第34話 告白——
あの出来事から、もう一週間が経っていた——
たった7日……なのに、俺の中では季節がひとつ変わったみたいに遠い。
俺はあれからずっと凛を避け続けていた。
教室では視線が合いそうになるたびに無意識に逸らし、風紀委員の活動や朝の挨拶運動も顔を出すのをやめた。遅刻ぎりぎりの時間に校門をくぐって、彼女と同じ空気を吸わないようにするほどの徹底ぶり。
もともと風紀委員の仕事は有志の運動だ、強制じゃない。そう自分に言い聞かせて。
最初はメッセージが来て怒られるかと思ったけれど、今のところ凛から参加を促す通知は一度も来ない。
流石にあんなことがあったら、それも仕方ないのかもしれない。
それなのに。そんな行動とは逆に、俺の心だけはずっと凛を追いかけていた——
友人と一緒に飯を食べて、ゲームの話をして、くだらないことで笑って。
今までならそれで十分だったはずの日常がどこか薄い。
頭の片隅に凛との会話の残像が張りついて離れない。声の温度、息の近さ、触れた瞬間の熱。
戻りたい……あの心地よかった時間に。でも、それは叶わない……。
その現実だけが胸の奥に重い石みたいに居座って、息をするたびに沈んでいく。
教室で食事を取ると、どうしても凛の姿を追ってしまう自分がいる。
だから俺はあえて学食で食事を取って、教室へ向かっていた。
その時だった、背後からやけに明るい声が飛んできたのは。
「あ〜〜!おサボりさんがいるぅぅ〜〜!!」
不意をつかれて肩が跳ねる。
振り返ると、そこには無邪気に笑う見慣れた先輩の姿があった。
「ほのか先輩?」
「なーくん最近どうしたのっ?朝ず〜っと校門に立ってないけど?元気無いみたいじゃん?」
今の俺にはキツい一撃だ。
その質問に答えようとすると、凛の顔が浮かんで胸がきゅっと痛む。
だから俺は曖昧な言葉でそれをはぐらかす。
「それは……まあ、色々ありまして……」
「色々って……なぁにぃ?わたし、気になるなぁ☆」
「そう言われましても……」
「ん〜?わたしにも言えないことなのかなぁ?」
「…………えっと……」
逃げ道を探して視線を彷徨わせる俺を、先輩は楽しそうに見つめている。
そして、追撃みたいにわざとらしく笑った。
「なぁ〜んか怪しい〜……ちょっとこっちに来なさいっ!元風紀委員長のわたしが指導してあげる〜☆」
「ちょっ……どこ行くんですかっ!?ほのか先輩っ?!」
抵抗する暇もなく袖を引かれ、廊下の景色が流れてゆく。
今日の先輩はぐいぐいと引っ張る力が妙に強い。
連れていかれた先はいつもの風紀委員会議室だった。
ドアの前に立っただけで、どうにも切ない気持ちが湧き上がる。
ここは俺と凛の場所だった。笑って、演技して、触れて……その残響がまだ床に染みている気がした。
「はいっ、ここ座って!」
「はっ……はあ……」
促されるままドアに一番近い椅子に腰を下ろす。
すると、先輩は立ったまま、まるで容疑者を尋問するように俺の椅子の周りをぐるぐると歩きだした。
「で……なんで最近元気ないの?なんかあったの??」
「………………」
言葉が出せず、俺は俯いた。
出した瞬間、全部崩れる気がして。
「ここまでしてもまだ教えてくれないの〜?ますます怪しいぃ〜」
そう言って、俺に身体を寄せてくるほのか先輩。
それと一緒に、まるで拷問みたいに俺の顔面に近づいてくる先輩の2つの爆乳。
「ちょっ!?ちょっと先輩!?近いですって!」
「うふふっ♪そりゃそうだよ〜、だって当てようとしてるんだもん。おっぱい♡」
「なななっ!?なんでっ!?」
「男の子はおっぱいに挟んであげれば元気になるって、みんな言ってるから☆なーくんもそうかなって……」
「ちょっと!?そんな事ないですよ!?だめですよっそういうのは真に受けちゃ!!」
あながち間違いではないが……。挟むものによっては……。
「ええ〜♪まんざらでもないように見えるけどなぁ〜(笑)」
「ちょっ!?まじでっ!?」
先輩はいたずらっぽく笑ってから、軽く両手を手を開いて——
「えいっ☆」
————————むにゅっ♡
一瞬、世界が白くなった。
柔らかくて温かい。でも、どこからも酸素が入ってこない。…………苦しい。
「むんっ!!んんっ!!」
ぎゅっと顔を抱きしめられて、ほのか先輩の爆乳の谷間に埋まった俺は幸せにもがく。もげけばもがくほど、先輩のあの甘い匂いが鼻の奥に満ちて色々とよろしくない。
特に下半身。
しばらくその甘い拷問に耐え続けたのち、やっと先輩が離してくれた。
空気が戻ってきて、肺が痛いくらい膨らんでゆく。
「はぁはぁはぁ…………」
「どう?元気になったかなっ?」
「もうっ!なりませんっ!」
先輩は笑顔で俺を覗き込みながら、無邪気に聞いてくる。
それにツッコミを入れるようにそっけなく言い放つ俺。
まあ、実際は下が少し元気になったけどね……?くそっ!
「うう〜ん、これは重症だなぁ……じゃあ……」
先輩は何かを考える仕草をして少し俺から離れると、間を置いて振り返った。
その横顔は、いつもより少しだけ大人びて見えた。
「なーくん…………わたしが彼女になってあげよっか?それで元気づけてあげるよ……」
「…………はい……?」
「だ〜か〜ら〜!わたしがなーくんの彼女になってあげるって言ってるのっ!」
「……えっ……先輩、そんな冗談は本当に良くないですよ!?先輩、あの時……」
「もうっ、冗談なんかじゃないよっ!わたしは本気だよっ!あの時の答えは撤回!!じゃあ言い方変えるけど……わたしを彼女にしてくれない?いま、ここで。これからずっと……」
「……………………」
先輩に一度振られた俺にとって、こんなの奇跡みたいなものだ。
好きな人にそんな事を言われるなんて、嬉しいはずなのに。嬉しいに決まってるのに……。
嬉しくない。
俺は確かにほのか先輩が好きだったはずなのに……なのに……。
俺の頭の中にはなぜかずっと凛の顔が浮かんでいた。
彼女の笑顔、ふくれっ面、そして泣き顔。それを想像すると胸の奥が苦しくなる。
ここで頷いたら、何かが取り返しのつかない形で壊れる気がした。
静寂が会議室に満ちる。
答えを出せない俺は黙り込み、そこへ先輩の微かな声が落ちた。
それは本当に微かで、意味さえも輪郭が曖昧で。
「…………そっか…………やっぱ、遅かったよね…………」
その声色は笑いの皮を剥がした素の音だった。
あの明るい先輩がこんな声を出すなんて、想像さえもしなかった。
「ねぇ、なーくん……今、好きな人いるでしょ?」
「……好きな人ですか?」
「そっ、わたし以外に……この浮気者っ☆」
「浮気者って……」
先輩はいつもの調子に戻したみたいに笑った。
でも、その笑い方がどこか無理をしているように見えて、見ているほうが苦しい。
「なーくん……その人が誰か、わたしはわからないけどさ……その人の事と、その気持ちは大切にしなよ?恋ってさ、タイミングが大事なんだよ。……もしなんか悩んでるなら、男なら当たって砕けろだよっ!わたしにしてくれたみたいにさ。好きな気持をちゃんとぶつけてあげないと相手はわからないよ?特に……鈍い子はね……」
「ほのか先輩……」
どこか諭すように、まるで自分に語りかけているように視線を泳がせたほのか先輩。
彼女は笑っているのに、口の端が微かに震えている。
「なーくんは正直に自分の気持ちを伝えられる人なんだよ?だから、自分を信じて気持ちを伝えなよ。後悔する前に……」
「自分の……気持ち……」
その言葉が胸の奥を叩く。
俺の気持ちってなんだ?
凛を避けてるくせに、気づけば凛のことばかり考えてる。
あれは演技だ、彼女も演技をしている。そんな綺麗事ばっかで自分を誤魔化して。
そうか……俺。凛が好きなんだ。
たった1ヶ月の間に……些細なきっかけで、凛の事が好きになってたんだ。
自分の心と対話する俺をじっと見つめて黙り込んでいた先輩が、ふと口を開く。
「もし……もし、上手くいかなくてなーくんが傷ついたら……その時はわたしが沢山慰めてあげるよ。先輩じゃなくて、彼女として……なんてねっ☆だから安心しなさいっ!」
なぜ先輩が急にこうなってしまったのかは俺にはわからない。恋愛経験がないから。
でも胸が、痛くて、温かい。
「はいっ!指導はここまでっ♪」
いつもの調子でウインクをしたほのか先輩は、おもむろに俺の袖を引いて椅子から立たせてくる。
「はいっ!行った行ったぁ!わたしはちょっとここで一人でやることあるから!なーくんは教室に帰りなさいっ!これは委員長命令だぞっ☆」
「先輩!?なんで急に追い出そうとしてくるんですか!?」
そう言いながら背中を押してくるほのか先輩。
少し乱暴な促しに、俺はあっという間に部屋を追い出されていた。
ドアが閉まる直前。
先輩の方を振り返った時、先輩の横顔が一瞬だけ見えた。
その頬には、微かに一筋のきらめきが伝っていた。
それに俺はただ気づかなかったふりをした。それが俺にできる精一杯だった。
胸の奥がざわざわと鳴って息が苦しいのに、足だけは勝手に教室のほうへ向かっていく。
俺はどこへ行けばいい?何をすればいい?
凛に会うのが怖いくせに、会いたくてたまらない。
今の俺にとってそれだけは間違いない事実だ。
あの甘い時間の残骸がまだ体のどこかに残っていて、それを求めている。
ならば、俺がやるべきことは……。
鈍る思考をフル回転させて、俺はやるべき事を見つめ直していった——




