたいな子、私に生き方を教えてくれた人が気に入りそうだなって思って」
それから、手を差し出しました。
「私の所に一緒に来る? 自分で決めなさい」
お姉ちゃんは長いこと私の手を見て、それから妹の顔を見て、黙って私の手を取りました。
お姉ちゃんの名前は楓。妹は若菜っていいます。
それから、少しずつ子どもが増えました。
親とはぐれた子。避難所から逃げてきた子。半グレのところで、楓と同じように暮らしていた子。拾っているうちに、工場には十人くらいの子どもが住むようになっていました。
夜はみんなで鍋を囲むのが決まりです。楓が台所を仕切って、若菜が小さい子たちにお皿を配る。
「春さん、肉ばっかり取らないで」
「取ってないわよ」
「さっきから三回目」
楓はしっかりしてて、私より大人かもしれません。
「ここ、奏介さんが見たら何て言うかな」
鍋をつつきながら、ぽつりと言ってしまいました。
「その人、変な人なんでしょ」
「うん。すごく変な人」
セーフルームを三日寝ないで作った話をしたら、子どもたちはみんな大笑いしてました。
その夜、咳をしている子が三人いました。一番年上の男の子の陽太と、小学四年生の翔、それから楓。
「A型が流行ってるらしいから、今日は早く寝なさい」
「平気だって」
楓はそう言って、また鍋に野菜を足してました。
その時でした。
音じゃありませんでした。胸の奥に、直接響いてくるんです。
キュオオオオオーン。
誰も動けませんでした。箸を持ったまま、みんな固まって。何が起きたのか分からない。ただ、怖い。身体の奥の方が、勝手に震えるんです。
音が消えて、静かになって、私が息を吐いた、その瞬間でした。
陽太が、テーブルを乗り越えて飛びかかってきたんです。
考えるより先に身体が動いてました。小雪さんに叩き込まれた通りに。身をかわして、腰のナイフを抜いて。
気づいたら、陽太のお腹に、ナイフが刺さってました。
「あ……!」
ナイフを離して、駆け寄ろうとしました。何をしたんだろう、私。陽太に。
でも、陽太は床から起き上がって、また私に向かってきたんです。お腹にナイフが刺さったまま。痛がる素振りも、声を上げることもなく。
……痛がってない。
子どもたちの悲鳴が上がりました。
私は唇を噛んで、陽太に袋を被せて、手足を縛りました。あの黄色い袋です。奏介さんが教えてくれた、処理の手順。
裏手まで引きずっていく間、陽太はずっと暴れてました。一緒にご飯を食べてた子なのに。さっきまで、肉を取り合って笑ってた子なのに。
手が震えて、グロックの狙いがなかなか定まりませんでした。
一発で、終わりました。
戻ると、子どもたちが部屋の隅に固まってました。
その真ん中から少し離れて、翔と楓が立ってました。二人とも、真っ青な顔で。
みんな、二人から距離を取ってるんです。咳をしてたのは、陽太と、翔と、楓だったから。
「……私たちも、ああなるんですよね」
楓が言いました。静かな声でした。
私は答えられませんでした。
「裏の小屋、使っていいですか」
楓が翔の手を引いて、自分から歩き出しました。
小屋の中で、翔は泣きじゃくってました。
「やだ、ゾンビになりたくない、やだ、やだぁ」
私は翔を抱きしめて、背中をさすることしかできませんでした。
楓は、泣いてませんでした。
「春さん、スマホ貸してもらえますか」
受け取ったスマホを自分に向けて、楓は小さな声で何か話し始めました。私は聞かないようにしました。聞いちゃいけない気がしたんです。
撮り終えると、楓はスマホを私に返して、頭を下げました。
「若菜を、お願いします。これ、あの子に見せてください」
「……自分で、決めたのね」
楓が、ほんの少しだけ笑いました。
「最初に会った時も、そうだったでしょ」
……そうだった。
この子は、最初からずっとそうだったんです。
私は、グロックを握りました。
夜の工場の裏手に、二つ、銃声が響きました。
気がつくと、私は小屋の前の雪の上に座り込んでいました。銃を握ったまま、声を上げて泣いていました。
奏介さん。
ねえ、奏介さん。
あなたはいつも、こんな気持ちで引き金を引いてたんですか。「自分で決めて死ぬ」って、あなたは言ったけど、決めた人を送る方は、どうすればいいんですか。
誰も答えてくれませんでした。
どれくらいそうしていたのか、分かりません。
ふと顔を上げると、小屋から少し離れた雪の上に、若菜が立っていました。
パジャマの上に上着を羽織っただけの格好で、じっと、こっちを見てるんです。
私は慌てて、袖で顔を拭きました。何度も拭いて、それから笑顔を作って、若菜の前にしゃがみました。
「若菜」
若菜は何も言いません。泣いてもいません。楓と、同じ顔をしてました。
「貴方のお姉ちゃんはね、すごいお姉ちゃんだったわよ」
そう言って、スマホを差し出しました。
再生ボタンを押すと、画面の中で、楓が少し照れくさそうに笑いました。
『若菜。あのね――』
若菜の小さな手が、スマホを両手で包み込みました。
私は、その後ろ姿を抱きしめました。




