第39話 カミングアウト 後編——
急な凛のカミングアウト。それに素っ頓狂な声が上がる。
「……へ……効果がない……?」
「検証なんて、最初から意味がなかったんだよ……私が……私が全部でっち上げたの。嘘だったの……」
「……え、ちょ、ちょっと待って……じゃあ今まで検証ってあれ全部……無意味って事?」
凛はうなずく。そのうなずき方が痛々しい。
「あの動画はね、催眠じゃなくて……誰かとの信頼を測る遊びみたいなものなの……」
「信頼?」
「そう。どれだけ相手を信じられるか……見せられた方が、どこまでかかったフリを続けられるか……そういうゲームみたいなものなんだよ……」
「……あっ……え……ええ……へぇ〜……」
「本当にごめんなさい……私、あっくんの気持ちを利用して、弄んでたんだよ……最低だよね……」
「……凛……ちょっと待ってね……一回整理していい……?ちょっと情報量が多すぎて……」
俺は掌で額を押さえて、言葉を選んだ。
あまりの事に何を考えていいのかさえわからない。頭の中がごちゃごちゃになって言葉なんて塵と化しているから。
まずは1つ1つ理解してゆこう。俺、告白しに来たはずなんだが?なんだコレ……。
「じゃあ凛は、最初から俺が演技してるって……知ってたってこと?」
「……うん。知ってたよ……」
ぶっちゃけバカほど恥ずかしい。でも今はそれどころではない。
聞きたいことが山程あるんだ。
「……じゃあ、なんで凛も演技してたの?俺が合わせてるのに……ずっと凛も演技してたでしょ……?」
俺の問いかけに、凛はハンカチを握ったままきょとんと瞬きをした。
まるで身に覚えがないみたいに。
「演技……私が?」
「そう……もう俺が演技してたってバレたわけだし、言っちゃうけど……凛ってさ、俺に催眠をかけたあとから急にその……なんていうか、なんかめちゃくちゃ可愛くなるじゃん?あれのこと……」
言いながら俺は自己嫌悪に陥る。
可愛いなんて単語、こんな場面で出していいやつじゃない。でも、今さら引っ込められない。
それを受けた凛の肩がびくっと跳ねた。
「かっ!?かわっ!?可愛いっ!?……いだっ!!……ううぅ……あっくんが急にそんな事言うから、舌噛んだよぉ……」
「ごっ……ごめん。大丈夫?」
謝りながら、俺はますます混乱していた。
泣いて、謝って、カミングアウトして……その流れのまま、急にこんな反応。
俺が知ってる凛は、もっと鋭くて、もっと遠くて、俺が近づけば刺されるような人だったはずなのに。
目の前の凛は……一体誰なんだ……?
凛は噛んだ舌を気にするみたいに口元を押さえ、それでも小さく首を振った。
違うよという言葉を、何度も言い直すみたいに。
「私、演技なんてなんてしてないよ……少なくともあっくんと検証してた時は……」
「えっ……演技してない……?」
俺の声が裏返りそうになる。
じゃあ、今までのあれは何なんだ。俺が合わせてたはずの世界で凛は何をしていたんだ?
凛はハンカチを胸に抱えるようにして、少しだけ視線を落とした。
そして、落としたまま……言いにくいことを言う前みたいに息を整えてから、どこか納得したような一言を落とした。
「そっか……そういうことか…………あっくん。そこ、たぶん……逆なんだよ……」
「逆……?」
「……私が演技してるのは……学校の方だよ……」
「……は?……学校?」
言葉が間抜けに落ちる。
でもそれ以外が出てこない。
凛は息を吸って、吐いて——覚悟を決めたみたいに言った。
「そう。みんなが怖がって、避けてる……学校で風紀委員長をしてる私……あれが演技なんだよ……検証の時、あっくんに見せてた……今もずっとあっくんの前にいるのが、本当の私なの……」
凛は笑おうとして、失敗したみたいに口元が歪む。
まるで、自分を嘲笑うかのように。
俺はそんな凛を見つめて、驚く事しか出来なかった。
じゃああのハグは……あの涙は……あのキスは……凛との時間は……。
凛は俺の少し前で立ち尽くし、肩を小さく震わせながら、自分で自分を裁くみたいな目をしていた。
「色々幻滅したでしょ?私がやってきた事とか聞いて……風紀委員長なんて皮を被って、あっくんを騙して……こんな人と仲直りなんて、やっぱり出来ないよね……でも…|………………《最後に聞いてほしい事が》…」
言葉は弱々しいのに、そこに込められた覚悟だけがやけに鋭く光ってる。
しかし、俺はそこまで彼女が悲観的になる理由がわからなかった。
掠れて聞こえなくなってゆく彼女の言葉に、自分の声を割り込ませる。
「幻滅なんて、するわけないじゃん」
「……っ!?」
口にした瞬間、凛のまつげが大きく跳ねて、瞬きの回数が急に増えた。
あんた何いってんとと言わんばかりに。
「なんでっ!?私ずっと嘘ついてたんだよっ!?しかも、あっくんの気持ちを利用してたんだよ!?」
利用するという意味がそこまで掴めないが……彼女の言葉の矛先は俺じゃなくて自分自身に向いているのだけはわかる。
本当は怒られて、突き放されて、それでやっと自分を許したかったんだろう。
でも、俺はそれをさせたくなかった。
「まあ……そうかもしれないけど、俺にとってはそんなのどうでもいいっていうか……」
「どうでも……いい……」
凛の喉が、ぎゅっと詰まったみたいに動いた。
俺の言っている言葉の意味を拒むように。
「ねぇ、凛。俺が今日ここに凛を呼んだ理由って……何だと思う?」
言いながら、俺の心臓はうるさいくらい脈打っていた。
怖い。冷静でいるのがこんなに難しいなんて……。
でも、この怖さは逃げるためのものじゃなくて、踏み出すためのものだ。
「理由……?」
答えを探すみたいに視線を揺らし、指先で髪先をいじる凛。
まあ、普通に考えればこんな行き当たりばったりな呼び出しの意味など、わかるはずもなく……
「俺さ、ある人と話してて、大事な事に気付かされたんだ。それで、その事をちゃんと凛に伝えなきゃって思って、ここに来たんだ……」
言葉を選んでる暇はない。
けれど、雑に投げたくもなかった。
この一言で、これから先の二人の距離が決まってしまう気がして。
「大事なこと……」
その声は風に溶けそうなほど小さい。
一度だけ深く息を吸った俺は、凛の目を真正面から見つめた。
ここまで来たら、もう逃げられない。
夕暮れの光の中で、彼女の瞳がふいに揺れて、そこに映る俺まで震えている気がした。
そしてたった一言。自分の素直な気持ちを凛へ届けた。
「俺……凛の事が好きなんだ……」
言った。言ってしまった。
次の瞬間、世界が一拍遅れて動き出す。
「………っ………」
凛の瞳が、はっと大きく開かれた。
驚きで固まった顔。なのに、その奥では感情が雪崩みたいに崩れていくのが見えた。
こぼれそうな涙が睫毛の根元に溜まって、斜陽を受けて星みたいに煌めいている。
今、凛の胸を満たしているのは、戸惑いだろうか、はたまた、驚きだろうか。
「俺さ、最初はみんなと同じでずっと凛の事恐いなって思ってた。でも、凛と催眠の検証を始めてから、それがどんどん変わっていったんだよ……」
言葉を継ぐたびに、凛の表情は少しずつほどけていく。
それでもまだ、怖くて動けないみたいに立ち尽くしたまま。
俺も同じだ。怖い。でもこの怖さの先にしか、凛の笑顔はない。
「検証中の凛は……なんていうか、すっごく可愛くて、表情豊かで……それで、気づいたら凛の事好きになってたんだ……そんな凛と、もっと一緒に居たいって思ったし、もっとデートもしてみたいって思ったんだけど……ずっと悩んでたんだ、検証中の凛は本当の凛じゃないって……でもさ、それが本当の凛だってわかって俺は嬉しかったんだ……今まで凛と一緒に過ごしてきた時間とか、全部が本物だってわかって」
凛の唇がかすかに震える。
涙が頬を伝って落ちそうになるのを、必死にこらえているみたいだった。
「もちろん、風紀委員長としての凛が嫌いとか、そういうわけじゃないけど……でも、俺は今の凛の方が好きかな……まあ、いままで凛の本当の顔が風紀委員長だと思ってたから、今日はフラレる覚悟できたんだけどね……でもせめて前の関係くらいまでには仲直りしたいなって気持ちもあったりとかしたり……」
自分で言ってて、情けなくなるくらい不器用な言葉だ。
用意していた言葉は既にどこかへ飛んでいった。凛のカミングアウトで。
でも、たとえそれが恥ずかしい言葉だったとしても、彼女には聞いてもらいたかった。
「だから催眠検証に誘ってくれて……俺にきっかけをくれて、凄く感謝してる。おかげでこうやって本当の凛に会えたから……ありがとう。凛」
言い終えた瞬間、胸の奥がからっぽになった気がした。
もう出せる言葉は全部出した。あとは凛が受け取るかどうかだけ。
「……あっくん………………」
その声は、今まで聞いたどの呼び方よりも弱くて、やさしかった。
風紀委員長の凛でも、検証中の凛でもない。
ただの……本当の凛の声。
「まあさ、その……風紀委員同士付き合うってのは厳しいかもしれないから……この気持ちだけでも受け取ってくれたら……」
言い訳みたいに付け足した瞬間だった。
「あっくん!!」
体温が真正面からどん、とぶつかってきた。
「うおっ!?」
制服越しでもわかるくらい凛は震えていて、背中に回った手が必死に俺にしがみついているみたいだった。
「あっくん…………私もっ……私も好きだよっ……ずっと……ずっと好きだったんだからっ!」
涙の熱が胸元に染みていくと、俺の中の何かがそれに溶かされてゆくようだった。
やっと、辿り着けた。そんな気持ちが遅れて込み上げる。
初めて俺は凛の肩を抱いた。
恐る恐るじゃなく、逃がさないように、でも壊さないように。
少しだけ緊張が解けたからだろうか、凛の髪から、夕方の風とほんの少し甘い匂いがすることにやっと気づく。
「本当に、いいの?私でいいの?私、こんなんだよ……?」
顔をあげないまま、語りかけてくる凛。
それが胸が苦しくなるほど、愛おしい。
「それでいいよ。わざわざ演じる必要なんてないよ……」
それは俺の本音だ。その言葉が、凛の背中の震えを落ち着かせた。
彼女は俺の制服を掴んで、胸の奥に溜めていたものを必死に吐き出してくる。
「あっくん……じゃあ私と付き合ってくれる?風紀委員とか、そういうの、もうどうでもいいから……私の彼氏になってくれる?」
涙で濡れた声なのに、そこには逃げない強さがあった。
自分の願いを真っ直ぐ言ってくれている。そんな気がした。
「……うん、付き合おう……凛……」
やっと言えた。
抱きついている凛の肩から力が抜けて、安心したみたいに小さく笑う気配がした。
「うん…………ねぇ……じゃあ……これからはいつでもちゅーしてもいいよね……?♡」
「…………ん?なんて?」
聞いたことがある……あの凛の声が聞こえた時には既に遅し。
顔に両手が触れた。
凛の華奢な指先が熱を帯びて俺の頬を包みこんでくる。
その掌は小さくて、でも確かな力が込められていて……
「私のファーストキスはこの前あっくんにフライングであげちゃったけど……これは付き合った記念のファーストキスって事で♡」
——そっか……あのキス……なんか俺、本当に悪いことした気がする……。
凛の顔が近づき、俺の視界は凛だけで満ちて夕焼けの色さえ背景に溶けてゆく。
唇が重なった瞬間、夕暮れの空気が一気に甘くなる。
柔らかくて、熱い。泣き跡の塩っぽさすら、なぜか愛おしい。
彼女は確かめるみたいに少しだけ角度を変えて、もう一度深く触れてくる。
胸の奥がじんわり焼けて、手の置き場すら分からなくなって……俺は凛の背に腕を回して、ただ必死に抱きとめた。
経験上、最も長いキスのあと、離れてゆく唇の間に言葉にできない余韻だけが残った。
凛は頬を赤くして俺の胸元に額を預ける。
世界は何も変わってないはずなのに、俺の中だけは、確かに何かが変わってしまっていた。
夕焼けの最後の光の中で、凛の蒼い髪留めがもう一度だけ輝く。
俺はその煌めきを見ながら思った。
たぶん、この先何度つまずいても、俺はまたここへ戻ってこられる。
凛の手をもう二度と離さないって決めたから——




