第三部 大迷子、転倒、そして電車を止めた日
子どもの頃は、毎日のように何かをやらかしていました。
先生に怒られ、お店のおばさんに怒られ、電車まで止めてしまう始末。
そのたびに青ざめて、泣いて、もう終わりだと思っていたのに、不思議と今では全部が笑い話になっています。
昭和を駆け回った、ちょっぴり危なくて、とびきり懐かしい失敗談。
どうぞ笑いながら読んでいただけたら嬉しいです。
今度は、懐かしくも冷や汗が出るような、子供の頃の失敗談だ。
あれは小学校の低学年の頃、社会科見学で浄水場へ行ったときのことだった。
濁った汚い水が、段階を踏んでだんだんと透明に浄化されていく。その綺麗な水のプールを、クラスのみんなで覗き込んだ、まさにその瞬間だった。
手に握りしめていたマーブルチョコが、ポロリと水面へ落ちたのだ。
「どうしよう! 私のマーブルチョコが綺麗な水に浮いてる……!」
青ざめる私の横へ、先生がすごい勢いで飛んできた。言うまでもなく、その場でこっぴどく怒られた。
別の日のこと。
家の近くに、下から続く長い登り坂のてっぺんに、中学校の正門があった。
低学年だった私と友達は、自転車を押してその坂を登りながら、なぜかこんな無謀なことを企てた。
「二人乗りして、ブレーキをかけずに一気に下ってさ、正面のガラス戸にぶつかるギリギリで急カーブすれば曲がれるはず!」
今思えば正気の沙汰ではないが、その時は面白くて仕方がなかった。
自転車にまたがり、勢いよく坂を下る。風を切って、どんどんスピードが加速していく。
――曲がり切れるはずもなかった。
そのまま坂の向かいのガラス戸へ向かって、ガシャーーーン!!
またしても、文具店のおばさんにこっぴどく怒られた。あまりの恐ろしさに、とても家に帰る気にはなれず、夕方になるまでずっと外でブルブル震えながら時間を潰していた。
すると、母親が心配そうに私を探し出し、こう声をかけてくれたのだ。
「弁償してきたよ。もういいから、帰るよ」
その時の、母親の驚くほど優しい声と表情は、何十年経った今でも忘れられない。
そして、父親にまつわる忘れられない大事件もある。
ある日曜日、朝早くに家の電話が鳴った。夜勤明けの父親からで、「会社に傘を持って来てほしい」という連絡だった。
布団から跳ね起きた私は、すかさず大声で叫んだ。
「私が行く!」
父親の傘をしっかりと掴み、自分も傘をさしながら、意気揚々と父の会社へ向けて歩き出した。
……が、歩いても歩いても、いつまで経っても父親の会社は見当たらない。
どんどん足を前に進めると、いつの間にか見知らぬ会社の門の前に立っていた。困り果てて門のところにいたおじさんに尋ねると、不思議そうな顔でこう聞かれた。
「あんた、一体どこから来たとね?」
私は、父親の会社名か電話番号を答えたのだろう。おじさんに「そこに座って待っていなさい」と言われ、大人しく待っていると、目の前に一台のタクシーが止まった。
中から飛び出してきたのは、父親と姉だった。
車に乗り込むとき、別れ際におじさんがぽつりと言った。
「あんた、4里も歩いて来たんだねぇ!」
タクシーはそのまま警察署へと向かい、そこで父親が「捜索願い」を取り下げた。
家に着いた頃には、すっかり夕ご飯の時間になっていた。
家から歩いて15分ほどの場所にあるはずの会社に行かずに、私は「4里」――なんと約12キロも離れた、まったく知らない町の会社まで、ひたすら歩き続けていたらしい。立派な大迷子だった。
後で聞いた話では、おじさんに電話番号を教えたものの、どうやら間違えていたらしい。
子どもの頃、父が畑へ見回りに行く時のこと。
私は自転車に乗って、父の後ろをついて行っていた。
すると突然、父が言った。
「荷台に乗せて。」
えっ? 私はまだ小学生で、二人乗りなんてしたこともない。ましてや、大人の父を乗せられるはずがない。
ところが父は、何の迷いもなく荷台にひょいと腰掛けた。
「えっ、えっ、えっ!」
そう思った時にはもう走り出していた。道の両側は畑だ。
「落ちたらいかん。」
そう思えば思うほど、自転車は勝手に畑のほうへ近づいていく。そして――父もろとも、二人仲良く畑へ落ちた。
幸い、私は無傷だった。
それから何年か経ち、十六歳になった私は、原付免許を取って五十ccのバイクに乗れるようになった。
ある日、母が畑へ行くという。私は得意げに言った。
「後ろに乗って。送っていく!」
今度こそ大丈夫。そう思って走り出したものの……家のすぐ近くのカーブを曲がり切れず、母を乗せたまま盛大に転倒してしまった。
幸い、この時も私は無傷だった。
母には本当に申し訳ないことをした。
そして――十八歳の時には、なんと電車を止めたことさえある。
寒い冬の日だった。寒さのあまり頭にマフラーをぐるぐる巻きにしていた。昔の踏切は、遮断機のない小高い山のような坂になっていて、私は自転車のペダルを一生懸命に漕ぎ、頂上の線路でふとひと休みした。
すると、なんだか音が聞こえる。
横を見た!
すぐ目の前の電車の窓から、運転士さんと車掌さんの真っ青で必死な顔が並んでこちらを見ているのが見えた。
「やばい! 死ぬっ!」
そう思った瞬間、体は恐怖でバランスを崩し、自転車とともにガタンと線路脇へ転げ落ちた。
私の目の前を、電車が「キキーッ!」と猛烈な音を立てて通り過ぎ、やがてぴたりと止まった。
向こうの方から、血相を変えた運転士さんと車掌さんが降りてきて、こちらへ走ってきた。
――当然のことながら、ものすごく、こっぴどく怒られた。
停まった列車の窓からは、たくさんの乗客たちが身を乗り出してこちらを覗き見ている。恥ずかしさと怖さが一度に押し寄せてきて、私はその場で大泣きをした。
今振り返れば、叱られたことも、大迷子になったことも、人を後ろに乗せて派手にひっくり返ったことも、そして電車を止めて真っ青になったことも、すべてが愛おしいあの頃の思い出だ。
無我夢中で駆け抜けた昭和の毎日が、今日も胸の中で優しく光っている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
書きながら、「こんなこともあったなぁ」と、自分でも何度も笑ってしまいました。
子どもの頃は本気で焦り、本気で泣いていた出来事も、年月が経つと大切な思い出になるものですね。
皆さんにも、「そういえば自分もこんな失敗をしたな」と思い出していただけたなら、とても嬉しいです。
また次の昭和の思い出で、お会いできることを楽しみにしています。




