第10話:見なかったことにする、というのも才能だと思う
数日経つと、震えはさすがに収まってきた。
とはいえ、完全に元通りってわけでもないな。
時々、何でもないタイミングでぞわっとすることがある。
信号待ちしてる時とか、風呂に入ってる時とかな。
振り返っても誰もいない。あの夜以来、俺はちょっとした臆病者になったらしい。
「……いや、気にしすぎかねえ」
新しく借りたマンションのリビングで、俺はコーヒーを飲みながら独りごちた。
前のマンションは、あの二等陸尉を監禁してた場所だし、組織側の目が向く可能性がある以上、そのままだ。
契約から探されるだろうし、「田荘奏介」が使えないのはちょっと寂しいけど、この世界には俺の事知ってる奴もいないしな。
慎重すぎるくらいでちょうどいいんだよ。
今の俺には、その慎重さを笑う余裕はもう無いわ。
拠点の方は大分賑やかになって来た。
土地を買って、中古のコンテナを何個も並べて、横にプレハブの車庫を建てた。
十メートル四方――高さを変えれば、四十フィートコンテナが十三個くらいは入る計算になる収納に、頂いてきた装備を詰めては、あっちのコンテナ、こっちのコンテナへと移し替えている。
いずれは何カ所かに分けて埋めておくつもりだ
「……いや、あの人からしたらこれくらい鼻くそみたいなもんなんだろうな」
拠点に立って、積み上がった米軍装備を眺めながら思う。
俺にとっては十分すぎるチートだけど、あの存在には、たぶん「まあこの程度は好きにしろ」くらいだったんだろうな。
器を弁えろ、って言われたことを思い出すたびに、背筋がすっと冷たくなるけど。
ジャギがどうとか、そういう軽口はもう出てこないよ。
今の俺は、たぶん前よりちょっとだけ賢くなったね。
命を勘定に入れずに調子に乗ると、痛い目じゃ済まないやつが世の中にはいるって、身体で覚えたから。
とはいえ、生活自体は相変わらず緩い。
ジンギスカンを食い、ビールを飲み、テレビで本州の惨状を眺めながら「大変だねえ」と他人事を貫く。
震えたことと、緩く生きることは、俺の中で両立してるらしい。
人間、というか俺は、案外そういうふうにできてるんだと思う。
宮郷は、聴取室の固い椅子に座っていた。
退院してから三日。傷はまだ完治とは言えないが、動けないほどではない。今日呼ばれたのは、正式な事情聴取のためだった。
向かいに座っているのは、情報保全隊の上官――階級は佐官クラス、宮郷から見れば雲の上の存在だ。
机の上には資料が積まれている。宮郷が搬送された時の状況、現場で確認された遺体、破壊された部屋の写真。
「宮郷二尉。改めて聞く。お前が接触した対象について、覚えている限り詳細に話せ」
上官の声は淡々としているが、有無を言わせない圧がある。
宮郷は、頭の中で言葉を選んだ。
「……対象は、民間人を装っていましたが、明らかに常人離れした身体能力を有していました。銃創を負わせても即座に無力化されました」
「顔は」
「……はっきりとは。乱戦の中で、記憶が曖昧になっています」
嘘だった。
顔は覚えている。はっきりと。
あの、冷静すぎる目も。あの部屋の内装も、声のトーンも、全部。忘れられるはずがない。
あれだけのことをされたのに、忘れられるはずが。
「対象の能力について、何か特異な点は」
「……工作員らしき人物が噛みついてきた際、対象が異常な速さでこれを制圧しました。それ以外は、通常の格闘技術の範囲内と思われます」
これも、嘘だ。あの水浸しにされた感覚、肺に水を入れられた時の窒息感、シャワーで流された後の惨めさ――ああいう能力の話は、一切していない。
宮郷は自分でも、なぜこの嘘をついているのか、うまく説明できなかった。
奏介への恐怖はある。今でも夢に見る。
だが、それとは別の場所で、あの男の判断基準の明確さに、どこか惹かれている自分もいた。
生き延びるために迷わない人間。
宮郷が長年、自衛官として目指しながら、どこかで踏み込めずにいた領域に、あの男は平然と立っていた。
報告すれば、追われるのはあの男だ。 組織にとっては脅威かもしれない。だが、宮郷にとっては――まだ、答えが出ない。
「以上か」 「……はい、以上です」
上官は資料を閉じた。
「分かった。追加で思い出したことがあれば、いつでも報告しろ」
宮郷は敬礼して部屋を出た。
廊下を歩きながら、宮郷は自分の手のひらを見た。震えてはいない。今のところは。
――私は、あの人を裏切ってる側に回ったんだろうか。それとも、守ってる側なんだろうか。
自分でもまだ、その答えは見つからなかった。
一方、そんな聴取が行われてることなど知る由もない俺は、ススキノの新居で、届いたばかりのソファーに寝転んでいた。
「……あの二等陸尉、その後どうなったんだろうな」
ふと、そんなことを口にしてみる。誰に聞かせるでもない独り言。
正直、あの後どうなったか、俺は一度も確認していないし興味もたいしてないんだよね。
どこかに運ばれた、というところまではカメラを見て知ってるんだけど、それ以降は知らない。
追う気もなかった。
厄介事の匂いを嗅いだら即撤退。
俺の判断基準は今も変わっていない。
あの女が今、何を考えて、何を話しているのか
――そんなことを知ったところで、俺の緩い生活には何の得もないしなあ。
知らないままの方が、きっと平和でいられる。
「……ま、いいだろ」
俺はそう言って、テレビのチャンネルを変えた。
本州のニュースはまだ荒れている。北海道は相変わらず平和なもんだ。
見なかったことにする、というのも才能だと思う。
少なくとも俺は、その才能だけは、この世界に来てからずっと発揮し続けている。
その事が、この先どう転ぶのかは、正直わからんなあ…




