第32話:温泉に釣られたら、なんか明かりが点いてるんだけど
伊達の街に入ったら、ゾンビがいた。道端に普通にいた。
でも人間も普通にいるんだよ。
買い物袋を提げたおばさんが、車から降りずに窓越しに店員とやり取りしてて、その十メートル先で、ゾンビが雪に足を取られてもがいてる。誰も気にしてない。
「え、あれ放っといていいんですか」
後ろから夏子が身を乗り出してくる。
「いいんじゃないの。誰も騒いでないし」
「慣れって怖いわね」
小雪が窓の外を見ながら言う。怖いっていうか、たくましいんだろうなあ。道民ってのはそういうとこあるんだよ。
給油所に寄ったら、腕に「自警団」って手書きの腕章を巻いたおっさんが出てきた。
ガソリンは収納に腐るほどあるんだけど、話を聞くには客になるのが一番早いからな。
「札幌から? 遠いとこ、ご苦労さんだね」
「まあ色々あってさ。この辺、ゾンビいるのに落ち着いてるね」
「落ち着いてるっていうか、ルール決めたんだわ。移動は必ず車、家には絶対入れない、あとは俺らで見回って潰す。それだけっしょ」
おっさんが顎で道の先を指す。さっきもがいてたやつに、軽トラから降りた若いのが二人で近寄って、手際よく片付けてる。
「冬になって動きが鈍くなったからさ、だいぶ楽になったよ」
夏子が窓を開けて、首を出した。
「洞爺の方ってどうなってるんですか?」
おっさんの顔が渋くなる。
「あそこは後回しだ。観光客が宿でいっぺんに発症してな。言葉は通じねえ、どこに逃げろって言っても分かんねえで、あっという間だったってよ。今はもう人はいないんでないかな」
「処理はしないの?」
小雪が聞く。
「手が回らんのさ。放っといて、動かなくなってから、溶ける前に片付けるって。道庁のお達しだよ」
礼を言って車に戻る。エンジンをかけた途端、夏子が後ろから肩を叩いてきた。
「奏介さん奏介さん」
「なに」
「人がいないってことは、客室露天の部屋とか、入り放題じゃないですか?」
目がキラキラしてるんだよ、この子。
「ゾンビだらけって言われた直後よ」
「でも動いてないかもしれないじゃないですか。溶ける前に片付けるって、要はもう止まってるってことですよね?」
「お前の頭、温泉しか入ってないのか」
「虎杖浜の温泉、一番喜んでたの奏介さんですよ」
……それは否定できないんだよなあ。あれは良かった。
個人の家の風呂であれだから、ちゃんとした旅館の露天なんてどうなるんだって、正直ちょっと思ったもんな。
「……見に行くだけな。ダメそうなら即引き返す」
「やったー!」
小雪がため息をついて、でも地図を開いてくれた。
それで洞爺に向かったんだけど、道が全部塞がってた。
国道も、裏道も、農道みたいな細い道まで、コンクリートのブロックとバスで綺麗に封鎖してある。人の気配はないけど、ブロックの向こうに監視カメラが付いてるのが見えた。
「……ずいぶん厳重ね」
小雪が眉を寄せる。
「ゾンビを出さないためだろ」
「動かなくなるのを待ってるだけの場所に、カメラまで付ける?」
「予算余ってんじゃないの」
適当に言ったけど、小雪は納得してない顔をしてた。まあ、俺もちょっと引っかかってはいたんだよ。放置してる場所にしては、手が込みすぎてるなあって。
「で、どうするんですか。諦めます?」
夏子がしょんぼりしてる。ここまで来て帰るのもなあ。
「夜に歩いて越えりゃいいだろ」
収納から米軍の冬季装備を三人分出す。白い迷彩のパーカーに、中綿のズボン、ブーツ。あとかんじきとスキーも人数分な。
「なんでそんなのまであるんですか」
「米軍基地から全部貰ってきたからな」
「全部って言いましたね今」
言ったよ。
で、夜。
雪の山の中を、ヘッドランプを赤に落として歩いてる。
俺は身体強化があるから平気だし、小雪は元自衛官で、雪中行軍なんか慣れたもんらしい。スキーで淡々と進んでいく。問題は夏子なんだよなあ。ただの一般人が、かんじきで夜の山を何キロも歩くわけで。
一時間くらい経った頃、後ろから鼻をすする音が聞こえてきた。
「……こんなにつらいなら、温泉なんて言うんじゃなかった……」
泣いてるよ、この子。
「言い出しっぺだろ」
「分かってますよ! 分かってて言ってるんです!」
「ほら、私の足跡を踏んで歩きなさい。雪を踏み固めてあるから、少しは楽になるわ」
小雪がスキーを外して、夏子の前に立った。
「小雪さんが優しい……奏介さんと違って」
「俺だって優しいだろ。荷物持ってやってんだから」
「全部収納じゃないですか」
それはそうだけどさ。
夜明け前に、湖を見下ろす高台に出た。
下の方に洞爺湖が広がってて、真っ暗な中で水面だけがぼんやり光ってる。
「湖、凍ってないですね」
「洞爺湖は冬でも凍らないんだよ。不凍湖っていうの」
「へえ、物知り」
ガキの頃に遠足で来た時に、バスガイドが言ってたんだよ。そういうどうでもいいことだけ覚えてるんだよなあ。
湖のほとりに温泉街。雪に埋もれて、しんと静まり返ってる。
「ほんとに誰もいないんですね……」
夏子がほっとしたような声を出した、その時だった。
「待って」
小雪が夏子の腕を掴んだ。
「あれ、見て」
温泉街の中で、ホテルの窓がいくつか灯ってる。ぽつぽつと、四つか五つ。
「……誰か、いるんですか?」
「ゾンビに明かりは要らないわ。点けてるのは人間よ」
俺は収納から双眼鏡を出して、小雪に渡した。小雪はしばらく黙って覗いてた。長いこと、ずっと。
「……おかしいわね」
「どうした?」
「避難してから、何ヶ月も経ってるのよね。寒くて燃費が良くなってるとしても、ゾンビなんてとっくに体の中の燃料を使い切って、止まってるはずなの。なのに、あそこのは動いてる」
「え、見せてください」
夏子が双眼鏡をひったくった。覗いて、しばらくして、小さく息を呑む音がした。
「……奏介さん、あれ」
双眼鏡を受け取る。一番大きいホテルの、たぶん宴会場だな。広い部屋にゾンビがずらっと並んでて、首と手首を鎖で壁に繋がれてる。ストーブまで焚いてあるんだよ。ご丁寧に。
「寒さで死なないように、屋内に入れてるのね」
小雪が静かに言った。
「誰かが、生かしてる」
三人とも、しばらく何も言わなかった。
夏子が、別の窓を指さす。客室の一つだ。窓の外に、雪をかぶった木の湯船が見える。
「……あそこ、露天風呂付きの部屋なのに」
その部屋の中でも、何かが鎖に繋がれて揺れてた。
温泉でゆっくりするつもりが、なんだかまた、おかしなことになってきたなあ。




