第40話 カーテンコール——
あのヤケクソ告白からもう1ヶ月——
季節は既に11月。吐く息が白くなるにはまだ早いくせに、朝の空気だけはしっかり冬の匂いを纏っていた。
「おはよございま〜す……皆さん寒くなってきましたが、学校指定外のコートの着用は控えてくださいね〜」
いつもの校門前、いつもの挨拶運動。
流れていく生徒の列に、半分機械みたいに声を掛けていく簡単なお仕事。
あれから俺と凛は無事、恋仲になった。そして凛は——
「くぉぉぉらぁぁぁ!!そこの男子二人組ぃ!学校指定外のセーターの着用とは調子こいてくれてるじゃない!!こっちへ来なさいっ!指導よっ!指導!!」
(ひっ……月城さん…………)
「逃げるなぁ!!こっちへきなさぁぁぁい!!」
通常運転だった。
獲物を見つけた猟犬の如く、二人組の男子に圧をかけて詰め寄る黒髪ハーフアップの華奢な美人。もとい凛。
そして身を縮める獲物。もとい男子生徒。
確かに凛は変わった。ただし、それは俺の前でだけ。
学校では相変わらず、最恐風紀委員長として君臨している。
それでも、彼女が素の自分を出せる場所として俺がいるのは、正直嬉しい。
あんな狂犬みたいに凛々しい美人が、俺の前だと急にデレデレ甘々になるのだから、ちょっとだけ優越感ってやつを覚えたのも事実だ。
ただし、恋人になったら恋人になったで、男女っていう生き物は別の問題を運んでくるわけで……。
「まったく、指導が恐いならそんな格好しなければいいのに……はっ!?」
指導を終えて定位置に戻ろうとした凛が、急に視線を鋭く踊らせた。
彼女の視線の先には、別の男子生徒が一人。ほんのり口元を緩ませながら凛を見ている。
たぶん見てるのは、凛そのものじゃない。彼の瞳に映るもの。それは——
「なにジロジロいやらしい目で私のおっぱいを見てるのかしらっ!?この変態っ!私のおっぱいを見ていいのはあっくんだけなのよっ!!さっさと校舎へ行きなさいっ!それとも生徒指導の先生へ突き出されたいの!?」
(ごっ……ごめんなさいっ!)
凛に噛みつかれ、ダッシュで逃げるその男子生徒。
サラシを撤廃した凛は今や、その華奢な体つきにパリッとした制服姿……それに見合わないほどの大きな胸元がチャームポイントの《《遠目で見る専用》》の学園の高嶺の花となっていた。
……そして。
凛は間違いなく大声で俺の名前を呼んだ。あっくんって。
つまり凛と俺の関係、そして俺の存在は、もうそこそこ校内にバレている。
「ええ〜〜ん(泣)あっく〜ん!なんかいやらしい目で私のおっぱい見られて傷ついたぁ〜!慰めてっ!ぎゅってしてっ!!あっく〜〜ん♡」
「ちょ!?ちょっと凛!?急になにっ!?うおっ!?」
————————むにゅん……♡
声色が急にドロ甘に変わったかと思えば、凛は流れるような体捌きで俺に飛びついてきて、真正面から抱きつかれた俺は、転びそうになるのをすんでの所で踏ん張って耐える。
胸元に走る、柔らかくてボリューミーな感触。
清潔で柔らかい匂い。
髪の先が首筋をくすぐって、視界には艶やかな黒髪。
それを留める蒼い髪留めが、朝の澄んだ光を受けて誇らしげに輝いている。
「んっふ〜〜♡いやぁ〜あったまるぅぅ♡好き♡」
「りっ凛!?ちょっとみんな見てるって!?こういうの良くないと思うよ!?」
そう。さっき男女間の問題があるって言ったが、まさに今のこれだ。
凛は俺の前では変わった。そう……俺の前では。《《場所を問わず》》。
「別にいいじゃん♪付き合ってるんだし〜、校則には学校指定外の服を着るなとは書いてあるけど、校内でイチャつくなとは書いてないしぃ〜♪これは清く正しいお付き合いだしぃ〜♪」
「そういう話じゃなくてさっ!?一番風紀乱してるの俺達だよ今!?」
「えへ〜♪じゃあ指導する?私の事、指導しちゃう……?♡いいよっ、あっくんなら……いつでも♡誰も来ない所でぇ……私のこと全部脱がしてぇ……沢山指導してほしいなぁ〜♡」
「いやいやいや……怖い怖いっ!その発想が怖いっ!」
「とりあえず……一旦ちゅーしとく?♡」
「しとかないよっ!?公衆の面前だよっ!?あと何度も言うけど俺達風紀委員だよ!?」
凛は頬を染め、甘く柔らかい、そしてちょっとエッチな笑みで迫ってくる。
悔しいけど、可愛い。
ほんとに可愛い。だからこそ困る。
で、こういう時に限って周囲の生徒は徹底して、「見て見ぬふり」を決め込む。
まるで俺と凛が元々いなかったみたいに。
多分、凛が恐いんだろう。内申点とかいう神聖な何かを握っているのだから。
そんな時、横から別の柔らかな圧がそっと俺の腕に寄りかかってきた。
「ふぅぅぅ♡……なーくん、お・は・よっ♡」
「ひいっ!?」
圧と同時に耳元に落ちた熱い吐息。
反射で顔だけ向けると、俺の視界を埋め尽くしたのは頬を染めたふんわりボブの女性と、満天の笑顔。
「ほのか先輩ッ!?おっ……おはようございます……」
「あらあらぁ〜……朝からお熱いことでぇ〜♪わたし、妬いちゃうぞっ☆」
言いながらほのか先輩は、俺の片腕に腕を絡めてくる。
その動きがいやに慣れてる。しかも、凛以上に大きく柔らかいものがしっかり当たってる。確実に確信犯だ。
前から凛、横からほのか先輩。
おっぱいに挟まれて幸せなのは山々だが……今じゃない。マジで。
そして、それを無いものとして平然とした顔で登校する生徒たち。
カオスここに極まれり。
「橘先輩っ!ちょっと!私のあっくんに触らないで下さいっ!あっくんは私の彼氏なんですっ!」
「ええ〜♪凛ちゃん、ちょっとくらいなーくん貸してくれてもいいじゃ〜ん♪」
「ダメですっ!彼を貸すって……それNTRじゃないですかっ!」
「まぁまぁ♪それも恋のスパイスってことでぇ♡ちゃんと返すからぁ♪」
「スパイスにはなりませんっ!ただ絶望しか摂取出来ませんっ!私はイチャラブ派なんですっ!」
俺を完全に無視して前と横で小競り合いが始まる。
しかも二人とも離れる気はない模様。
こうなると、俺はもう嵐が去るのを待つしかない立場になる。
——なんか前より仲良くなってる気もするけど……なんでだろ?あっそういえば新しいガチャまだ引いてないや……。
現実逃避に走りかけた、その矢先——
「ねぇ、なーくん♡ちゃんと凛ちゃんにヌイてもらってる?♡もし、してもらえてなかったらぁ……わたしが相手してあげてもいいよ♡特別に♡」
「ぬっ……ヌイっ!?はぁ!?先輩っ!?」
ほのか先輩の吐息が混じった囁きに、全身がぞわっと総毛立つ。
マジで何言っているのかもわからないし、意味はわかるけど。そもそも返事を返せるわけない内容なわけで……。
そして案の定、状況は悪化する。
少しげんなりして黙った俺の代わりに、なぜか凛が胸を張って参戦してきたから。
「何言ってるんですか先輩っ!!そういうのは全部私で間に合ってますっ!」
「へぇ〜、ホントにぃ??」
「ホントですっ!そもそも2週間前に私たちはそういうの済ませましたしっ♡はぁ〜♡あの時はスゴかったなぁ〜♡」
「りっ?!凛!?なにいって……」
トロケた顔になる凛。心臓が止まりそうになる俺。
でも凛の暴走は止まらない。
「あっくんたら、初めてでそういうの全然用意してなくて……でも火が着いちゃった私たちはもう止められなくて……」
「凛っ!!ストップ!!風紀が乱れるとかそういうレベルじゃ!?」
「それでぇ〜♡んふふ〜♡仕方ないから着けないでしちゃってぇ〜……あっくんはじめてだったから我慢できなくてぇ〜……ちょっとだけ、私の中でぇ〜♡はう〜♡」
「凛マジでストップ!!マジで!!それ以上はいけないっ!!」
生き恥だ。
朝の爽やかな校門前で話していいものじゃない。こんなん許されるのはワンチャン深夜テンションの時くらいだろう。
しかも、その卑猥極まりない会話をいとも簡単に受け取るほのか先輩。
「へあっ!?ちょっと!!凛ちゃん、なーくん!?それはズルいよっ!!わたしをおいてかないでよぉ〜(泣)」
「んっふ〜♡」
満足そうな凛。もう気が狂いそうな俺。
そして俺にしがみつきながら、わざとらしく頬を膨らませるほのか先輩。
「ええ〜(泣)ずるいよぉ〜!ねぇねぇなーくん、わたし色々助けてあげたじゃん……だからちょっと位わたしの事もかまってよぉ〜!おっぱいだけはぜったい凛ちゃんに負けないからぁ〜!わたしにもしてよぉ〜!!」
「先輩もなに言ってんですか!?正気ですか!?」
「当たり前でしょ♪わたしはいつだって正気だぞっ☆」
——いや正気じゃないよマジで。
ドヤ顔のウインクをかましてくるほのか先輩に、俺は頭を抱えたくなる。
でも腕は両方とも埋まっているので、生憎抱えられない。
俺は逃げ場を探して天を見上げた。
雲一つない澄んだ青空。
楽しそうな笑い声。
身体にまとわりつく、柔らかい感触。
こんな生活が、俺に訪れるなんて思ってもみなかった。
口ではなんと言おうと、俺の口元は勝手に緩んでしまっている。
幸せって、多分こういう騒がしさも込みなんだろう。
こうして、催眠検証というくだらないきっかけから始まった俺の物語は、少しずつ形を変えながら前に進んでいく。
最恐風紀委員長だった凛は、俺の前では最恐ドロ甘彼女になった。
そしてこの先も、俺が想像もしない速度で彼女は俺の日常を塗り替えていく。
先輩に寝取られそうになったりなんやかんやあって…………数年後。
凛は最恐ドロ甘彼女から、最恐ドロ甘鬼嫁に進化している事を、この時の俺はまだ知らない。
でも、その時の俺も今日みたいに頭を抱えながら……それでも笑ってるんだ。
人生を変えるきっかけをくれたふたりに、俺はずっと感謝してる——
————————完




