第九部 兄は私の命の恩人
兄といると、毎日のように何かが起きました。
笑ってしまうようなこともあれば、今思えばゾッとする出来事もたくさんあります。
今回は、そんな破天荒だけれど、誰よりも頼りになった兄との思い出を綴ります。
小学生の頃、兄と家の中で相撲をして遊んでいると、勢い余って兄に豪快に投げ飛ばされ、部屋の大きな窓ガラスへと激突してしまった。
お尻からガシャーンとガラスに突っ込み、見事にガラスが突き刺さって身動きが取れなくなってしまった。
パニックになっている私を見るなり、兄はなぜか真顔でこんな妙な持論を語り始めた。
「ガラスは、下手に抜く時に怪我をするから、そのまま外に飛び出せば怪我せんやろ!」
私はそれを聞いて、
「えっ、私をこのままガラスごと外へ突き落すつもり……?」
と、恐怖で内心ブルブルと震えていた。
もちろん、飛んできた母が兄の荒唐無稽な理屈に耳を貸すはずもなく、私を慎重にガラスから引き抜き、血だらけになったお尻に絆創膏を何枚もペタペタと貼って手当てしてくれたのだった。
また、別の日のこと。
台所で母親の手伝いでもしていたのだろう、きゅうりを包丁で切っていた時に、誤って自分の親指をきゅうりごと、爪まで一緒にスパリと切り落としてしまったことがあった。
「痛いよぉ、痛いよぉ……!」と、痛さのあまり台所でわんわん泣きじゃくる私に向かって、兄は一喝した。
「泣くな! 指を切ったら痛いに決まっとるやろ! 泣いたって痛みは無くならん!」
そう怒鳴りつけられた私は、あまりの迫力にビビり、必死で涙を引っ込めて泣くのをやめたものだった。
でも、そんな破天荒で少し理不尽な兄には、今でも心から感謝している忘れられない出来事がある。
昔、家の裏には二階建ての古い小屋があった。その小屋には階段がなく、二階へ上がるためには外からハシゴをかけて上り下りする仕組みになっていた。
ある日、一人でその小屋の二階で遊んでいた私は、帰ろうとハシゴを降りようとした足を踏み外し、バランスを崩して宙ぶらりんになってしまった。
「助けてーーっ!」
必死の思いで大声で叫ぶと、家の中から兄と父親がすごい勢いで飛び出してきて、すぐに駆けつけて私を抱え下ろしてくれた。
あの時、足がブラブラと宙に浮いたまま落ちそうになった恐怖は、今思い出しても背筋が凍る思いがする。
珍理論を平気で語ったり、「泣くな!」と理不尽に怒鳴ったりする兄だったけれど、いざという危ない時には真っ先に飛び出してきて助けてくれる、本当に頼もしい兄でもあった。
あの時ばかりは、兄は私のまぎれもない「命の恩人」だった。
そんな兄だったから、大人になってからも相変わらずハプニングを巻き起こす。
少し抜けたところがあって、ある時「遠く離れた大阪の友達の家に車で行くんだけど、一緒に来るか?」と言われ、私は物見遊山でその車に乗り込んでついて行った。
ところが、せっかく長い時間をかけてようやく友達の家に到着した、まさにその瞬間だった。
「あーーっ! やった! 車の中に鍵を入れたまま、ドアをロックしちまった!」
昭和の時代には、車のインロックなんて、どこでもよくあるお決まりのドジだった。
けれど、よりによってこんな遠く離れた、スペアキーも何もない場所で、よりにもよってなぜこのタイミングでやるかね……!
と、私は助手席の窓から中を覗き込みながら、途方に暮れて不安げな気持ちになったものだった。
無茶苦茶で、おっちょこちょいで、いつも肝を冷やさせられたけれど、どこか憎めない兄。
あの慌ただしくも笑いに満ちた日々は、今でも私の大切な宝物だ。
子どもの頃は、兄に振り回されてばかりでした。
今なら「危ない!」と止めたくなることばかりですが、当時の私には、それが毎日のような日常でした。
無鉄砲で、おっちょこちょいで、時には理不尽。
それでも、いざという時には真っ先に助けてくれる兄がいたから、私は安心してその背中について行けたのかもしれません。
思い返せば、ハラハラした出来事さえ、今では笑って語れる大切な思い出です




