第十六部 小さな命と私の涙
昭和の子どもたちは、「自分で育てる」ということに憧れていました。
犬や猫だけでなく、小鳥や金魚も大切な家族。
初めて自分のお金で買った命は、嬉しくて、可愛くて、ずっと一緒にいたかったものです。
けれど、子どもの優しさだけでは守れない命もありました。
中学生の頃、私はお小遣いをコツコツと貯め続けていた。
今度は竹ではなく市販の貯金箱だったが、ついにそれを思い切ってパカーンと壊した。
中からジャラジャラと出てきたたくさんの10円玉を、一枚一枚ていねいに数えていく時間は、胸がドキドキするほどのワクワクでいっぱいだった。
その貯めたお金をしっかりと握りしめて、私は近くのペット屋さんへと向かった。
何羽もの小さな雛がピヨピヨと寄り添う中から、一羽の愛らしい文鳥を選び、鳥カゴも一緒に買い求めた。
お店のショーケースの上に、貯めた10円玉をずらりと並べ、お店の人に言われた金額を指折り数えながら支払う。
「餌はこうやって、お湯でふやかしてあげるんだよ」
「まだこんなに小さいから、何時間おきにしっかり食べさせてあげなきゃダメだよ」
私は店主の言葉を一言も聞き漏らさないように、真剣な顔で育て方の話を聞いた。
家に帰ると、文鳥の雛は私の手のひらの上で、ピーピーと大きな黄色い口を開けて一生懸命に餌をねだった。
あわを温かいお湯でふやかし、小さなくちばしにそっと入れてやると、細い首をふるわせながら懸命に飲み込む姿が、たまらなく可愛かった。
「私がこの子を、ちゃんと大切に育てるんだ」
胸の中は、責任感と温かい喜びでいっぱいだった。
その夜、寝る前になって私は何を思ったのだろう。
「こんなに小さいのに、鳥カゴの中じゃ一人ぼっちで寒いだろう……」
そう思い込んだ私は、小さな文鳥をそっと布団の中へ連れ込み、自分の傍らに置いて一緒に眠ることにしたのだ。
翌朝、目を覚ました私は、慌てて布団の中を手探りで探した。
――けれど。
そこには、私の寝返りに踏まれてしまい、すっかり冷たくなって動かなくなった文鳥がいた。
頭の中が真っ白になった。
「うそ……、嘘でしょ……?」
名前を呼んで、そっと手のひらに乗せてみても、小さな命は二度と動かなかった。
自分がしてしまったことの取り返しのつなさに気づいた瞬間、涙がとめどなくあふれて止まらなかった。
前夜の温もりと冷たくなった現実のギャップに胸を引き裂かれながら、泣き腫らした赤い目のままで学校へ行ったことだけは、何十年経った今でもはっきりと覚えている。
子どもだった私は、ただ温めてあげたかっただけだった。
ただ、一緒にいたかっただけだった。
けれど、命を育てるということは、ただの優しさや思い込みだけでは守れないこともあるのだと、あの時、幼い私は思い知らされた。
あの日、小さな文鳥が教えてくれた命の重みと、取り返しのつかない悲しみは、大人になった今でも、私の心の奥底にずっと生き続けている。
今でも文鳥を見るたびに、あの小さな雛を思い出します。
「寒かったらかわいそう。」
そんな子どもなりの精一杯の優しさが、悲しい結果になってしまいました。
あの日流した涙と、小さな命の温もりは、何十年経った今でも忘れることができません。
命を育てることの難しさと尊さを、あの文鳥は身をもって教えてくれたのだと思います。




