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ご先祖様、訴状です  作者: Rastarock


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第五件 推し活保存用購入資源滞留事件 正式名称:未使用応援物品過剰購入に伴う未来資源処理負債及び自己史転籍偽装請求事件

さてさて、読者諸兄。


今回、時際裁判所へ呼び出されますのは、藤宮真帆さん。

訴状送達時、三十八歳。

都内で働く、ごく普通の女性であります。


けれども、ごく普通というものほど油断ならないものはありません。

ごく普通に暮らし、ごく普通に悩み、ごく普通に買い、ごく普通に片づける。

その一つ一つが、長い時間の先で、未来人の額に青筋を立てさせることがあるのです。


今回の争点は、推し活。


なんとも明るく、楽しげで、いかにも現代らしい響きであります。

推す。

応援する。

好きな相手を支える。

同じものを愛する仲間たちと、その熱を分かち合う。


まことに結構。

言葉だけ聞けば、実に美しい。


しかしながら、熱はしばしば物になります。

物はしばしば箱に入り、箱はしばしば押し入れへ移り、押し入れはしばしば、本人が見たくない過去の収容所となるのであります。


では、まいりましょう。

好きだったはずのものを、いったい誰が、どこへ片づけたのか。

本件は、その棚卸しでございます。



藤宮真帆は、駅前の生活用品店を出たところだった。


白い壁。

木目の棚。

飾り気の少ない器。

生成りの布。

余白の多い値札。

店内は静かで、どの商品も必要以上にこちらへ迫ってこない。


真帆は白いシャツを手に取り、戻した。

小さなガラスの花瓶を手に取り、戻した。

無地のノートを開き、一ページ目の白さを見て、やはり戻した。


買わなかった。


店を出ると、夕方の光が歩道に伸びていた。

真帆が改札の方へ向かおうとしたところで、黒い鞄を持った男が近づいた。


「藤宮真帆さんですね」


「はい。どちら様ですか」


「時際裁判所送達執行官です」


真帆は眉をひそめた。


「裁判所?」


男は銀色の縁取りがある封筒を差し出した。


「訴状です」


「何の」


「未使用応援物品過剰購入に伴う未来資源処理負債発生の件です」


真帆は封筒を受け取らなかった。


「意味が分かりません」


「応援物品については、法廷で確認されます」


「私、何か買ったんですか」


執行官は一拍置いた。


「はい」


「そんなに?」


「かなり」


真帆は封筒を見た。

やがて、ひったくるように受け取った。


「ふざけてますね」


執行官は表情を変えなかった。


「多くの被告が、最初はそうおっしゃいます」



第一回法廷。


裁判長の前には、銀色の栞が置かれていた。

書記官が事件名を読み上げ、検察官が立ち上がった。


「本件第一訴因は、被告による未使用応援物品の過剰購入が、未来資源処理負債を発生させたというものです」


被告席の真帆は、腕を組んでいた。


「応援物品って言い方からして、もう馬鹿にしてますよね」


裁判長は真帆を見た。


「本法廷は、用語を確認しながら進めます。異議があればその都度述べてください。ただし、発言は順番に」


「分かりました」


真帆の声には、分かっていない者への苛立ちが残っていた。


検察官は資料を開いた。


「証拠甲第一号。アクリルスタンド。対象は歌手兼俳優、八雲律。同一衣装、同一表情、同一構図、計十点です」


法廷中央の展示台に、透明な人型の板が十体並んだ。

黒い衣装。伏せ気味の目。指先を口元に添えたポーズ。


裁判長は資料を確認した。


「十点すべて同一ですか」


「厳密には台座色が二種類あります。また、被告の分類メモでは用途が異なります」


裁判長は真帆を見た。


「藤宮さん。説明できますか」


「できます」


「ではお願いします」


真帆は少し前のめりになった。


「一体目は開封用です。二体目は観賞用。三体目は撮影用。四体目は持ち歩き用」


裁判長はペンを止めた。


「開封用と観賞用は別なのですか」


「別です。開封用は開けるためのものです。観賞用は、きれいな状態で飾るためのものです」


「開けたものを飾るのではなく」


「袋を開ける時点で、もう完全な状態ではなくなるので」


裁判長はしばらく真帆を見た。


「続けてください」


「五体目は保存用。六体目は保存用の予備。七体目は保存状態比較用です」


裁判長は聞き返した。


「保存状態比較用」


「保存用がちゃんと保存できているか不安になるので、比較する対象が必要です」


「保存用を保存できているか確認するために、別の保存対象を用意した」


「そうです」


「八体目は」


「開けたくなった時に見る用です」


裁判長は一瞬、言葉を失った。


「観賞用とは違うのですか」


「違います。観賞用は飾ってあるものです。開けたくなった時に見る用は、保存用を開けたくなった時に見て我慢するものです」


弁護人が横から補足した。


「感情的避雷針に近い用途です」


裁判長は弁護人を見た。


「弁護人」


「はい」


「その説明は、被告に有利なのですか」


弁護人は少しだけ黙った。


「文化的文脈を補足したものです」


裁判長は資料へ目を戻した。


「九体目と十体目は」


検察官が答えた。


「外箱に被告の筆跡で、それぞれ『未来の私へ 開けるな』『未来の私は信用するな』と記載されています」


裁判長は真帆を見た。


「未来の自分に対して、開封禁止を命じたのですか」


真帆は不満そうに口を結んだ。


「そうです」


「未来のあなたを信用していなかった」


「保存用を開ける人間なんて信用できません」


「その未来のあなたとは、現在のあなたですか」


「そういう言い方、ずるくないですか」


裁判長はペンを置いた。


「質問です」


真帆は視線を逸らした。


「……今の私は開けてません」


「なるほど」


裁判長は展示台の十体を見た。


「保存用の最終形態が、未来の自己から保存対象を守るところまで到達している」


真帆が即座に言った。


「大事にしていただけです」


「その点は記録します」


検察官は次の証拠に移った。


「証拠甲第二号。未開封CD、二十六枚。うち二十四枚は封入応募券のみ抜き取り済み。音源再生履歴は確認されていません」


裁判長は確認した。


「音楽作品ですね」


「はい」


「再生されていない」


「はい。被告は同楽曲を配信サービスで聴いていました」


裁判長は真帆に尋ねた。


「では、このCDは何のために購入したのですか」


真帆はすぐ答えた。


「ランキングのためです」


「ランキング」


「売上枚数に入ります。数字が出れば、次の仕事につながるかもしれない。こっちは遊びで買っていたわけじゃありません」


弁護人が補足した。


「当時、売上枚数やランキングは活動継続に関わる重要な指標でした」


裁判長はうなずいた。


「指標に音楽が巻き込まれたわけですね」


真帆が睨んだ。


「巻き込まれたって言い方、嫌です」


裁判長は真帆を見る。


「では、ランキングは被告にとってどのような意味を持ちましたか」


真帆は少しだけ黙った。


「律くんが、まだ必要とされている証拠でした」


「必要とされている証拠」


「順位が出れば、次もあるかもしれない。番組に呼ばれるかもしれない。CDを出してよかったって、運営が思うかもしれない。私の一枚が、その数字の中に入ると思うと、支えた気がしました」


裁判長は記録を見た。


「つまりランキングは、楽曲の評価であると同時に、八雲律の活動継続可能性を示す指標であり、被告自身が支援者であることの確認でもあった」


「そうです」


「すると、指標に音楽が巻き込まれただけでなく、被告自身も指標に巻き込まれていた」


真帆は答えなかった。


検察官は続けた。


「証拠甲第三号。ランダム缶バッジ、計二百十八点」


展示台に丸い缶バッジが並んだ。


「うち八雲律に該当するもの四十一点。その他百七十七点は、被告の分類では『交換要員』とされています」


裁判長が真帆に尋ねた。


「交換要員とは」


「ランダムだから、推し以外も出ます。それを、別の人の推しと交換するために取っておくものです」


「では、百七十七点のうち、実際に交換された数は」


検察官が答えた。


「記録上、五点です」


裁判長は一瞬止まった。


「五点」


「はい。交換募集投稿は二十九件。返信があったものは七件。成立した交換は五件です」


裁判長は真帆を見た。


「残り百七十二点は」


「交換要員のままです」


「要員として待機したまま、任務に就かなかった」


「その言い方は変です」


「実態としては」


真帆は渋々答えた。


「交換できませんでした」


「待機期間は」


検察官が資料を確認する。


「最長で六年二か月です」


裁判長は缶バッジを見た。


「六年二か月、交換される可能性を保持していた」


弁護人が言った。


「界隈では、古いグッズでも交換需要が発生することがあります」


裁判長は弁護人を見た。


「発生しましたか」


弁護人は資料を見た。


「本件では、ほとんど発生していません」


「ほとんどとは」


「五点です」


裁判長は言った。


「交換要員というより、交換待機群ですね」


真帆は唇を曲げた。


「推し以外でも、誰かの推しなんです。捨てられないじゃないですか」


裁判長はその発言を記録させた。


「捨てられない理由が、他者の推しである可能性にあった」


「そうです」


「その可能性は、六年二か月保管された」


真帆は黙った。


検察官は次の証拠を出した。


「証拠甲第四号。痛バッグ一式」


透明窓のついたバッグが投影された。

内部には缶バッジが整列していた。


「付属品として、缶バッジ保護カバー、痛バッグ保護カバー、保護カバー装着後収納用不織布袋、さらに同袋を収める硬質収納箱があります」


裁判長は順に確認した。


「缶バッジを保護するカバー」


「はい」


「缶バッジを装着したバッグを保護するカバー」


「はい」


「そのカバーをかけたバッグを収納する袋」


「はい」


「その袋を収める箱」


「はい」


裁判長は真帆に尋ねた。


「箱に入れた状態でも、それはバッグなのですか」


真帆は明らかに不機嫌そうだった。


「持って行く時は出します」


「箱に入っている間は」


「保管状態です」


「バッグとしての機能は停止している」


「一時的にです」


「では、その状態の痛バッグは、もはやバッグではなく、応援物品群を装着した展示準備済み収納物ではありませんか」


弁護人が言った。


「裁判長、痛バッグは外出時の使用を前提としています」


裁判長は検察官を見た。


「使用実績は」


「購入後三年間で、外出使用は二回です。うち一回は撮影目的で、行き先は被告自宅マンションの共用廊下です」


裁判長は真帆を見た。


「共用廊下へ」


真帆は言い返した。


「外ではあります」


「社会に出たとは言い難い」


「写真を撮ったんです」


「バッグは、主に撮影対象として機能した」


「……そうです」


裁判長は淡々と言った。


「鞄としてより、可搬式展示物としての実態が強い」


真帆は弁護人に向かって小さく言った。


「この人、本当に嫌です」


弁護人は低く答えた。


「裁判長です」


検察官は次の証拠を示した。


「証拠甲第五号。本人不在生誕祭記録映像」


法廷の照明が少し落ちた。

展示台に映像が流れた。


小さなテーブル。

紫色の背景布。

数字のバルーン。

ケーキ。

中央に置かれた八雲律のアクリルスタンド。

その前に、「生まれてきてくれてありがとう」と書かれたボード。


映像内の真帆が、手を合わせて小さく頭を下げた。

その後、誕生日を祝う歌を一人で歌い、ケーキのろうそくを吹き消した。


映像が止まった。


裁判長は真帆に尋ねた。


「この行為は」


「誕生日を祝いました」


「八雲律本人は映像内にいません」


「アクスタがいます」


裁判長は瞬きをした。


「アクリルスタンドが出席者扱いなのですか」


「出席というか、中心です」


「本人ではなく、本人を印刷した樹脂板が中心」


「本人の誕生日なので」


裁判長は少しだけ資料から顔を上げた。


「被祝賀者の不在を、物品によって代替した」


弁護人が言った。


「存在への感謝を空間として可視化したものです」


裁判長は弁護人を見た。


「先ほどから、説明が正確になるほど遠くへ行きますね」


真帆が割って入った。


「馬鹿にするなら、もう見ないでください」


「馬鹿にはしていません。確認しています」


「確認の仕方がひどいです」


裁判長は静かに言った。


「本法廷では、被告の行為を言葉に戻す必要があります。言葉に戻した時に奇妙に見えるなら、それも審理の対象です」


真帆は黙ったが、視線は鋭いままだった。


検察官は証拠目録を閉じた。


「以上の証拠品はいずれも、被告が八雲律を応援する過程で購入、保管したものです。多くは未使用または短時間使用に留まり、最終的に廃棄または実家押し入れへの移送対象となっています。検察側は、これらが原材料、製造、包装、輸送、保管、廃棄の各段階で、未来資源処理負債を発生させたと主張します」


弁護人が立った。


「裁判長。検察側は、物品の外形だけを見ています」


「続けてください」


「被告は、無意味に消費したのではありません。これらの物品は、当時の被告にとって、推しへの応援であり、同じものを愛する者たちとつながる共通語であり、自分の好意を通じる形へ変換するための手段でした」


真帆が小さく言った。


「好意を変換とか言わないでください」


弁護人は咳払いした。


「失礼しました。被告にとって、それは生活を支える形式でした」


裁判長は真帆を見た。


「藤宮さん。あなたにとって、八雲律を推すことは何でしたか」


真帆は一度、強く息を吐いた。


「説明したって、どうせ変な文化扱いするんでしょう」


「説明してください」


真帆は展示台のアクリルスタンドを見た。


「仕事がきつかった時期でした。職場では、ちゃんとしているふりをしていました。帰っても何をすればいいか分からなくて。でも、ライブに行くと、同じ色のペンライトを持っている人がいて、SNSにも同じことで泣いている人がいて」


彼女は裁判長を見た。


「自分だけじゃないと思えたんです」


裁判長は遮らなかった。


「買うことは、好きって言っていい場所に入るための言葉みたいなものでした。人生の一部でした。買わないと、不安になることもありました。でも、買うと、ちゃんと好きでいられる気がしました」


「買うと、ちゃんと好きでいられる気がした」


「はい」


「買わないと」


「好きじゃないみたいで怖かった」


法廷は静かになった。


弁護人が言った。


「裁判長。被告の消費には熱がありました。共同体がありました。本人の生活を支えた事実がありました。未使用物品という一点だけをもって、単なる資源浪費と断じることはできません」


裁判長はしばらく沈黙した。


「本法廷は、現時点において、被告の購入行為を単なる浪費と断ずることには慎重です」


検察官は反論しなかった。


「未使用物品であっても、購入時点において情緒的機能、共同体的機能、自己確認の機能を果たしていた可能性があります。被告の熱狂は、少なくとも被告の人生に一定の意味を持っていたと認められます」


真帆の表情がわずかに緩んだ。


裁判長は銀色の栞に指を置いた。


「ただし」


法廷内の空気が変わった。


「本件物品が、被告の人生史そのものであるならば、本法廷は、その人生史が後年どのように扱われたかを確認する必要があります」


弁護人が顔を上げた。


「裁判長」


「本日はここまでとします。検察側は、被告の購入後の記録、特に当該熱狂が後年どのように扱われたかについて、追加資料を提出してください」


銀色の栞が、事件記録に挟まれた。


第一回法廷は閉じられた。



さてさて、ここで読者諸兄は、ほっと胸をなでおろしたかもしれません。


なるほど、推し活とは、ただの浪費ではなかった。

そこには熱があり、怒りがあり、夜中に通販サイトを開いた指先の震えがありました。

缶バッジも、アクリルスタンドも、本人不在の誕生日会も、外から見れば奇妙であっても、当人にとっては、たしかに一つの言葉だったのであります。


裁判長もまた、その熱をまるきり無意味なものとは見ませんでした。

被告は、少しだけ勝ったような顔をしました。

弁護人も、ここまでは悪くないと思ったことでしょう。


ところが、でございます。


事件というものは、ここで終わってくれるほど親切ではありません。

ましてや、未来から届いた訴状ともなれば、押し入れの奥だけでは済まされません。

古い箱を開けたあとは、古い投稿も開かれます。

消し忘れたタグも、削除されたプロフィール文も、店で何も買わずに出てきた日の顔つきも、未来裁判所の栞は、遠慮なくめくっていくのであります。


そう。

問題は、あれほど熱く語られた推し活が、その後、どこへ行ったのか。

そして、被告自身がその熱を、どのように扱ったのかでありました。



第二回法廷。


開廷後、検察官はすぐに立ち上がった。


「裁判長。検察側は、本日、新たな事実および追加訴因を提出します」


裁判長が言った。


「追加訴因とは」


「自己史転籍偽装です」


弁護人が立ち上がった。


「第一訴因は資源処理負債です。訴因の拡張が過ぎます」


検察官は動じなかった。


「第一回審理において、弁護側は、被告の推し活を単なる消費ではなく人生史の一部であると主張しました。本法廷もその主張に一定の理解を示しました。したがって、その人生史が後年どのように扱われたかは、本件の情状および責任評価に直結します」


裁判長は短く言った。


「認めます。証拠を」


真帆が声を上げた。


「ちょっと待ってください。後から勝手に罪を増やすんですか」


裁判長は真帆を見た。


「あなたの前回供述により、争点が拡張されました」


「私がちゃんと説明したからですか」


「はい」


真帆は笑った。


「説明すると罪が増えるんですね。すごい裁判所ですね」


裁判長は言った。


「説明が新たな事実を開くことはあります」


検察官は証拠を表示した。


「証拠甲第二十一号。被告が令和九年以降に運営していた生活記録アカウントです」


法廷中央に白い部屋の写真が映された。

白い壁。木の棚。余白のある机。黒、白、灰色だけで揃えられた服。窓辺には小さな花瓶が一つ。


続いて投稿文が表示された。


物に頼らない暮らしを始めて、心が軽くなりました。

私は昔から、何かをたくさん持つことには向いていなかったのだと思います。


真帆は顔をしかめた。


「それが何ですか。物を減らしたら駄目なんですか」


検察官は次の投稿を出した。


流行に合わせて買うより、自分に本当に必要なものを選びたい。

他人の熱に巻き込まれないことが、静かな暮らしの第一歩です。


さらに次の投稿。


推し活という言葉を最近よく聞きます。

誰かを好きになるのは素敵なことだけれど、物や消費で自分を満たそうとするのは少し怖いなと思います。


真帆は唇を噛んだ。


検察官が言った。


「被告。これはあなたの投稿ですね」


「そうです」


「第一回審理において、あなたは八雲律を推すことが人生の一部だったと述べました」


「言いました」


「では、あなたの人生の一部は、どこへ行ったのですか」


真帆は睨み返した。


「人は変わるんです」


弁護人が続いた。


「裁判長。価値観の変化は罪ではありません。若い頃の熱狂から離れ、物を減らし、別の生活を選ぶことは責められるべきではありません」


裁判長はうなずいた。


「生活様式の変更自体は、本法廷も問題にしません」


検察官が次の証拠を提示した。


「証拠甲第二十四号。被告の母親宅押し入れ内で撮影された写真です。撮影日は、被告が『物に頼らない暮らし』の投稿を行う三日前です」


写真には、段ボール箱が六つ写っていた。

側面には古い筆跡で、こう書かれていた。


律くん

保存用

開封しない

いつか整理する


裁判長は真帆を見た。


「自宅から移したのですか」


「はい」


「捨てたのではなく」


「はい」


「手放したのでもなく」


「実家に置いただけです」


「実家を外部倉庫として使用した」


真帆は声を強めた。


「家族の家です。外部倉庫って言い方はおかしいです」


裁判長は言った。


「物に頼らない暮らしの外側に、物を置いた事実は変わりません。あなたが実家に頼った点は事実として記録します」


真帆は黙った。


検察官は資料を変えた。


「検察側は、推し活終了後における被告の八雲律への非消費的関心について確認します」


真帆は不快そうに眉を上げた。


「非消費的関心?」


「グッズ購入を伴わない関心です」


検察官は淡々と続けた。


「推し活終了後、八雲律の新曲を聴いていましたか」


「忙しかったんです」


「出演作は観ましたか」


「観る時間がありませんでした」


「誕生日を祝いましたか」


「誕生日を祝わないとファンじゃないんですか」


「質問に答えてください」


「祝っていません」


「誰かに八雲律の魅力を話しましたか」


「話さなきゃ好きじゃないんですか」


「答えてください」


「話していません」


「無料配信は見ましたか」


「見ていません」


「過去の曲を聴き返しましたか」


「ほとんど」


「ほとんどとは」


真帆は苛立ったように言った。


「聴いてません」


検察官は一度、資料を閉じた。


「本法廷は、聴かないことを責めているのではありません。観ないことも、祝わないことも、語らないことも責めていません」


真帆はすぐに返した。


「じゃあ何なんですか」


「消費をやめた後に残ったはずの愛情が、記録上どこにも見当たらないことを確認しています」


「記録に残らない好きだってあるでしょう」


「あります」


「じゃあ」


「しかし、被告は第一回公判でこう述べました」


検察官は、第一回の記録を表示した。


買うことは、好きって言っていい場所に入るための言葉みたいなものでした。

私にとっては人生の一部でした。

買うと、ちゃんと好きでいられる気がしました。


真帆の表情が変わった。


検察官は続けた。


「これは被告自身の供述です。被告にとって、買うことは好きでいるための言葉だった。では、その言葉を失った後、あなたは何で好きだと言っていたのですか」


真帆は黙った。


「買うことをやめた。投稿もしない。楽曲も聴かない。出演作も追わない。誕生日も祝わない。誰かに魅力を語ることもない」


「心の中では」


「心の中の好きは、本法廷も否定しません。しかし被告は、その心の中の好きについても語っていません。語ったのは、『昔から物に執着しない私』でした」


真帆は、被告席の机を指で叩いた。


「好きの証明をしろってことですか。結局、買っても責める、買わなくても責めるんじゃないですか」


検察官は首を振った。


「本法廷は、好きの証明を求めていません。被告が第一回公判で、自らの大量消費を正当化するために『好きの形式』を主張したため、その形式の終了後を確認しています」


裁判長が口を開いた。


「藤宮さん。第一回公判で、あなたは購入を『言葉』と呼びました。では、その言葉を使わなくなった後、あなたは沈黙したのですか。それとも、別の言葉を持っていたのですか」


真帆は答えなかった。


検察官は次の資料を表示した。


「証拠甲第二十七号。本人不在生誕祭の翌朝に撮影された写真です」


第一回法廷で流された祝賀映像と同じ部屋だった。

ただし、映像とは違った。

背景布は少しずれ、バルーンはわずかにしぼみ、ケーキの箱が開いたまま残っていた。アクリルスタンドはテーブルの中央に立っていたが、前日の華やかさはなかった。


裁判長が尋ねた。


「この写真は、あなたが撮ったものですか」


真帆は小さく答えた。


「はい」


「なぜ撮ったのですか」


「分かりません」


「この翌日以降、あなたはグッズ購入を急速に減らしています」


「だから、何ですか」


裁判長は静かに言った。


「何があったのですか」


真帆はしばらく黙っていた。

その沈黙は、反省ではなかった。怒りを保つための沈黙だった。


「朝になったら」


彼女は言った。


「全部、物に戻ってたんです」


法廷は静かになった。


「夜は幸せでした。本当に。生まれてきてくれてありがとうって思った。だけど朝になったら、バルーンもしぼんで、ケーキの箱があって、アクスタが立っていて、床に袋が落ちていて。昨日まで祝福だったものが、全部、片づける物に見えた」


裁判長は言った。


「熱狂が、物品に戻った」


真帆は顔を歪めた。


「そういう言い方、やめてください」


「事実確認です」


「事実です」


彼女は吐き捨てるように言った。


「それで、もう嫌になったんです。部屋も、箱も、買わなきゃ好きじゃない気がする自分も」


検察官が尋ねた。


「その時、資源負債を自覚しましたか」


「してません」


「何を自覚したのですか」


「この部屋にいる自分を、もう見たくないってことです」


検察官は白い部屋の投稿を再表示した。


物に頼らない暮らしを始めて、心が軽くなりました。


「被告は、これを前向きな生活改善として投稿しています」


「実際、改善しました」


真帆は強く言った。


「部屋を片づけて、物を減らして、やっと息ができるようになったんです。それの何が悪いんですか」


裁判長が言った。


「悪いとは言っていません」


「言ってるじゃないですか。逃げたとか、転籍とか、勝手に」


「では尋ねます。あなたは何から立て直したのですか」


「物に囲まれた暮らしからです」


「八雲律を好きだった自分からではなく?」


真帆はすぐに答えた。


「違います」


裁判長は資料を示した。


私は昔から、何かをたくさん持つことには向いていなかったのだと思います。


「では、なぜ『昔から』と書いたのですか」


真帆は黙った。


「あなたは前を向いたのではありません」


裁判長の声は低かった。


「後ろを向けなくなっただけです」


真帆の目が吊り上がった。

だが言い返そうとした唇は震えるだけだった。


その一瞬だけ、彼女の顔から怒りが抜けた。

怒りの下にあったものが、法廷の灯りにさらされた。


恥だった。

あるいは、恐怖だった。


真帆は奥歯を噛み、無理に笑った。


「……ずいぶん偉そうですね」


「本件記録が示すのは、生活の整理ではありません。過去の自己を視界から排除し、現在の自己像に適合する記録だけを残す編集です」


「編集で何が悪いんですか」


真帆の声は、先ほどより少し荒れていた。


「みんな編集してるでしょう。プロフィールも、部屋も、写真も、人生も。見せたくないものを見せないことの、何がそんなに悪いんですか」


「見せなかったことを問題にしているのではありません」


裁判長は言った。


「いなかったことにした点を問題にしています」


真帆は言い返そうとして、また止まった。

今度は、すぐに言葉が出てこなかった。


検察官が最後に尋ねた。


「被告。消費を止めた後も、八雲律を好きでいることはできましたか」


「……」


「できなかったのではありませんか」


真帆は机を叩いた。


「好きって、どうやればいいんですか」


誰も答えなかった。


「買わなくなったら、何をすれば好きなんですか。聴くだけ? 見るだけ? 心の中で思ってればいい? そんなの、誰にも通じないじゃないですか」


検察官は黙っていた。


「買わなくなったら、どう好きでいればいいのか分からなかったんです」


真帆は、そこで初めて言葉を止めた。


それでも、殊勝な顔にはならなかった。

むしろ、最後の抵抗として裁判長を睨んだ。


「それがそんなに悪いんですか」


裁判長は答えた。


「悪いのは、分からなかったことではありません」


真帆の顔から、少しずつ怒りの力が抜けていった。


「分からなかった自分を、いなかったことにしたことです」


法廷は静まり返った。


真帆は何か言い返そうとした。

だが、言葉は出なかった。


裁判長は銀色の栞を手に取った。


「判決を言い渡します」



「第一訴因、未使用応援物品過剰購入に伴う未来資源処理負債について」


裁判長の声は平静だった。


「被告の推し活には、当時の文化的文脈において、情緒的価値、共同体的価値、自己確認の価値があったと認めます。被告が無意味に物品を購入したとは認定しません」


真帆は顔を上げた。


「しかし、文化的意味があることは、資源負債が存在しないことを意味しません。被告の視線は、推し、同担、SNS、公式、自身の熱量には届いていました。しかし、その愛情表現を支えた原材料、製造、包装、輸送、保管、廃棄、そして未来の処理負担には届いていませんでした」


裁判長は一度、言葉を切った。


「愛情は、資源を不可視化する免許ではありません」


真帆は唇を噛んだ。


「さらに、本件第二回審理により、被告の愛情は消費を離れて持続したものではなく、消費によって維持されていた側面が強いと認められます。被告は、買うことで好きと言い、買うことで好きでいる自分を確認していました。消費を停止した後、被告は非消費的な関心をほとんど維持していません」


弁護人は反論しなかった。


「よって、第一訴因における大量消費は、推し本人への継続的愛情の副産物というより、消費回路によってファンである自己を維持するための資源投入であったと評価します」


真帆は何か言いたそうにしたが、何も言わなかった。


「第二訴因、自己史転籍偽装について」


裁判長は続けた。


「生活様式を変えることは自由です。熱が冷めることも、物を減らすことも、罪ではありません。推しを嫌いになることも、好きでいられなくなることも、それ自体は罪ではありません」


真帆の目が揺れた。


「しかし被告は、推し活によって生じた大量消費を、第一回審理では人生を支えた熱狂として主張しました。一方、後年の投稿では、その熱狂を『物への執着』『流行に巻き込まれた消費』として外部から評論し、自らを『昔から物に執着しない人物』として再構成しました」


裁判長は、押し入れの写真を見た。


「被告は過去を整理したのではありません。過去を視界の外へ移しました」


真帆は小さく息を吐いた。


「被告は、前を向いたのではありません。後ろを向けなくなっただけです。

そしてそれは、単なる個人の心情整理ではない。

過去の熱狂、過ち、被害、加担を後世へ伝える責任からの逃避です」


裁判長は銀色の栞を記録に挟んだ。


「よって被告を、未来資源処理負債発生および自己史転籍偽装につき有責と認めます」


「刑を言い渡します」


真帆は睨むように裁判長を見た。


「被告を、未来文化資料館における自己史復籍労務刑に処します。被告は、自己および同種事案に係る推し活遺物について、廃棄分類、資源由来、購入動機、当時の感情、消費停止後の関心、後年の処理経緯を注釈として記録すること」


裁判長の声が、少しだけ柔らかくなった。


「本刑は、被告を過去へ戻すものではありません」


真帆は黙って聞いていた。


「過去の被告を、被告の歴史へ戻すものです」



刑の初日、真帆は未来文化資料館の一室に座っていた。


机の上には、古いアクリルスタンドが一つ置かれていた。

黒い衣装の八雲律。伏せ気味の目。指先を口元に添えたポーズ。


真帆は端末を睨んだ。


注釈欄が空白のまま表示されている。


しばらくして、彼女は乱暴に入力した。


これは要らなかった。


そのまま保存しようとして、手が止まった。


数秒後、舌打ちした。


一行を消し、打ち直す。


これは本当は要らなかった。

でも、あの時の私は、要らないと言えなかった。


彼女は画面を睨んだまま、さらに入力した。


買うと、ちゃんと好きでいられる気がした。

買わなくなったら、どう好きでいればいいのか分からなくなった。


少し考えて、最後に一行を足した。


それでも、あの時の私は本気だった。


保存ボタンを押すと、端末に小さな表示が出た。


自己史復籍記録 一件登録


真帆は椅子にもたれた。


「面倒くさい」


誰に言うでもなく、そうつぶやいた。


隣の箱には、未開封の缶バッジがまだいくつも入っていた。


真帆はそれを見て、もう一度舌打ちした。


「多すぎるんだよ」


それでも彼女は、次の一個を取り出した。



さてさて、皆様。

人は変わります。

熱も冷めます。

棚も片づけます。

それは、まことに結構なことであります。


けれども、かつて燃えていた自分を、燃え殻ごと見知らぬ戸籍へ押し込めてはなりません。

灰は消えたように見えても、未来の誰かが、必ずそれを吸い込むのであります。


なお、被告が最後まで「これは推し活ではなく人生の資料です」と主張した未開封アクリルスタンド三点については、文化財指定の申請が却下されました。

理由は、保存状態が良すぎるわりに、説明が重すぎたためであります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回の教訓は簡単です。

愛があるからといって、何でも買えばよいわけではありません。

保存用、布教用、鑑賞用。

人類は、同じものに名前を付けて複数買う能力だけは妙に発達しています。


もちろん、その気持ちは分かります。

分かりますが、未来裁判所はそこまで優しくありません。

愛の名を借りた過剰保存にも、たまには訴状が届くようです。


次の事件では、星の数が、妙な方向へ汚染されます。

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