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第六部  隣にいた、知らない人

昭和の町には、子どもを見守る「近所の目」がありました。

井戸端会議をしているおばちゃんたちが、子どもの名前も親の名前も知っていて、当たり前のように声をかけてくれる。

そんな懐かしい風景を思い出していたら、不思議な記憶にも出会いました。

昔はよく、あちこちの道端や軒先に腰を下ろし、楽しそうに井戸端会議をしているおばちゃんたちの姿があった。

夏は団扇をあおぎながら、冬は日向ぼっこをしながら、世間話に花を咲かせていた。


どこかへ出かけようと前を通ると、決まってこう声をかけられる。

「あんた、何処さん行くとねーー?」

「今日は学校は休みねー?」


子どもたちの数が圧倒的に多かったあの時代、よそのおばあちゃんや近所の人たちは、皆しっかりと「〇〇さん家の〇〇ちゃん」と見分けてくれていたのだと思う。


今のご時世ではもうすっかり見かけなくなった、あの温かくも賑やかな光景。

――きっと、日々の家事や畑仕事で母親たちが忙しく働き詰めていた分、近所のおばあちゃんたちは、子どもたちを見守る余裕があったのだろう。


「隣にいた、知らない人」


物心ついた頃から、すぐ隣の家には同級生の幼馴染がいた。

毎日のようにその家に遊びに行き、家の間取りなんて隅々まで知り尽くしていた。お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、お兄ちゃんたちも、みんなよく知っている仲だった。


ところが、この年になって当時の昔話をしている時だった。

「子どもの頃、うちのじいちゃんがさ……」

友人がふと言った。

「えっ? じいちゃん?」

私は思わず聞き返した。

「じいちゃんなんか、おった?」

「おったやん、普通に。」

なんでも、当時は元気で畑仕事をしていたらしい。


でも私は、そのおじいさんの姿を一度も見た記憶がない。あんなに毎日のように遊びに行っていた家なのに。その存在すら、まったく知らなかった。


人の記憶というのは、本当に不思議なものだ。

私は本当に、そのおじいさんに一度も会わなかったのだろうか。

それとも、毎日のように顔を合わせていたのに、私の幼い記憶のなかからすっかり抜け落ちて、消えてしまったのだろうか。


今でもその答えは分からないままだ。

けれど、そんな不思議な記憶の隙間さえも、あの昭和という時代の懐かしい風景の一部として、優しく胸のなかに残っている。

今では、近所の人に名前を呼ばれることも、道端で立ち話をする光景も少なくなりました。

でも、あの頃は町全体がひとつの家族のようで、大人たちが自然と子どもたちを見守ってくれていました。

そして、人の記憶は不思議なものです。

覚えていると思っていたことが抜け落ち、忘れていた景色だけが鮮やかによみがえることもあります。

そんな記憶の欠片も含めて、私にとって昭和は、今でも温かな故郷の風景として心の中に生き続けています。

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