第十部 映画と狂言とスケート場
昭和の学校には、授業だけではない楽しみがたくさんありました。
映画鑑賞や狂言、そして放課後には友達と夢中になって遊んだ思い出。
今振り返ると、どれも懐かしく、思わず笑ってしまう出来事ばかりです。
学校行事や放課後の遊びには、今では考えられないような、クスリと笑えて懐かしい思い出がたくさん詰まっている。
子供の頃は、学校の引率でみんなと一緒に映画を鑑賞する機会があった。
タイトルは思い出せない作品が多いものの、なぜかワンシーンだけがやけに鮮明に頭に残っている映画がほとんどだ。
みんなでスクリーンを真剣に見入っていると、突然パッと画面が暗くなり、慌てて後ろを振り返ると、先生が黒い下敷きのようなもので映写機の光を必死に隠していた。
――今思い返せば、あれは子供に見せるには少し早いラブシーンなどを、先生が慌てて隠したのだろう。
当時は学校の映画といえば、戦争の映画やユダヤ人を描いた映画、あるいは部落差別を扱った映画などが多かったように思う。少し重く、背筋が伸びるような題材が多かったのも昭和の学校行事らしかった。
また、小学校の体育館で「狂言」を鑑賞したこともあった。
演目は「附子」という話だったのをよく覚えている。
和尚さんが留守をする間、小僧さんたちに「そこにあるのは毒の壺だ」と言い聞かせて水飴を食べさせまいとするのだけれど、とんちを利かせた小僧さんたちが結局全部食べてしまうというお話だ。
当時は「なんだかテレビの一休さんみたいなお話だな」と思いながら夢中で見ていた。内容は子ども心に面白く、なぜか今でも忘れられない思い出の一つだ。
小学生の頃には、家から8キロほど離れた場所に遊園地ができた。
そこには野外アイススケート場もあり、子どもたちにとって最高の楽しみの一つだった。
ある日、友達と弟の3人で、「一台の自転車」で行こうという無謀な計画を立てた。
私と友達は、代わりばんこに自転車のペダルを漕ぎ、乗っていない方は自転車の横を走る――そんなスタイルで、なんと8キロも離れたスケート場まで目指したのだ。
ただ、下の弟は、いわゆる「お姉ちゃんの権限」というやつを発動されてしまい、不憫なことに往復すべて一度も自転車に乗せてもらうことはなかった。ずっと走らせられていたのだから、今思えば弟には少し申し訳なかったと思う。
振り返れば、お姉ちゃんというのは意外に弟に対して厳しいもので、小学校1年生になったら面倒を見て学校へ連れて行くという大切な約束も、途中で面倒になって「勝手に行きな!」と途中で放棄して置いていったりしたものだった。
さらに、母親から面倒なお使いを頼まれると、すかさず弟に「行ってきなさい!」と自分の下請けに出してしまい、あとでそれを知った母親からよくこっぴどく怒られていた。
たくましく、そして少しずる賢くもあった子供時代。
大きな空の下、自転車を押し合い走り回ったあの日の冷たい風の感触は、今でも鮮やかに胸のなかを駆け抜けていく。
今では学校行事も時代とともに変わり、子どもたちの遊び方も大きく変わりました。
それでも、映画を見て笑い、狂言に夢中になり、友達と力を合わせて遠くまで遊びに行った思い出は、今でも色あせることがありません。
そして、弟にはずいぶん無理をさせてしまいました。
あの頃は「お姉ちゃんだから」という理由だけで偉そうにしていましたが、今思えば、文句も言わず付き合ってくれた弟には感謝しています。
笑ったり、叱られたり、走り回ったり。
そんな何気ない毎日こそが、私にとってかけがえのない昭和の宝物です。




