第30話:痛がらないゾンビって、便利な言葉だよなあ
神社の駐車場で一晩明かしたら、フロントガラスがガチガチに凍ってた。小雪が鍋のお湯をかけて氷を剥がしてる横で、夏子が寝袋から顔だけ出す。
「で、今日どうするんですか。また実家の前を通ったりします?」
「通らねえよ。もう決めたの」
「決めたって言うわりに、缶コーヒー三回も温め直してますよね」
「寒いからだよ」
「言い訳が下手ね」
小雪まで乗るなよ。缶を握り直して、俺は話を逸らした。
「拠点ってほど大げさなのはいらないのよ。見晴らしのいい所で、のんびりできりゃ十分なの」
「見晴らしのいい場所なんて、人の多い街じゃどこも埋まってるでしょう」
「だから観光道路よ。あの道沿い、昔は家が並んでたけど、取り壊されて空き地になってる所があるの」
「よく知ってますね」
「ガキの頃に自転車で走り回ったからな」
夏子が寝袋の中で「へえ」とにやにやしてる。言うんじゃなかったなあ。
その前に配給証だ。三日以内に申請しないと食料が出なくなるって、検問の警官が言ってたからな。窓口は市の施設の駐車場に作ってあって、車を停めた途端に夏子が「うわあ」と声を上げた。
「めっちゃ並んでる。あと怒鳴ってる人もいる」
「並ぶのやだな。俺、あそこに一時間立ったら誰か殴る自信あるわ」
「その自信は要らないわ」
小雪が助手席から人混みを眺めてる。その視線の先で、名札に「桜」と書いた若い子が、頭を下げながら走り回ってた。
「あの子、ずっと謝ってるわね。誰にでも同じ声で」
「他の職員はいないんですかね」
「いないんじゃなくて、奥に引っ込んでるのよ。怒鳴られるのが嫌なんでしょう。あの子だけが立たされてる」
「へえ、よく見てるなあ」
「あなたも見てたでしょう。さっきから同じ場所ばっかり」
見てたけどさ。桜の前に七、八人固まってる避難民がいて、「これっぽっちかよ」「隠してんじゃねえのか」と詰め寄ってるんだよ。桜が別の客に呼ばれて背を向けた途端、連中が顔を見合わせて笑うのが見えた。
「あいつら、今ちょっと笑ってたな」
「何か気づいたの?」
「気づいたんじゃなくて、見えたのよ」
「見えてて放っておくのね」
「あいつらが笑ったからって、何かする確証もないのに、口突っ込むほどの事じゃないしなあ。あっちはあっちで忙しそうだし」
「そうね」
小雪が窓の外を見たまま言った。
「まだ、ね」
……その「まだ」はやめてほしいんだよなあ。俺はスマホを出して、市のアプリデータに三人分を入れた。夏子が横から覗き込んで「出たー、便利魔法」と言い、小雪は「便利すぎて気持ち悪いわ」と、一応言っておく、みたいな口調で続けた。
観光道路の空き地は、思ってた通りだった。坂の上で配給場所から遠いから、テントが一つも張られてない。蛇口をひねれば水も出る。
「ここだ」
収納から札幌で買っておいたコンテナハウスを出して、空き地のど真ん中にどんと据えた。
「いつの間に、こんなもの買ってたの」
「備えあれば憂いなしだろ。風呂もトイレも付いてるし、プロパンなら山ほどあるから」
「風呂!」
夏子が真っ先に飛び込んで、すぐに窓から顔を出した。
「奏介さん、見てください! 製鉄所も港も橋も、全部見えます!」
「ああ、いい景色だろ?」
「得意そうな顔してるわよ」
小雪が屋根に上がって双眼鏡を覗いて、しばらくして降りてきた。
「封鎖線の配置がいいわ。指揮を執ってる人が、ちゃんといる」
「じゃあ任せときゃいいな」
俺は風呂を沸かしに行った。ここまでは完璧なんだよなあ。
夕方、離れた家のおばさんが様子を見に来た。
夏子が愛想よく「トラックで持ってきたんですよー」と笑って、お裾分けの野菜まで貰ってくる。
「深入りするなよ、二人とも」
「お隣さんだけですって」
……それが一番心配なんだよ。
数日はのんびり過ぎた。昼寝して、風呂に入って、また昼寝する。こういうのでいいんだよ、こういうので。
小雪が呼び捨てのまま自然に隣へ座ってくるのが、オッサン勘違いしちゃうからほんとにやめてほしい。
やめてほしくもないんだけどさ。
そんな朝、夏子が言い出した。
「奏介さん、あたしたち、もう二ヶ月同じ服ですよ」
「収納に米軍の戦闘服なら山ほどあるぞ」
「普通の服がほしいんです!」
「同感よ」
二人に声を揃えられたら、逆らえないんだよなあ。というわけで街へ出て、夏子の運転で裏通りをゆっくり走る。
「開いてる店ありますかね」
「シャッターばっかりね。閉まってる店の方が多いわ」
「さっき曲がった角の店は?」
「やめなさい、看板が半分落ちてる」
そこまで言った時、路地の奥から悲鳴が聞こえた。
「やめてください!」
聞き覚えのある声だった。
車が止まるより先に、小雪がドアを開けて、足元の木刀を掴んで飛び出してた。速いなあ、この人。
路地の奥では、窓口で桜に絡んでた避難民たちが、七、八人がかりで彼女を引きずってた。
一人が後ろから抱え上げて、口を塞ごうとしてる。
小雪は止まらずに、抱えてた男の膝に木刀を叩き込んだ。
骨の折れる嫌な音がして、男が桜を放り出して崩れ落ちる。
「あーあ」
運転席で、夏子がハンドルに頬杖をついてエンジンをかけたまま呟いた。動じないなあ、この子は。
「奏介さん、行ってあげてください。小雪さん一人で全部やっちゃう前に」
「へいへい」
俺はやれやれと車を降りる。収納から一メートルほどに切ったガードロープを出して、倒れて呻いてる男の折れた足を叩いた。
二度、三度。骨が砕けて千切れて、男は声も出せなくなって、口だけぱくぱくさせてる。
「あー、痛がらないなー、ゾンビだー」
窓が半分下りてて、運転席から夏子の声が飛んできた。
「棒読み下手すぎません?」
「うるさいわ」
そのまま頭に振り下ろしたら、湿った音がして静かになった。
残りの連中が固まってる。桜は壁にへたり込んだまま、口を押さえて俺を見てた。
そこへ制服の警官が三人、足音を立てて路地に駆け込んできた。誰かが呼びに走ったんだろう。
「おい、何をしてる!」
拳銃に手をかけたまま、破れた服の桜を見て踏み出せずにいる。俺は聞こえなかったふりをして、逃げ遅れた三人の足を順番に叩いて回った。
「話さないなー、痛がらないからゾンビだー」
「ぎゃあああ! 痛い! 痛ええええ!」
痛そうだな、めちゃくちゃ。でも聞こえない。
「や、やめなさい!」「待ってください!」
警官と桜が同時に叫んだけど、俺は三人全員の頭を潰した。
静かになった路地で、警官の一人が何か言おうと口を開く。
その前に、小雪が身分証を出した。
「陸上自衛隊です。法にのっとった処理手順でしたよ」
警官が言葉を飲み込む。足を折って痛がらなければゾンビ。
手順だけ見れば、書類の上ではそうなるんだよ。
悲鳴が上がってた件は、置いといてくれ。
桜が、震える声で言った。
「なんで……」
俺は野次馬まで含めて、その場の全員を見回した。面倒くさいけど、言っとかなきゃいけない気がしたんだよ。
「こんな助け合ってる閉鎖された場所でさ、数を頼んで女に手を出す『ゾンビ』を生かす理由ってなんだ? 次はアンタじゃなくて、もっと小さい子を狙ったら、アンタ責任取れるのか? それとも食料と人手使って管理でもしたいのか?」
誰も答えなかった。答えられるわけないよな。
「……まあ、『ゾンビ』だったから関係ないけどな」
ロープを持ったまま車に乗る。夏子がアクセルを踏んで、警官たちの間をすり抜けた。
しばらく走ってから、夏子がぽつりと言った。
「……服、買えてないですよね」
「そうだな」




