第五部 鉄拳が飛んだ昭和の教室
昭和の学校では、今では考えられないようなことが日常でした。
先生のゲンコツや平手打ち、飛んでくるチョーク……。
当時の子どもたちは、それを当たり前のように受け止めながら学校生活を送っていました。
今回は、そんな昭和の学校で実際に体験した、忘れられない思い出を綴ります
昭和の時代、私たちが通った小学校、中学校、そして高校では、悪いことをすると先生のゲンコツやパンチが飛んでくるのが当たり前だった。
クラスには、いつもふざけてばかりいて騒いでいる男の子がいた。
正直なところ、「うるさい子だな」と煙たがっていた。
ところがある日、その子が先生に何発も激しく殴られ、はずみで前歯が飛んでしまったのだ。
血を流すその姿を見た瞬間、それまで嫌いだったはずなのに、可哀想で見ていられなかった。
「お願いだから、もう大人しくして、真面目になって……」
子ども心に、そう祈るように願ったのを今でも覚えている。
今でも忘れられない、痛烈な出来事がある。
あれは小学校6年生、修学旅行のあとのことだった。
先生が教壇に立ち、険しい顔をして言った。
「決められた金額以上のお小遣いを持ってきた者がいます。正直に名乗り出なさい」
教室がざわめき立つ中、数人の生徒が恐る恐る手を挙げた。
先生は彼らを黒板の前に並ばせると、一人ひとりの頬を容赦なく平手で打った。
私はその光景を目の当たりにして、息をのんだ。
「正直に本当のことを言っても、こんなに激しく叩かれるんだ……」
救いのない納得と恐怖が入り混じったその思いだけは、何十年経った今でも鮮明に脳裡に焼き付いている。
中学2年生の授業中のことだった。
卒業式の準備を知らせる放送が校内に流れた。行事の役員だった私は、指示に従って自分の椅子を引きずり、教室を出ようとした。
ガタガタ……。
静かな教室にその音が響いた。すると、それに反応した先生が激高した。
「うるさい! 廊下に立ってろ!」
私は椅子を持ったまま、そのまま廊下に立たされた。
――あれは、学校の放送の指示に従って動いただけだったのに。
今思い返してみても、あれはどう考えても理不尽だったと思う。
当時は授業中に少しでも私語をすると、先生が黒板からチョークを猛烈な勢いで投げつけてくることも珍しくなかった。
ある日、その投げられたチョークが、運悪く私の頭に直撃した。
痛がる私を見て、先生はヘラヘラと笑いながらこう言ったのだ。
「おっ、ごめんごめん。的が外れたわ」
それを聞いて、教室中がどっと笑いに包まれた。
今では教育現場では絶対に考えられないような、荒っぽくも大らかな時代だった。
そして、高校1年生の頃には、こんなこともあった。
移動教室で、初めてパソコン室のような教室へ足を踏み入れた。
いまのような薄型でスマートなパソコンではない。画面は小さく、本体は大きくてずっしりと重そうな機械が、6人ほどが向かい合って座る大きな机の上にズラリと並んでいた。
初めて見る珍しい機械に、私はすっかり舞い上がってしまっていた。
「あっちも見てみよう!」
そう思って勢いよく教室の中を走り出した、その瞬間だった。
足が、床を這うコードに引っかかった。
コードに強く引っ張られた重い機械は、耐えきれずに机から滑り落ち――ガシャーーーン!!
教室中に響き渡るような、ものすごい破壊音が鳴り響いた。
精密機器は、見事に壊れてしまった。
先生にはそりゃあもう、こっぴどく怒られた。私は大きなショックを受け、その場でわんわん泣きじゃくった。
すると、心配した友達が次々に集まってきて、
「大丈夫?」
「気にせんでいいよ」
「ケガはない?」
と、代わる代わる優しく声をかけてくれた。
でも不思議なもので、せっかく泣き止みそうになった頃に、また別の友達が「大丈夫?」と声をかけてくれるたびに、収まりかけていた涙がなぜか一気にあふれ出してしまうのだ。
慰めてもらうたびに、かえって涙が増えていく。
あの日ほど、「人の優しさでこんなにも涙があふれるものなんだ」と実感した日はなかった。
でも、昭和の先生がみんなただ怖かったわけではない。
休日ともなれば、日曜日に担任の先生が子どもたちを山登りへ連ていってくれたり、先生の自宅へクラスみんなで遊びに行ったりした。
厳しさの中にも温かさがある、そんな優しい先生たちとの思い出も、胸のなかにたくさん残っている。
鉄拳が飛び、理不尽に怒られ、チョークが飛んできた昭和の学校。
それは確かに厳しかった。
けれど、その厳しさの裏返しとして、今とは比べものにならないほど、先生と子どもたちの距離が近く、人と人との温度を感じられる時代でもあったのだ。
今では、体罰は決して許されるものではありません。
だからといって、昭和の先生たちを「怖い先生」とひとくくりにすることもできません。
厳しく叱られた思い出と同じくらい、休日に一緒に遊び、笑い合った先生の姿も心に残っています。
時代は変わり、教育の形も大きく変わりました。
それでも、あの頃の学校には、先生も子どもも真正面から向き合っていた、人と人との温かな距離があったように思います。




