第二十九部 母の圧縮弁当
昭和のお弁当といえば、茶色いおかずが定番でした。
でも、我が家のお弁当で一番すごかったのは、おかずではありません。
母の「圧縮技術」でした。
今思い出しても笑ってしまう、昭和のお弁当のお話です。
うちの母は、料理が苦手だった。
ちょっと大袈裟に言えば、365日ほぼ同じおかずだった。
魚の煮付けと一緒にクタクタになるまで煮込まれた大根や人参などの根菜。鯖だったのか何だったのか、今となっては魚の種類もうまく思い出せない煮魚。
そして、いつもの味噌汁。
我が家の食卓は、毎日がほぼ同じ顔ぶれだった。
それは学校に持っていくお弁当も同じで、中学、高校生の6年間、長期休みを除けば中身はほとんど変わらなかった。
大きなお弁当箱の3分の2は、白ご飯がぎっしりと詰められていて、真ん中には梅干しが入っていた。
おかずといえば、切られていない卵焼きが丸ごと1本。どんとのっかり、そこに魚肉ソーセージと、輪切りのちくわが添えられているだけだった。
たまに学校で友達のお弁当をのぞき見ると、
「へぇ〜、みんないろんな彩りのおかずが入ってるんだ……」
と、子どもながらにひそかに感心していたものだった。
母は最後に蓋を閉めるとき、山盛りご飯を両手でグッと全体重をかけて押し付ける。
その職人技のようなプレッシャーのおかげで、どんなに振り回されようが、お弁当箱は縦にしても斜めにしても中の配置はびくともしない。
お昼になって蓋を開けても、朝詰めた時の形をそのまま完全に維持。
隙間ひとつない、まるで一つの巨大なおにぎりのような固まりになっていた
今でこそSNS映えするような華やかなキャラ弁が全盛期だけれど、我が母のお弁当はその真逆。
「中身が絶対に崩れない」が最優先の、実用性特化型だった。
今思えば、一番印象に残っているのは母の驚異的な「圧縮技術」だった。
あれは、ご飯だけでなく愛情までぎっしり詰め込んだ、昭和最強の圧縮弁当だったのである。
毎日同じようなおかずでも、文句ひとつ言わず作り続けてくれた母。
あのぎっしり詰まったお弁当には、ご飯だけでなく愛情も一緒に詰め込まれていたのだと、今になって思います。
皆さんにも、忘れられないお弁当の思い出はありますか?




