第9話:『我の管理下にての不手際』(怖いんですけど……)
寒気の正体は、三秒後に分かった。
視界が一瞬、白く飛ぶ。
気づいたら、車内の空気がやけに重い。
エンジン音も、ラジオの音も、何も聞こえない。
時間が止まったんじゃなくて、俺の周りだけ「別の何か」に塗り替えられた感じだ。
ハンドルを握る指先すら、自分のものじゃないみたいに動かない。
『――我の管理下にての不手際』
声、というより、頭の中に直接叩き込まれる何か。
あの転移の時に出てきた「謎の光」の声とは全然違う。
もっと低くて、もっと重くて、もっと――こっちの存在そのものを値踏みしてくるような圧がある。
あの時の光は、どちらかと言えば事務的で、面倒くさがりで、人間味すらあった。
今のこれは、そういう次元の話じゃない。
「ひ……」
声にならない声が漏れて、ハンドルを握る手が勝手に震えた。
心臓が痛いくらい早鐘を打ってるのに、身体は逆に鉛みたいに重くて、逃げるとか隠れるとか、そういう選択肢がまるで浮かばなかった。
『貴様、己の器も弁えず、好き放題に喰らい込んだようだな』
咎めてはいない、事実を確認するような淡々とした調子だった。
それがかえって心底恐ろしい。
怒鳴られる方が、まだ人間っぽくて救いがある気さえした。
『一度は見逃す。収納は10メートル四方分のの容量。時間は止めてやる。今入っている物は、一度すべて出せ』
反論とか、そういう選択肢が最初から無かった。
頭が「はい」以外の答えを用意してくれない。
何かを言おうとしても、喉の奥で言葉が固まって出てこない。
気づいたら俺は、拠点にしてる山奥の土地に向かって、震える手でハンドルを切っていた。
何キロ走ったのかも、途中で何を考えていたのかも、正直あまり覚えていない。
到着してすぐ、収納を開く。
出てきた。全部出てきた。 さっき頂いたばかりの武器庫の中身、MRAP、JLTV、ハンヴィー三台、更にはフェンスまで、山奥の拠点にぶちまけられていく。井戸付きの土地は、あっという間に米軍払い下げ品の展示場みたいになった。地面には木箱やコンテナが積み重なり、その隙間にMRAPが斜めに突っ込んでいる。
「うわ、置き場ない……」
そんな場違いな感想が漏れるくらいには、状況が飲み込めてなかった。震えは全然収まらない。
制限されたと分かった瞬間、腰から下の感覚がおかしくなる。
生温かい感触が太腿を伝う。
ああ、漏らしたなこれ。。
でも、それを恥じる余裕すらなかった。
ただただ、生きてることに感謝した。
あの圧を前にして、俺はきっと「消される側」にすらなれるくらい格下だったんだと、震えながら理解した。
ジャギがどうとか、そういう軽口が一つも出てこない。
今まで積み上げてきた「厄介事の匂いを嗅いだら即撤退」の判断基準も、あんな存在の前では何の意味もなさない。
「……生きてる。生きてるだけで、儲けもんだわ……」
垂れ流しのまま、俺はしばらく地面にへたり込んでいた。
月明かりに照らされた米軍装備の山が、やけに滑稽に見えた。
一方、北海道内のとある病院――正確には病院だった建物を接収した野戦医療施設で、情報保全隊の二等陸尉、宮郷――は、ゆっくりと瞼を開けた。
「……あ」
声が掠れる。真っ白な天井、消毒液の匂い。
生きてる、という実感がじわじわと遅れてやってくる。
手足の感覚を確かめるように、指先を小さく動かしてみた。
「気がついた? 無理しないで、動かないで」 看護官らしき女性がすぐに寄ってくる。
宮郷は状況を整理しようとして、頭の奥がずきりと痛んだ。
――銃創。複数。急所は外れてる。 ――撃たれる直前の記憶。 ――あの部屋。あの男。
記憶が断片的に蘇る。噛みつこうとしてきた工作員。
信じられない速さで対処していく男。
冷静すぎる目だった、あの目だけは、はっきり覚えている。
「……わたし、は」
言いかけて、口をつぐむ。
奏介の部屋で何があったか。
あの男が何者で、何をしたのか。
それを口にした瞬間、自分の立場がどうなるのか、まだ頭が追いついていない。
組織に報告すれば、あの男は間違いなく追われる立場になる。
だが、報告しなければ、自分が知りつつ黙っていたことになる。
「無理に思い出さなくていい。今はゆっくり休んで」
看護官に頷きながら、宮郷は内心で別のことを考えていた。
あの男を、報告するべきなのか。それとも――。
自分でもまだ分からない感情が、胸の奥でくすぶっている。
恐怖なのか、警戒なのか、それとも別の何かなのか。
天井を見つめながら、暫くその答えを探し続けていた。
不思議なのは、あれだけのことをされて、あの男を思い出す時、真っ先に浮かぶのが「憎い」という感情じゃないことだった。
生き延びるための判断基準が、あまりにも明確な人間。
そう思う自分に、宮郷自身が一番戸惑っている。
誰も、宮郷が何を語るのか、まだ知らない。
そしてそれを知らないまま、奏介は今、山ほどの米軍装備に囲まれて、震えながら地面に座り込んでいた。
数日後。
俺は、装備の後片付けをしていた。
とは言っても、拠点のそばにコンテナ置き場を購入して、中古のコンテナをいくつも並べ、横にプレハブの車庫を立てたものだ。
十メートル四方に縮んだ収納に放り込んでは、拠点の敷地に並べたコンテナに放り込み、MRAP等はコンテナに入れておく。
ススキノに新たに借りたマンションでテレビをつけると、本州の様子が映し出される。
『三沢基地で発生した謎の消失事件について、米軍は現在も詳細を明らかにしていません』
『首都圏を中心に、外出制限を求める声が――』
『食料の買い占めが各地で発生しており――』
画面越しの混乱を眺めながら、俺は冷蔵庫を開けた。
ジンギスカン用の肉も、ビールも、まだたっぷりある。
北海道は元々食料自給率が化け物みたいに高いし、人が減った分、むしろ余ってるまであるな。
それに、あの一件でいくら人が死んでも、山も海もいくらでも「受け皿」がある土地だしな。
都会みたいに、行き場のない死体が路上に積み上がる、なんてことにはなりにくいんだよ。
近所の親父も、コンビニのレジのおばちゃんも、みんな同じような顔でテレビを見て、同じような感想を言う。
「本州、大変そうだねえ」
「うちらは、まあ、なんとかなるっしょ」
その呑気さに、俺は妙な安心感を覚えたわ。
道民の余裕、恐ろしいよ。
とはいえ、あの寒気の正体だけは、忘れられそうにないな。
収納は十立方メートル、時間停止付き。
今のところ、それで十分すぎるくらいだけど――次にまた「調子に乗った」ら、今度は見逃してもらえない気がする。
あの声の圧を思い出すだけで、今も背筋が冷える。
「……次から、気をつけよ」
そう独り言ちて、俺はビールのプルタブを開けた。




