第8話 あっくん爆誕。そして無事死亡——
あの出来事から数日。俺にはいつもの日常が戻ってきていた。
いつもの学校。いつもの風紀委員活動。いつもの月城さん。
彼女から呼び出されることもなく、むしろ夢だったんでは?と、そんなふうに思い始めた矢先の昼休みの出来事——
チャイムが昼休みを告げた少し後、俺は突然月城さんに呼び出され一緒に風紀委員会議室に来ていた。
彼女が扉を開け、俺が先に中へ入ると、少しして背後でカチャリと小さな金属音が響く。
——いやだからなんで鍵を!?……あっ……。
脳裏にあの日の出来事が一瞬でよぎる。
「適当に座ってもらってもいいかしら?並樹くん」
「あっ……ああ……」
どことなくデジャブを抱えたまま、俺は奥の窓際の長机の席に腰を下ろす。
それ確認した月城さんもまるで当たり前かのように俺の横へ座り、テーブルに鞄を置いてから小さく息をつく。
「ふぅ……さてと、並樹くん……」
「……?」
一拍。空気が締まる——
「ちょっとツラ貸してもらえるかしら?」
——へっ、いきなり!?
助走なしの催眠キーワードに俺は動揺しそうになる。が、従うほかない。俺はもう、そういう道を自分で選んでしまっているのだから。
呼吸を落とし、心のなかで演技のスイッチを入れながら『うん』と一言だけ返した。
「………………んふふ〜〜♡」
——はっ……始まった……例の月城さんじゃない、月城さんの演技が……。
目の端に映るのは、またもやふにゃふにゃの笑顔を顔に貼り付けた月城さん。
その声色ひとつで会議室の空気が甘く塗り替えられて、男女二人っきりの空間が顔を覗かせた。
「ねぇ並樹くん、お腹減ってる??」
「そりゃお昼だし、もちろん減ってるけど……?」
「そっかぁ……そうだよね♡じゃあさぁ……」
そう言いながら月城さんは目の前に置いた鞄へ手を伸ばすと、その中からゆっくりと出てきたのは——黒く、高級感を感じる厳かなお重だった。
昼休みの学校に似つかわしくない存在感を放つそれは、木目の艶が妙に落ち着いた光を返している。
「私、お弁当作ってきたから、一緒に食べよっ♡」
「えっ……いいのっ?」
「もちろんっ!並樹くんの為に沢山作ってきたんだよ♡」
「なっ、なんか、ありがとう……」
ぶっちゃけ万年学食組の俺としてはめちゃくちゃありがたい。
手作り弁当ってだけで充分すごいのに、お重って。素直に嬉しい。嬉しいんだけど……目の前のお重のあまりの大きさに、不安も拭えない。
そんなことを考えているあいだにも、月城さんはお重の蓋へ指をかけていた。
重厚な蓋が開くと、その中には学校の昼食とは到底思えない豪華なおかずとおにぎりがぎっしり詰まっている。彩りが整いすぎていて、弁当というよりもはや作品の近い。
そして、ブルーとピンクのペアルックみたいな箸がちょんと端に添えられていた。
——うわっ、すごっ!?……ってか、月城さんはいつも本気だな……俺も見習わなきゃ……。
圧倒される俺とは真逆に、月城さんはにこにこしたまま箸を手に取る。
「それじゃ並樹くん、食べよっか?」
「ほっ、本当に頂いていいの?月城さん?」
「もちろんっ♡……でもぉ、その前にぃ……♡」
月城さんは何かを企んでいるみたいな、そんな顔をしている。
頬の赤みと、やけに甘い目つきが逆に怖い……
やはり一筋縄じゃいかないみたいだ……でも仕方ない。これは検証であって、決して男女のイチャイチャタイムではないのだから。むしろそう考えないと俺の感情がもたない。たとえ相手があの月城さんであっても。
「そっ……その前に……?」
「月城さんって呼び方……変えてほし〜なっ♡」
「呼び方?」
「うん、なんか距離感じちゃうっていうかぁ……ちょっと淋しいっていうかぁ……」
「さっ……淋しい?じゃあ、その……どう呼んだらいい?」
「それはねっ……♡」
不意に視線が交差して、月城さんの整った笑顔に心臓がドクンと脈うつ。
「凛って呼んでほしいなっ♡」
「りっ!?凛!?」
——なっ!?いきなりの呼び捨て!?しかも下の名前でぇ!?
反射で背筋がこわばってしまう。が、これは命令だ。検証という名目で落ちてきた指示に俺は逆らえない。
そんな俺を、月城さん——いや、凛は上目遣いで懇願するみたいに見つめて、さらに体を擦り寄せてくる。
漂うシャンプーのいい香りが鼻腔をくすぐり、彼女の控えめなおっぱいがあと数センチで肘に当たりそうなところまで迫ってきて、思わず喉が鳴る。
「そっ♡凛って呼んで♡」
「ああああっ!?わっ、わかったよ……りりりっ……凛」
「えへへ〜♡」
その笑顔が純粋に可愛すぎる。俺の知っているいつもの凛の面影など微塵もなく、理性が軋む。
——マジで月城さ……いや凛はどんな気持ちでこの検証をやってるんだ。相当覚悟がキマってないと、ここまで振り切れないだろ!?
「じゃあ早速食べよっ♡い〜っぱい食べて、たっくさん精力付けてね♡……あっくん♡」
「ブフッ…………!?ゴホッゴホッ!?」
——あっく……精……!?ん!?なんてぇ!?
脳が情報を受け入れきれず、変なところで息を吸ってしまった俺は派手にむせてしまった。
そんな俺を心配するかのように凛は俺の顔を覗き込みながら身を寄せ、無邪気で甘い笑みで追撃してくる始末。
分かってる。これは検証だ。なのに……クソっ!
ひとりパニックの最中、凛はお重の中からおにぎりを箸でつまむと、こちらを振り向いて不敵に微笑んだ。
——まっ……まさか……
「じゃあ、あっくん♡私が食べさせてあげるね♡あ〜〜んしてっ♡」
——くそっ……やっぱそうなるよなっ!!くそっ!!くそぉぉ!!
「はい、あ〜〜〜ん♡」
「あ……あーん…………」
————————ぱくっ………………もくもく…………
「えっ旨っ……しぐれ煮?」
それが口の中に広がった瞬間、恥ずかしさより先に美味いが来て、自分でも情けないくらい素直な声が部屋に響いた。
「美味しい?むふ〜〜♡よかったぁ!赤身のお肉は精力の基本だからねっ♡」
「そっ……そっかぁ……へっ、へぇ……詳しいんだね……凛……」
反応に困る。でも黙り込みすぎるのも良くないと思って絞り出した結果がこれだ。
凛はニッコニコのまま俺の顔をじっと見つめ、次いでその視線が若干揺らぐ。
「あっ!あっくん、お口の横にご飯粒付いてるよっ?」
「えっ?ああっ、ごめっ……」
小口で食べたせいだろう。俺がそれを取ろうと無意識に手を上げたその瞬間、横にいる凛の体が大きく動き、視界の中の彼女の顔が拡大されてゆき——
————————ぱくっ、ちゅっ♡
「……………………………………」
頬に柔らかな感覚が走った。
一瞬、目の前が真っ白になり、思考が完全に止まる。
——へっ……………………?
事は単純だった。凛が俺の頬あたりについたご飯粒を、顔を寄せそのままぱくっと食べた。まるで頬にキスをするかのように。
そう理解するまでに、長い時間がかかった気がする。
「…………えへっ///そのっ…………私が取ってあげたよ♡」
「………………………………ぁ」
流石の凛もこれは恥ずかしかったのか、目を泳がせながら顔を伏せ、それでも嬉しさを隠しきれないみたいに口元をきゅっと結んでいて……まだ頬は赤いまま、視線だけでこっそり俺を見つめている。
その表情が反則みたいに可愛くて、俺の脳はもう機能を停止した。おおよそ昇天である。
それからの記憶は正直、曖昧だ……それこそ、催眠にかかったみたいに——




