第四件 検索二ページ目殺害事件 正式名称:表示順位依存及び低体裁情報忌避に伴う未来生活知継承阻害請求事件
さてさて、賢明なる読者諸兄。
皆様は、検索結果の二ページ目を、最後にいつ開いたか覚えておいででしょうか。
一ページ目に出てくるもの。
上の方にあるもの。
要約が整っているもの。
写真がきれいなもの。
なんとなく権威がありそうなもの。
それらを見て、人は「調べた」と言います。
しかし、世界というものは、検索一ページ目に収まるほど、親切にも、整然ともしておりません。
二ページ目。
三ページ目。
第百二十四位。
第八千九百二十位。
第何ページ目とも呼びがたい、検索の底の底。
そこには、ときに、台所の愚痴があり、食べかけのポテトチップスがあり、変なうどんがあり、輪ゴムがあり、物置の前で叫ぶ老人がいるのであります。
そして、未来人はときどき、それらを見て言うのです。
「なぜ、これを見なかったのですか」と。
いや、無理であります。
普通は見ません。
ですが、この法廷は、その「普通」をこそ、にこやかに被告席へ案内する場所なのであります。
*
倉科透は、文章が書ける男だった。
四十二歳。ウェブコラムニスト。
名の知れた大媒体ではないが、生活、文化、雑学、食、道具、地方の手仕事などを扱うコラムで、そこそこ読まれていた。
文章は読みやすい。
見出しもうまい。
導入も軽い。
読者がスクロールを止めるタイミングも心得ている。
彼のよく使う言葉は、こんな具合だった。
「暮らしの解像度」
「日常の中にある小さな美意識」
「見過ごされてきた生活文化」
「知ることで、少しだけ世界の見え方が変わる」
どれも間違ってはいない。
ただ、その正しさには、生活の泥を一度きれいに拭き取ってから並べたような白さがあった。
その日、倉科は自宅の仕事机で、新しい記事を書いていた。
タイトル案は、こうだった。
検索で見つける、暮らしを変える五つの知恵
彼は、深煎りのコーヒーを飲みながら、ブラウザの検索結果を眺めていた。
一ページ目には、大手生活情報サイト、企業のオウンドメディア、動画まとめ、いかにも見やすいランキング記事が並んでいる。
倉科は、それらをいくつか開き、要点を拾い、自分の言葉で並べ直した。
こたつ記事。
そう呼ばれるものに近い。
だが倉科自身は、そうは思っていない。
情報を整理し、読みやすくし、読者へ届ける。
それもまた、書き手の仕事だと思っていた。
間違ってはいない。
ただ、正しく整えることと、拾うべきものを拾えていることは、別だった。
倉科が三つ目の見出しを整えたとき、パソコン画面の右下に、見慣れない通知が出た。
未来時際裁判所より訴状が送達されました。
被告、倉科透殿。
下記請求事件につき、出廷を命じます。
「また変なスパムか」
倉科は小さく笑った。
通知を閉じようとした瞬間、画面の中の文字が銀色に光った。
机の上のコーヒーが、湯気の途中で止まる。
検索結果の一ページ目が、白い霧のように薄れていく。
最後に倉科が見たのは、自分がまだ開いていなかった、検索結果二ページ目への小さなリンクだった。
*
未来時際裁判所の法廷は、白かった。
倉科は、被告席に立っていた。
正面には裁判長。
その前には、木槌ではなく、銀色の栞が置かれている。
「開廷します」
裁判長が言った。
「事件名。第四件、検索二ページ目殺害事件。正式事件名、表示順位依存及び低体裁情報忌避に伴う未来生活知継承阻害請求事件」
倉科は眉をひそめた。
「検索二ページ目……殺害?」
検察官が立ち上がった。
「本件は、被告がウェブコラム執筆にあたり、検索上位結果を情報価値そのものと誤認し、検索下位に存在した生活知、偶然記録、局所的観察、低体裁情報を継続的に検討対象から除外した結果、複数の未来知継承に損害を生じさせた事案です」
「検索結果を全部見ろということですか」
倉科は言った。
「そんなの、現実的ではありません」
「本法廷は、被告に全検索結果の閲覧義務を課すものではありません」
検察官は、淡々と答えた。
「問題は、被告が検索順位、記事タイトル、写真の質、文体、投稿者の生活感をもって、情報価値を低く見積もった点にあります」
倉科は、少しだけ不快になった。
「私は、読者に届く形に整えていただけです」
「その技能が、被告にはありました」
検察官は言った。
「だからこそ、拾えば整えられた情報を、拾わなかったことが問われます」
ここで弁護人が立ち上がった。
「裁判長。被告は、検索下位情報を怠慢により切り捨てたのではありません」
倉科は、少しだけ弁護人を見直した。
「被告には、文章を整える職業倫理がありました。読者に粗雑な情報を届けてはならない。写真が暗く、文体が乱れ、タイトルに生活臭が強く出ている記事を、そのまま扱うことに抵抗があったのです」
倉科は、見直すのをやめた。
検察官が静かに言った。
「つまり被告は、写真の暗さ、文体の乱れ、生活臭を、情報価値の低さと結びつけていたのですね」
「いえ、そうではなく」
弁護人は慌てた。
「被告は、情報に美しい器を求めすぎただけです」
「器が粗末な情報を、被告は食卓に上げなかった」
「比喩としては近いですが、弁護側の意図とは違います」
裁判長が記録を見た。
「弁護人の主張により、被告の低体裁情報忌避傾向が補強されました」
倉科は小声で言った。
「補強しないでください」
「証拠を提示します」
裁判長が銀色の栞に指を置いた。
「まず第一証拠」
法廷中央に、一つの記事画面が浮かび上がった。
ばあちゃんの漬物石が重すぎる件
検索順位:第三十七位
倉科は、思わず笑いそうになった。
笑ってはいけない場面だとは分かった。
だが、タイトルが強かった。
「被告は、西暦二〇二六年、『世界の高密度鉱物十選』というコラムを執筆していますね」
「はい」
「その調査時、検索第三十七位に、本記事が表示されていました」
「それは……鉱物の記事ではないでしょう」
「なぜですか」
「タイトルが、お婆ちゃんの漬物石です」
「被告は、タイトルに含まれる『ばあちゃん』および『漬物』によって、当該情報の鉱物性を軽視したのですね」
「鉱物性という言い方は変でしょう」
「本件では適切です」
検察官は記事を拡大した。
写真が表示される。
暗い。
ピントが微妙に合っていない。
台所の床に、黒っぽい石が置かれている。横には漬物桶があり、写真の隅にはスリッパと、誰かの足が半分だけ写っていた。
本文も表示される。
今年も出た。黒いやつ。
ばあちゃんが「これじゃないと白菜が言うこと聞かん」と言ってる石。
持ったら腰が終わった。
見た目はただの黒い石。サイズは弁当箱くらい。
でも重さが変。
たぶん十キロとかじゃない。もっとこう、地球に嫌われてる重さ。
ばあちゃんは昔、山で拾ったと言う。
山、何を落としてるんだ。
写真貼る。ピントは合ってない。腰が痛かったから。
倉科は、表示された本文を見て、眉間に皺を寄せた。
「これは……検索三十七位でも、真剣には読まないと思います」
検察官はうなずいた。
「その感想は自然です」
「自然なら」
「しかし、記事中には『弁当箱程度の体積に対して異常質量』という観察が含まれています」
「地球に嫌われてる重さ、ですよ」
「未整理な比重異常の記述です」
「腰が終わった、は科学的記述ではありません」
「未整理な人体負荷観察です」
倉科は、何でも未整理にすれば許されるのかと思った。
検察官は続ける。
「後世の解析により、この漬物石は隕石であったことが判明しました。さらに、内部には異常な質量下で生存した未知生命体の痕跡が含まれていました」
法廷が静まった。
「地球外生命の研究は、本記事が発見されなかったことにより、二百年遅れました」
倉科は、画面の中の漬物桶を見た。
「漬物石で、地球外生命が?」
「はい」
「ぬか床の上に?」
「正確には、重しとして使用されていました」
「宇宙が、白菜を押していたんですか」
「結果的には」
弁護人が立ち上がった。
「裁判長。検索三十七位とはいえ、記事の写真は暗く、本文も口語的で、タイトルにも鉱物学的有意性が示されていません。被告が専門資料として採用しなかったのは、むしろ自然です」
倉科は、また少しだけ弁護人を見直した。
検察官が言った。
「つまり弁護側は、鉱物学的有意性が台所と漬物に包まれていた場合、被告がこれを軽視するのは自然であると主張するのですね」
弁護人は止まった。
裁判長が言った。
「生活臭による鉱物性軽視。補強されました」
倉科は、弁護人を見ないことにした。
「第二証拠」
銀色の栞が動いた。
今度は、明らかに質の低いブログ画面が浮かび上がった。
深夜に気づいたんだけど海苔塩ポテチ下から開けた方がうまくね?
検索順位:第百二十四位
倉科は、顔をしかめた。
「ポテチですか」
「海苔塩です」
「分類の問題ではありません」
検察官は構わず続けた。
「被告は、西暦二〇二七年、『未来の食糧問題を考える十の視点』というコラムを執筆しています。その調査時、検索第百二十四位に本記事が表示されていました」
「未来の食糧問題の記事で、ポテトチップスは見ません」
「被告はそう判断しました」
本文が表示される。
眠い。
海苔塩。
下から開ける。
粉が来る。
すごい。
濃い。
上から開ける人類、損してる。
でも袋ちょっと開けづらい。
机にこぼした。
でも濃い粉が来る。
寝る。
追記:朝見たら机が海苔だった。
倉科は、しばらく黙った。
「これは記事ではなく、深夜の残骸です」
「はい」
検察官は認めた。
「しかし未来において、塩および海苔の安定供給は深刻な課題でした。当該記事は、袋内に沈殿した調味粉末を、開封方向の変更のみで再配分する技術を記録しています」
「技術って言います?」
「言います」
「袋を下から開けるだけですよ」
「だから重要でした」
「だから?」
「追加資源を必要としません」
倉科は、妙な角度から殴られた気分になった。
「本件発見は、一袋あたりでは微量ながら、二百年累計で海苔塩粉末三千六百トン、うすしお五十五グラム袋換算で約六千五百万袋相当の社会的重みを有します」
「社会的重みをポテチで測るんですか」
「本件においては適切です」
「軽いでしょう、海苔塩一割は」
「軽くありません。二百年で三千六百トンです」
検察官は、少しだけ間を置いた。
「軽いと思う。だからこそ見落とされました」
法廷が、少しだけ静かになった。
弁護人が控えめに立ち上がった。
「裁判長。この記事は、明らかに眠気と塩分に支配された文章です。被告が信頼性を疑うのは当然であり」
検察官が言った。
「眠気と塩分に支配された文章からも、調味粉末再配分技術は抽出可能です」
「そこまで抽出する義務が、コラムニストにありますか」
「義務ではなく、技能がありました」
裁判長が言った。
「弁護人の主張により、被告が文章体裁に基づき食糧技術を排除した傾向が補強されました」
倉科は、もう弁護人に座っていてほしかった。
「第三証拠」
次に映し出された記事は、古い個人ブログだった。
背景は薄いベージュ。
写真は少し暗い。
台所の隅に、粉のついた大きな木鉢が見える。
うちのばあちゃんのうどん、なんか変
検索順位:第一二四五位
倉科は、先ほどよりは真面目な顔になった。
「これは、地方食文化の記事に見えますね」
「被告は、西暦二〇二八年、『失われゆく地方の手仕事』というコラムを執筆しています」
「はい」
「その調査時、本記事は検索第一二四五位に表示されていました」
「第一二四五位は、もはや検索ではなく発掘では」
「便宜上、検索二ページ目以降と総称します」
「以降が広すぎます」
検察官は本文を表示した。
ばあちゃんのうどん、作り方が変。
何でそうするのか聞いたけど、だいたい答えも変。
でも、うまい。悔しいけどうまい。
なので聞いたことをそのまま書く。
続いて、会話が表示された。
孫「なんでそんなに叩くの?」
ばあちゃん「粉がまだ寝てる」
孫「粉が?」
ばあちゃん「起こさないと、うどんにならん」
孫「叩いたあと、なんでなでるの?」
ばあちゃん「起こしたら、なだめる」
孫「粉を?」
ばあちゃん「怒ったままだと、かたい」
孫「なんで仏壇の横に置くの?」
ばあちゃん「台所は人が多い」
孫「人が多いとだめなの?」
ばあちゃん「うどんが人見知りする」
孫「なんで愚痴を言うの?」
ばあちゃん「黙って待つと、長い」
孫「それ、ばあちゃんの都合じゃない?」
ばあちゃん「うどんも聞いてる」
孫「なんで畳の目六本半なの?」
ばあちゃん「六本じゃ若い。七本じゃ年寄り」
孫「うどんが?」
ばあちゃん「伸びが」
倉科は、画面を見つめた。
「これは、技術記録ですか」
「はい」
未来側の専門証人が呼ばれた。
白衣を着た女性で、肩書きは「未来食品構造学研究員」と表示されている。肩書きだけで、すでに少し専門的すぎる。
研究員は言った。
「当該うどん製法は、その地域で失われた郷土製麺技術の唯一の記録でした」
画面に、対応表が表示される。
粉が寝てる
加水直後で水和が不均一
起こす
打撃による水分分散・粗混練
なだめる
表面乾燥ムラの補正
人見知りする外部接触・温湿度変化への脆弱性
愚痴を聞いてる
発話による待機時間の安定化
六本じゃ若い、七本じゃ年寄り
過小伸展と過伸展の経験的判定
倉科は言った。
「“うどんが人見知りする”を科学表に載せないでください」
研究員は、少しも笑わなかった。
「重要な工程干渉回避の生活語です」
「“六本じゃ若い、七本じゃ年寄り”は?」
「畳上における伸展距離の経験的しきい値です」
「半は何ですか」
「ばあちゃんの親指一本分と推定されます」
倉科は、少しだけ頭が痛くなった。
弁護人が立ち上がった。
「裁判長。被告がこのブログを軽視したのは無理もありません。記事は、うどんが人見知りするなど、明らかに比喩と迷信が混在しており、専門資料としての体裁を欠いています」
倉科は、今度こそ少し頷きかけた。
検察官が返す。
「つまり弁護側は、生活語で記録された身体知を、専門語でないという理由で切り捨てた被告の判断を、合理的だったと主張するのですね」
弁護人は口を開けた。
閉じた。
「……そのように聞こえたなら、訂正します」
倉科は小さく言った。
「聞こえました」
「第四証拠」
今度は、SNS投稿の断片だった。
写真には、白い壁と突っ張り棒と輪ゴムが写っている。
床には洗濯物が落ちていた。
100均の突っ張り棒、端に輪ゴム巻いたら落ちなくなった
検索順位:第八九二〇位
タグが表示される。
#突っ張り棒
#落ちる
#イライラ
#百均
#今日の夕飯はカレー
倉科は、首をかしげた。
「カレーに飲まれましたか」
「はい」
検察官は言った。
「当該投稿は、夕飯関連投稿群に埋没しました」
「それは投稿者側にも問題があるのでは」
「後ほど、情報自己評価過小についても触れます。今は被告の選別責任です」
未来住宅工学者が証人として呼ばれた。
「未来住宅研究所は、百二十年にわたり、壁面非破壊型伸縮支持材の滑落防止に取り組みました」
「立派な研究ですね」
倉科は言った。
「本投稿では、輪ゴムを巻いていました」
「それで?」
「落ちませんでした」
「未来の技術が輪ゴムに負けたんですか」
「正確には、輪ゴムが未来技術を百年先取りしていました」
「物は言いようですね」
「判決文に記載します」
倉科は、だんだん法廷という場所が嫌いになってきた。
検察官が問う。
「被告は、『現代住宅に潜む小さなストレス』という記事を書いていますね」
「はい」
「その記事では、空間設計、収納用品、動線改善について扱っています」
「はい」
「しかし、検索第八九二〇位の本投稿は閲覧していません」
「第八九二〇位は、普通見ません」
「本投稿は、写真も暗く、床に洗濯物が落ちており、タグも不適切でした」
「それは、まあ」
「被告は、生活の問題を扱いながら、生活そのものの安っぽさを嫌いました」
倉科は、反射的に言い返そうとした。
だが、言葉が出なかった。
それは、かなり嫌な場所を突いていた。
弁護人が、かなり慎重な顔で立った。
「裁判長。被告は安っぽさを嫌ったのではなく、読者に提示する情報としての完成度を重視したのです」
検察官が言った。
「完成していない生活知を、完成していないという理由で排除した」
「そういう意味ではありません」
「しかし意味としてはそうなっています」
裁判長が言った。
「弁護人の発言により、低体裁情報忌避の職業的背景が補強されました」
倉科は、弁護人を見た。
弁護人は、小さく頭を下げた。
「第五証拠」
裁判長が、銀色の栞を少し動かした。
法廷中央に、古い動画のサムネイルが表示された。
画質は低い。
画面は揺れている。
そこには、古い物置の前に立つ老人たちが映っていた。
実家の物置が今日も閉まらない
検索順位:第三二一〇〇〇位
倉科は言った。
「三十二万一千位」
「はい」
「それは、もう二ページ目ではありません」
「便宜上、二ページ目以降です」
「以降が海より広い」
検察官は、少しも揺れなかった。
「被告は、『職人技に宿る身体知』という記事を執筆しています。その調査時、本動画は検索下位に存在しました」
「物置ですよ」
「はい」
「職人技ですか」
「証人を呼びます」
法廷の扉が開いた。
年配の男たちが、ぞろぞろと入ってきた。
先頭の老人は、背は曲がっていたが、目がやたら鋭かった。肩書きには「北沢町建具棟梁」とある。後ろには、当時の一同として、近所の人々が並んでいた。
棟梁は証言台に立つなり、倉科を見た。
「こいつが、あれを見なかった人か」
「見られませんよ、三十二万一千位は」
倉科は思わず言った。
棟梁は鼻を鳴らした。
「順位で戸が閉まるか」
検察官が説明した。
「当該動画は、旧式の物置建具を閉める際の集団動作と掛け声を記録した唯一の映像資料でした」
「掛け声ですか」
「はい」
「声ですよね」
「後世の脳科学により、複数人が同調する音声、呼吸、力点調整には、短時間の筋出力同期を発生させる作用があると確認されています」
「それが、物置の掛け声なんですか」
「はい」
「もっと別の場所で発見できませんか」
「できませんでした」
棟梁が咳払いをした。
「やってみせる」
裁判長はうなずいた。
「実演を許可します」
法廷の中央に、古い物置の戸を模した装置が現れた。
未来技術で再現されたそれは、無駄に精巧だった。
古びた木目、歪んだ金具、閉まりきらない戸の癖まで、嫌になるほど再現されている。
棟梁と一同が戸の前に立つ。
一回目。
棟梁が言った。
「よいしょ〜」
一同が続く。
「あ〜〜よいしょ〜」
倉科も遅れて言った。
「あ、よいしょ」
棟梁が顔をしかめた。
「違う」
「もう違うんですか」
「よいしょの、いのところが弱い。そこに腰が入る」
検察官が速記官に言った。
「記録してください。『い』に腰部出力同期あり」
倉科は言った。
「記録しないでください」
二回目。
棟梁が言う。
「よいしょ〜」
一同が言う。
「あ〜〜よいしょ〜」
倉科は今度こそ腹から声を出した。
「あ〜〜よいしょ〜」
棟梁が低く伸ばす。
「ま〜だ〜」
倉科は、一同とともに声を合わせた。
「は〜〜や〜い〜↑」
棟梁は首を横に振った。
「短い」
「どこがですか」
「は、から、や、までだ」
「全部じゃないですか」
「全部じゃねえ。は、から、や、までだ」
三回目。
倉科は、なぜか本気になっていた。
検索順位三十二万一千位の物置動画のために、なぜ自分が本気で発声しているのか。
考えると負けだった。
棟梁が言う。
「よいしょ〜」
一同が応じる。
「あ〜〜よいしょ〜」
倉科の声も、今度は少しだけそろった。
棟梁が言う。
「ま〜だ〜」
倉科は息を溜めた。
一同とともに叫ぶ。
「は〜〜〜や〜〜い〜↑」
後ろの一同から、小さく声が漏れた。
「お」
「今の、悪くねえな」
「腰、入ったんじゃねえか」
倉科は、少しだけ誇らしくなった。
棟梁だけが、眉を動かさなかった。
「いんや」
「まだですか」
「まだだ」
「何が足りませんか」
棟梁は、戸を見た。
「戸への詫びが足りねえ」
倉科は、法廷で初めて天井を見上げた。
四回目。
倉科は、真剣だった。
早く終わりたかった。
それだけだった。
しかし、早く終わりたいという願いは、ときに人間を異様な集中へ追い込む。
白い法廷の中央で、棟梁が手を上げた。
銀色の栞が、かすかに光を受ける。
「よいしょ〜」
その声は、古い梁の下を通る風のように伸びた。
「あ〜〜よいしょ〜」
一同の声が重なる。
倉科の声も、そこに沈んだ。
「ま〜だ〜」
時間が、ほんのわずかに遅くなった。
倉科は、息を吸った。
腹の奥に力を置いた。
戸ではなく、戸の向こうにある、誰も読まなかった記事たちへ向けて声を出した。
「は〜〜〜〜や〜〜〜い〜↑」
声は、白い法廷の天井へ伸びた。
まるで、失われた生活知を弔う祝詞のように。
まるで、検索三十二万一千位から立ち上がった、名もなき物置たちの合唱のように。
戸が、閉まった。
ぴたり、と。
棟梁は、長い沈黙のあとで、しぶしぶうなずいた。
「……まあ、閉まる」
倉科は、全身から力が抜けた。
裁判長は軽くうなずいた。
「では、本証拠を採用します。次へ」
倉科は思わず言った。
「もう少し、何かありませんか」
「ありません」
「今、かなり真剣にやりました」
「記録されています」
「記録で済ませないでください」
検察官は、五つの証拠を並べた。
漬物石。
海苔塩ポテチ。
ばあちゃんのうどん。
突っ張り棒。
物置の掛け声。
どれも、倉科が普段なら切るものだった。
泥臭い。
写真が暗い。
タイトルがひどい。
文体が素人くさい。
生活臭が強い。
意識が低そうに見える。
倉科は、それらを「記事にしづらい」と思っただろう。
検察官が言った。
「被告は、こたつ記事を書いたこと自体を裁かれているのではありません」
倉科は顔を上げた。
「問題は、被告がこたつの中で、何を選び、何を検索順位や体裁の低さを理由に切り捨てたかです」
法廷は白かった。
その白さの中で、漬物石の黒さと、海苔塩の粉と、うどん粉のついた手と、輪ゴムと、物置の前の老人たちだけが、妙にくっきり浮かんでいた。
裁判長が銀色の栞に触れた。
「判決を言い渡します」
倉科は、背筋を伸ばした。
「本法廷は、被告に全検索結果の閲覧義務を課すものではありません」
倉科は、少しだけ息を吐いた。
「しかし、被告は、検索順位、記事の体裁、写真の質、投稿者の文体、生活臭、土着性をもって、情報価値を低く見積もりました」
裁判長は続ける。
「被告には、低体裁情報を読者に届く形へ整える技能がありました。にもかかわらず、被告は、整えられていない情報を拾い上げることなく、既に整った情報のみを『暮らしの知恵』として再構成しました」
倉科は、言い返せなかった。
「その結果、未来における鉱物学、宇宙生物学、食糧資源利用、地方製麺技術、住宅内生活改善、建具操作および音声同期研究に損害が生じました」
「範囲が広すぎませんか」
倉科は小さく言った。
裁判長は、まったく動じなかった。
「検索二ページ目以降は広いのです」
銀色の栞が、かすかに光った。
「主文。被告を、未来知継承支援センター低順位情報文章作法係に十日間従事させます」
「文章作法?」
「被告は、検索下位に沈んだ生活記録、個人ブログ、愚痴記事、未整理資料について、元情報の土着性、生活臭、偶然性を不当に除去することなく、未来到達可能性を高めるための見出し、要約、タグ、導線整備を行うものとします」
倉科は、聞き慣れた言葉に、逆に不安を覚えた。
見出し。
要約。
タグ。
導線。
それは彼の仕事だった。
「ただし」
裁判長は言った。
「きれいにしすぎてはいけません」
*
未来知継承支援センター低順位情報文章作法係は、法廷の隣にあった。
倉科は、そこで検索下位のブログを直すことになった。
初日に渡された記事は、例の漬物石だった。
ばあちゃんの漬物石が重すぎる件
倉科は、少し考えてタイトルを直した。
地域家庭に残る高密度石材利用と保存食文化の記録
未来職員が、首を横に振った。
「漂白しすぎです」
「検索には強くなります」
「お婆ちゃんと漬物石が消えています」
「そこがノイズでは」
「そこが本体です」
倉科は、ペンを止めた。
二日目は、ポテチ記事だった。
元記事はこうだ。
深夜に気づいたんだけど海苔塩ポテチ下から開けた方がうまくね?
倉科は直した。
袋内調味粉末の偏在と開封方向による味覚効率化について
未来職員は言った。
「硬すぎます」
「でも検索されます」
「投稿者の深夜三時の脳汁が消えています」
「脳汁は必要ですか」
「本件では必要です」
倉科は、深夜三時の脳汁という言葉を、業務上初めて記録した。
五日目、うどん記事に取りかかった。
うちのばあちゃんのうどん、なんか変
倉科の修正案。
地方家庭における非体系化製麺技術の聞き書き
未来職員は言った。
「正しいですが、ばあちゃんが死にました」
「死んでいません」
「文章上、死にました」
倉科は、言葉の殺傷力について考えた。
八日目、物置の記事が来た。
実家の物置が今日も閉まらない
倉科は、しばらく悩んだ。
最初の修正案はこうだった。
古民家建具における集団音声同期型操作手順
未来職員は言った。
「これでは誰も『は〜〜や〜い〜↑』に辿りつけません」
「そこに辿りつく必要がありますか」
「あります」
「検索導線として?」
「人類の隠された力としてです」
倉科は、長く黙った。
そして、タイトルを書き直した。
実家の物置が今日も閉まらない
祖父の「よいしょ〜、ま〜だ〜、は〜〜や〜い〜↑」で閉まる理由
未来職員は、少しだけうなずいた。
「だいぶ良くなりました」
「本当にこれでいいんですか」
「恥ずかしさと検索性の均衡が取れています」
倉科は、その言葉を聞きながら、自分がずっと避けていたものを、ようやく少し分かった気がした。
読ませるために整える。
それは必要だ。
だが、整える前に、見る必要があった。
泥のついたままの言葉。
写真の暗い台所。
老人の愚痴。
深夜三時のポテチ。
輪ゴム。
掛け声。
それらを、見なかった。
読めないからではない。
読みたくなかったからだ。
十日目、倉科は最後の課題として、自分の記事を書かされた。
タイトルは、何度も直した。
最初の案は、
検索深層に眠る生活知の再評価
だった。
未来職員は言った。
「また漂白しています」
倉科は書き直した。
ばあちゃんの漬物石と、ポテチの底と、物置の「まだ早い」
検索下位で私が見落とした、うどんと石と「は〜〜やい〜↑」
未来職員は、ようやくうなずいた。
「これなら、少し読まれます」
「少しですか」
「検索二ページ目くらいには」
倉科は、笑いそうになった。
笑ってから、少しだけ反省した。
*
倉科透は、自宅の仕事机に戻っていた。
コーヒーの湯気が、止まっていた時間を取り戻すように揺れた。
画面には、書きかけの記事が残っている。
検索で見つける、暮らしを変える五つの知恵
倉科は、そのタイトルをしばらく見ていた。
そして、削除した。
新しい検索窓を開く。
検索結果の一ページ目が出る。
彼は、マウスを動かした。
いつもなら、一ページ目の上位から順に開く。
その日は、少しだけ迷った。
そして、二ページ目を開いた。
そこには、見慣れない個人ブログがあった。
うちの父、味噌汁を右から混ぜると機嫌がいい
倉科は、しばらく画面を見た。
「……さすがに、これは」
閉じかけた。
そのとき、遠い未来で、銀色の栞が、小さく震えた。
倉科は、ため息をついた。
「読むだけ読むか」
*
さてさて、読者諸兄。
検索二ページ目には、何もないかもしれません。
それどころか、本当に何もないことの方が多いでしょう。
けれど、まれにあります。
お婆ちゃんの漬物石。
海苔塩の粉。
ばあちゃんのうどん。
輪ゴム。
そして、物置の前で伸ばされた「は〜〜や〜い〜↑」。
それを拾えと言われても、困る。
拾わなければ訴えられると言われても、もっと困る。
ですが、未来とは、だいたいそういう困るものの集まりなのであります。
どうか皆様も、ゆめゆめ油断なされませぬよう。
情報の価値は、検索順位にも、投稿者本人にも、現在の読者にも、完全には分かりません。
そして、物置が閉まらないときは、声の「い」を少し強く、
「は」から「や」までを、ちと長く。
ただし、早すぎてはいけません。
は〜〜〜や〜い〜↑
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回の教訓は簡単です。
検索結果の一ページ目だけで、世界を分かった気になってはいけません。
そこには、漬物石も、ポテチの袋も、うどんも、突っ張り棒も、物置の掛け声も眠っています。
未来に必要な知識は、必ずしも立派な顔で検索上位に座っているとは限らないようです。
次の事件では、「買うこと」と「残すこと」の境界が、少々面倒な形で裁かれます。




