第二部 昭和の暮らし〜あの頃の家族の風景
古希を迎えた今、ふと思い出すのは、便利とはほど遠かった昭和の暮らしです。
共同風呂、薪風呂、掘りごたつ、外便所、黒い煙を吐く列車――。
今では姿を消した風景の中には、不便だからこそ生まれた温もりがありました。
懐かしいと思う方も、こんな時代があったのかと驚く方も、昭和の空気を一緒に感じていただけたら嬉しいです。
「今の子どもたちに『近所の人と一緒にお風呂へ入っていた』と言っても、きっと信じてもらえないでしょう。」
私が子どもの頃、家にはまだお風呂がなく、近所のみんなが「共同風呂」に通っていました。
赤ちゃんを連れたお母さんが来ると、おばちゃんたちが代わる代わる抱っこをしてくれる。
ガーゼに包んだ米ぬかで体を洗い、髪まで洗う。
湯気の向こうには、笑い声があふれていました。
今思えば、あのお風呂は体を洗う場所というより、ご近所みんなの憩いの場だったのかもしれません。
ところが、各家庭にお風呂ができ始めると、その温かな共同風呂も姿を消していきました。
そして、代わりに子どもたちへ新しい仕事が回ってきたのです。
薪割りと、お風呂焚き。
ところが、その薪割りで、わが家ではとんでもない事件が起きました──。
ある日、兄と弟が外で薪割りをしていた。兄が斧を振りかざし、「弟の頭に寸止めするんだ」なんてふざけていたら――見事に失敗した。
血まみれになった弟!
父親は慌てて病院へと駆け込み、母親は畑から青い顔をして帰ってくると、玄関先で一言こう言い放った。
「なんしよった! 見とかんけんやろ!」
怒鳴りながら、そのまま母親も病院へと走っていった。
「私、何もしてないのに」
とポツリ。
昭和のこたつは、決まって「掘りごたつ」だった。
「危ないから潜っちゃダメ!」と怒られても、子供というのは面白がってどうしても潜ってしまう。
中には、独特の練炭の匂いと明るさがあり、あちこちに大人の足がぶつかる。大人には怒られるけれど、子どもにとっては秘密基地のようで楽しい場所だった。
テレビだって今とは違う。画面にはなぜか布が掛けてあって、番組を見る時だけその布を上にめくる。今の子供たちには絶対に理解できないであろう、不思議なテレビだった。
天井からは、残ったご飯を入れた「ハエ帳(食糧籠)」が紐でぶら下がっていたり、炬燵の上には小さな蚊帳があったりした。
土間続きの家の作りといえば、子どもの頃、少し離れた親戚の家に泊まった時のことも忘れられない。
その家で何よりも怖かったのは、トイレだった。
土間を出て、真っ暗な外を歩いた先にある小さな離れの小屋。薄暗い電球がぼんやりと灯るだけで、足元はひんやりとした土だった。板張りの便器を恐る恐る見下ろすと、下の暗がりから何か得体の知れないものが出てきそうで、胸がドキドキと高鳴った。
手を洗う水も、今の便利な蛇口とはまったく違う。吊るされたバケツのような容器の底から細い管が出ていて、それを下から手のひらで押し上げると、ちょろちょろと少しだけ水が流れてくるという仕組みだった。
「夜に一人では、絶対に行きたくない」
子どもだった私は本気でそう怯えた。そしてその夜を境に、私がその親戚の家へ泊まりに行くことは、二度となかった。
子どもの頃、まだ我が家には車がなかった。
今の軽くて簡単に張れるテントとは違い、当時のテントは分厚い布製で、大きく、ずっしりと重かった。
父は、そのテントに飯盒や鍋などの荷物まで背負い、家族みんなで列車に乗って海水浴場へと向かった。
列車の窓からは、もくもくと黒い煙が流れていくのが見えた。トンネルが近づくと、「窓を閉めなさい!」と母の声。閉めるのが遅れると、煙や煤が車内に入り込み、みんなで顔をしかめた。
真夏の暑さに耐えながら窓を閉め、汗をかきかき目的地へ向かったものだ。
海辺では父がテントを張り、釣ってきた魚を母が手際よくさばく。飯盒で炊いた少し焦げたご飯と、新鮮なお刺身。
今思えば、とても贅沢な食事だった。
その後のことは、あまり覚えていない。
きっと、一日中遊び疲れて眠ってしまったのだろう。
そして父は、重たいテントや荷物に加え、眠ってしまった私まで抱えて帰ってくれたのだと思う。
あれほど重い荷物を背負い、家族を楽しませ、最後は眠った子どもまで抱えて帰る。
親というのは、本当にすごいものだったのだ。
夏の夕暮れには、風鈴売りの声や豆腐屋さんのラッパが町に響き、庭に打ち水をすれば土の匂いがふわりと立ち上る。
あの頃は、それが当たり前の毎日だった。
けれど、昭和の子どもたちの毎日は、のんびりしていただけではありません。
今では考えられないような、とんでもない事件も次々と起きていたのです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
昭和を知っている方には「懐かしい」と笑いながら思い出していただけたら嬉しいです。
そして、昭和を知らない世代の方には、「昔はこんな暮らしだったんだ」と楽しんでいただけたなら、それ以上の喜びはありません。
思い出をたどっていると、「あれもあった」「こんなこともあった」と、次々に記憶がよみがえってきます。
また、懐かしい昭和の思い出を綴っていきたいと思いますので、よろしければ次のお話でもお会いできたら嬉しいです。
ありがとうございました。




