第17話:世紀末って、こんなに早く来るもんだっけ
朝、工場に向かう前に喫茶店に寄ってコーヒーを飲む。
カウンターだけの小さい店で、マスターは俺の顔を覚えてる程度には常連になってしまったみたいだな。
「お客さん、いつもの?」
「うん」
ブレンドが出てくるまでの間、マスターがカウンター越しにテレビへ手を向ける。
「昨日の会見、見たかい?」
「見てないな」
嘘だ。見た。
米軍基地に未申請の生物兵器。しかもそれが「今回のパンデミックの発端である可能性」まで政府がぼかしながら認めた、というやつね。
まあ俺は知ってたしなぁ……。
あの声にビビらされた時に、うっすらと言ってたの聞いた気がするんだよ。
「米軍が黙ってたって話でしょ。もう、これ他人事じゃないよねえ」
そう言いながらカップを置いた。「他人事じゃない」かあ。
いや他人事だろと思うが、顔には出さないよ。大人だからね。
「さあ、俺にはどうしようもないもん」
我ながら白々しい返事だと思ったが、マスターは特に気にせず、次のお客さんの相手に戻っていった。
俺はブレンドをすすりながら、「詳細は確認中」「事実関係を精査」しか言わない奴等の映像を横目に見ている。
誰も責任を取る気がないんだろうなあ。
あの「事実関係を精査」って言葉、便利すぎるだろ。
明日も明後日も精査してるんだろうな。定年まで精査しててくれ。
「対応、遅すぎだろ」
独り言は、誰にも聞かれずにコーヒーの湯気に紛れた。
* * *
工場までの道、路肩で難儀してる人影があった。
オバチャンが一人。
足元に転がってるのは、頭にエコバッグくらいの黄色い袋を被せられたゾンビだ。生かして拘束・回収するための、あの規格品な。
袋は被せ終わってる。問題はその先で、手足をワイヤーロックでまとめるところが、どう見ても詰んでる。
そりゃそうだ。
暴れる相手を膝で押さえながら、片手でロックを掛けろってのが無茶なんだよ。
配ったやつ、絶対自分でやったことないだろ。
「……手伝うかい?」
我ながら面倒くさいよなと思いつつ声をかける。
オバチャンは振り返って、あからさまにほっとした顔をした。
「あら、ごめんねえ、助かるわあ」
俺が両腕をまとめて押さえて、オバチャンがワイヤーを回す。
足の方も同じようにやる。慣れてるなこの人、手際がいい。
で、作業してる最中に気づいたんだけど。
……こいつ、垂れ流してるわ。
「うわ」
「ねえ、これが嫌なのよねえ」
オバチャンが心底うんざりした顔で言う。
そうだよなあ。生かしたまま置いとくってことは、そういうことだもんな。
映画のゾンビってこの辺の描写ないよね。ずるいわ。
ワイヤーの反対側を、そばの電柱に回してロックする。
これで回収が来るまで動けない。
「後は市役所に電話しとけば、回収来てくれるからさ」
「なるほどね」
軽トラで運ぶんだと思ってたけど、そりゃそうか。
ゾンビ一人でも相当重いし、しかもこの有様だもんな。
女一人で荷台に積めってのは無理があるわ。よくできてる制度だね。
「最近、こういうの増えたよねえ」
オバチャンが腰を叩きながら話しかけてくる。
愚痴を聞かされる流れだなあと思ったけど、断る理由もないので頷いておいた。
「うちの方も避難民増えてさあ。空き家に勝手に住み着いたりね」
「うわぁ、そりゃイヤだな」
「道警も来てくれないっしょ。人手足りないから、って」
まあ、そうだろうな。
今の道警に、一体一体駆けつけてる余裕なんかないわ。
「それで、うちの町内会がね。誰がやるかって話し合いになったのよ」
「ああ、そういうの決めるんだ」
「決めるも何も、集まった瞬間に決まってたわよ。『若い人にお願いしましょう』って」
オバチャンが、鼻で笑うみたいな息を吐いた。
「言い出したの、七十過ぎのお爺さんだからね。自分は無理だからって、そりゃそうなんだけどさ。
でもね、その若い人だって仕事あるのよ。三十そこらで、子供もいて。
なのに『若いんだからやるべきでしょ』って、みんなでそう言うのよね」
「……へえ」
「私はね、そういうのが嫌なの。人にやらせといて、自分は決めるだけ。
だったら自分でやるわって話でしょ。ねえ」
ああ、だから一人でやってるのか。
体力的にきついのは、さっき見ての通りなんだけどな。
オバチャンは電柱に繋がれたゾンビを見下ろして、「今週はこれで三体目」とぼやいた。
三体目、という数字の軽さに、逆にこの街の日常がどこまで狂ってきているかが透けて見える。
ゴミ出しの回数の話みたいに言うもんな、この人たち。
「あんたも気ぃつけてな。若い男は狙われやすいから」
……狙われる?
ゾンビにってことか? 別に若いも年寄りも関係なさそうだけどな。
まあ、聞き返すのも面倒だから「はいはい」とだけ返しておいた。
* * *
本州の方は、もっと酷いことになっているらしいなあ。
その日の夕方のニュースでは、複数の県境付近で武装集団による衝突が発生、政府が防衛出動を検討している、首都圏で大規模な避難民の移動が始まった、という見出しが淡々と流れていた。
C国方面軍の本格的な行動、という言葉も出てきたが、それがどこまで正確な情報なのか、俺には確かめようがない。
ただ、世紀末というのはこんなに早く来るものなんだな、と場違いな感想だけを思ってやれやれとため息をついた。
もっとこう、じわじわ来るもんだと思ってたわ。
映画でも、大体もう少し前フリあるだろ?
研究所の場面とか、街が静かに壊れてく描写とか。
今回、前フリ無しでいきなり本編なんだよな。
脚本家が急いでるとしか思えん。
* * *
夕方、工場からの帰り道、ススキノを車で通る。
ネオンはまだ点いてるが、通りを歩く人間の目つきが違うわ。
獲物を探してる目と、獲物にされまいと怯えてる目が、同じ通りにある。
なんかイヤーな空気だわ、俺の好きなススキノ返せ。
信号待ちしてる間に、隣の車の窓が割られかけてるのを見た。
運転手が慌てて発進して逃げたけど、青信号を待つ余裕すらない街になったんだな、と妙に冷静なことを考えている。
「まあ、俺には関係ない関係ない……っと」
そう言いながら、俺は拠点へのハンドルを切る。
* * *
夜、レイナちゃんから久しぶりにメッセージが来た。
『最近、店の周りうろつく人増えてて怖い』
短い一文だったが、いつもの絵文字だらけの文面と違って、やけに素っ気なかった。
それだけ余裕がないってことなんだろう。
続けて、もう一通届く。
『店長も気にしてる。お客さんも減っちゃったし』
俺は返信もせず、スマホを置いて目を瞑る。
――知らね。俺は他人事を貫くって決めてんの。
ずっとそう言い聞かせてきただろ?
避難民が来ようが、政府がどうしようが、C国がどうしようが、俺の生活は変わらない。それでいいはずだったんだけどなあ。
そう思ったのに、頭の中で「奏介さん」「おじちゃん」って呼ぶ声が、勝手に再生されるんだよ。
「……なんだかなあ」
こういう時だけ、思い出すんだよなぁ、あの声。
我ながらおかしなもんだと思いながら、ビールに手を伸ばす。
まだ何も起きてない。まだ、様子見でいいはずだ。
窓の外、ススキノのネオンは、いつも通りには見えなかった。
スマホをもう一度手に取る。既読すらつけてなかった画面に、レイナちゃんの文字が並んだまま残ってる。
「……はあ」
深いため息が出た。
分かってる。分かってるんだよ、これがどっちに転ぶかくらい。
俺は缶ビールを飲み干して、立ち上がって言った。
「しゃあねえな」




