第十一部 南沙織が流れていた夏
中学生になると、子どもの頃とは少し違った思い出が増えてきました。
友達との遠出、個性的な先生たち、そして胸がドキドキしたフォークダンス。
今思い返すと、どれも昭和ならではの青春だったように思います。
中学1年生の頃、クラスの女子のほとんどで「20キロ以上離れた川へ泳ぎに行こう!」という一大計画が持ち上がった。
ところが、何人かの友達は親の反対にあってバスで移動することになり、結局私たち数人だけが、トラックがバンバンと行き交う危険な国道を一列になって、ひたすら自転車のペダルを漕ぐことになった。
途中、大きなドライブインがあってそこでみんなでひと休みした。今ではすっかり見かけなくなった懐かしいジュークボックスにコインを入れ、南沙織の「17才」を流す。そのメロディに合わせながら、残りの道のりをみんなで大合唱しながら目的地へと向かったものだ。
目的地に到着した時には、バス組はとっくに到着して楽しそうに泳いでいたけれど、私たちはへとへと。川でさんざん泳いだあと、またあの長い道のりを自転車で疲れ果てながら漕いで帰ったこと――そのすべてが、今でも懐かしく思い出される。
当時の学校には、個性豊かな先生たちがたくさんいた。
担任の先生はチャームポイントの八重歯があったので、陰で「吸血鬼」なんて呼ばれていた。英語の先生は、授業中に自分の胸の前で両手を大きく広げながら「larger(大きい)」と威勢よく言うのが口癖で、あだ名はそのまま「ラージャー」だった。
ほかの先生たちにもきっと面白いあだ名があったはずなのに、なぜか今ではこの2人のことしか思い出せない。
そして、今では絶対に考えられないことだが、当時の中学男子の間では「スカートめくり」という悪質な遊びが流行っていた。
女子のちょっとした隙を見つけてはスカートをめくって、男子たちは大騒ぎではしゃいでいる。
私はそういう男子が許せなくて、掃除用の長いほうきをまるで武器のように持って、よく校内を追いかけ回したものだった。
昔の中学校といえば、行事やレクリエーションでよく「フォークダンス」が行われていた。
音楽に合わせて手を繋ぎ、順番に相手が変わっていくあの時間。
「あの子と次の輪で手が届くかな……」
「あと少し、あと少しで自分のところに来る!」
と、胸をドキドキさせながら待っていると、無情にも曲が変わり、反対方向に回る踊りに変わってしまう。その瞬間、ガクッと大きなショックを受けたことも、甘酸っぱくも懐かしい昭和の思い出だ。
汗をかいて自転車で駆け抜けた国道も、個性的な先生たちの笑顔も、甘酸っぱいフォークダンスの思い出も。
荒削りだったけれど熱気にあふれていたあの時代が、今日も胸のなかを優しく通り過ぎていく。
今なら、「危ないからやめなさい」と言われそうなことも、あの頃は当たり前のように挑戦していました。
学校生活も、今よりずっとにぎやかで、先生も生徒も個性にあふれていたように思います。
フォークダンスで手が触れるだけで胸が高鳴ったあの頃。
そんな小さな出来事さえ、今ではかけがえのない青春の一ページです。
昭和という時代は、少し不器用で、少し荒っぽくて、それでも毎日がキラキラと輝いていました。




