第七部 傷だらけの昭和
昭和の子どもたちは、とにかく外で遊び回っていました。
今では考えられないような危ない遊びも、当時はごく当たり前。
ケガをして泣きながら家へ帰ることも、一度や二度ではありませんでした。
今回は、そんな傷だらけだった子ども時代の思い出です。
子どもの頃、私の周りにはまだ家がそれほど建っていなかった。
春になると、野原一面がピンク色のれんげ草で美しく埋め尽くされたものだった。
私はそのれんげ草を摘み集めて、自分だけの「れんげ草のベッド」を作り、そのふかふかな上に寝転ぶのが大好きでたまらなかった。
一面のれんげ草に囲まれながら、仰向けになって青い空を見上げる。
あれが、私にとって一番の春の楽しみだった。
でも、母親は呆れていたに違いない。
私のスカートも背中も、そしてお尻のあたりまで、れんげ草の緑色の汁で染まってになっていたからだ。
ある日のこと、そのれんげ草畑からの帰り道での出来事だった。
少し離れたところで、三歳くらい年上の男の子たちが、「雪合戦」ならぬ、なんと「石合戦」をして激しく遊んでいた。
私は巻き込まれないようにと、なるべく道の端っこを選んで歩いていた。
その時だった。
ゴツン!
乾いた鈍い音とともに、飛んできた石が私の額にまともに命中した。
瞬間、額から生ぬるいものがツーッと流れ落ちてきた。
慌てて手で触れてみると、指先は真っ赤な血に染まっていた。
私は泣きながら、そのままの足で家へ駆け戻った。
血だらけの顔をした私を見た母は、青ざめて驚いた。
母はすぐに消毒や手当てを済ませると、怒りに満ちた表情でそのまま家を飛び出して行った。
しばらくして戻ってきた母の後ろには、石を投げていた男の子と、そのお母さんが申し訳なさそうに付いてきて、揃って頭を下げて謝りに来た。
子どもの遊びだったとはいえ、今思えば一歩間違えれば大怪我につながる、本当に危ない時代であり、危ない遊びだった。
額に残るかすかな傷に触れるたび、あの春のれんげ草の匂いと、血だらけの私を見て真っ先に飛び出してくれた母の強い背中が、今でも鮮やかに蘇ってくる。
裏山の秘密基地
昔の子どもたちは、今では考えられないことに、普通に小刀を持っていた。
近所の子どもたちだけで裏山へ分け入り、木や竹を切っては、お手製のゴム鉄砲や木の実の鉄砲を作り、夢中になって戦いごっこをして遊んでいた。
今のご時世では到底想像もつかない、野生的な遊びだった。
その日も、みんなで竹を切ってはわいわいと夢中で遊んでいた。
すると突然、
「誰か来た!」
誰かに見つかったと思い込み、私たちは慌ててその場に身をかがめた。
その瞬間だった。
ブスッ!
さきほど切り落としたばかりの、鋭い竹の切り株が、バランスを崩した私のお尻に直撃した。
「いたーーいっ!」
あまりの痛さに大泣きしながら家へ駆け帰ると、母はお尻の傷を見て、
「一体、何しよったとね!」
と言いながらも、テキパキと心配そうに手当てをしてくれた。
痛む患部に絆創膏を貼ってもらい、ようやくホッとひと安心したのを覚えている。
今思えば、小さな子どもが小刀を持って山で駆け回るなんて、本当に危なっかしい時代だった。
でも、あの頃の子どもたちはそれが当たり前で、自分たちで道具を作り、自然の中で知恵を働かせて遊んでいた。
傷だらけになりながら駆け抜けた裏山の秘密基地は、今でも私の胸の奥で、まぶしく輝いている。
今なら、「危ないからやめなさい」と言われる遊びばかりでした。
それでも、私たちは自然の中で思い切り遊び、ケガをしながら少しずつ危険を覚え、たくましく育っていったように思います。
そして、どんなケガをして帰っても、最後には母が待っていてくれました。
叱られながらも手当てをしてもらった、その温もりは、何十年経った今でも忘れることができません。
れんげ草の香りや裏山の景色とともに、母の背中もまた、私の大切な昭和の思い出です。




