第29話 凶兆は突然に——
それは唐突に訪れた。
まるで、残酷な現実だけを丁寧に選り分けて運んでくる悪魔みたいに。
こちらの覚悟も、逃げ道も、何もかも整う前に——
朝の仕事を終えて、俺は凛と一緒に校門前から校舎へと戻る。
生徒の波の間をすり抜けながら歩いていると、気づけば俺は凛の一歩後ろを歩くのを忘れていた。
当たり前みたいに彼女の横を歩いている。しかも肩が当たりそうなくらい近い。
少し前までなら、こんな事考えられなかった。俺の中の距離感がどこかで壊れかけているみたいだ……。
そう自覚した瞬間、なぜか変に焦りがせり上がり歩幅をずらそうとしてみるが、結局できずにただ足を動かしてゆく。
凛と並んで教室へ入る。
扉をくぐった瞬間、空気に小さな違和感が混ざっているような感覚が俺を襲った。
いつもの友人たちの視線はいつも通り。
『おはよー』みたいな軽い挨拶が飛び、机を引く音がして教室の朝は正常に回っている。
おかしいのは、普段そこまで絡みがない数人の女子がこちらをチラチラ見ている事だ。
視線が刺さるというほど露骨じゃない。
でも、視界の端で何度もそれが引っかかり、理由が分からないから余計に気持ち悪い。
俺は気づかないふりをして凛に小さく目配せをすると、凛もいつもの顔で頷き、俺たちは一切会話を挟まず別れてそれぞれの席へ向かった。
席に着くと、前と隣の席のゲーム友達がこちらを軽く振り向き、手をあげて挨拶をしてくる。
それに軽く応えると、二人ともいつものノリでゲームトークに戻ってゆく。
(でさ、昨日のアプデ結局どうだった?)
(新キャラ強いってマジ?)
(らしいよ?まだガチャ引いてないけど……飛鳥はガチャ引いた?)
「俺もまだ引いてない……」
日曜日はずっと凛の事が頭を渦巻いていて、それどころじゃなかった。
話を振られてそれに軽く返したりしていると、俺の中に日常が戻りはじめ、感じた違和感はやっぱり気のせいだったんだろうと、そう思い始めた。
その時——
俺の視界の先で数人の女子が一つの席に集まっていくのが見えた。
——あれっ……あの席って……。
凛の席だ。
そして、違和感を強めたのはそこに集まっている女子が、さっき俺のほうをこっそり見てきていた子たちだということ。
しかも、時々こちらを確認するみたいに視線を飛ばしてきている。
嫌な予感が背中の内側を這う。
俺はゲーム友達の話を半分聞き流しながら意識をそっちへ尖らせ、遠目に凛の輪郭だけを追ってゆく。
ほどなくして、その中の女子の一人が口を開いた。
(ねぇねぇ月城さんっ!月城さんって並樹くんとどういう関係なのっ!?)
その一言に凛が小さく目を瞬かせ、驚きを隠そうとしているのが遠目でも分かった。
無理もない。その言葉の先によっては……。
「どういう関係??……同じ風紀委員だけど、どうして?」
凛の声色はいつも通りだ。
女子たちはそれを受けて顔を見合わせ、ひそひそ笑って、言葉を選ぶ素振りをする。
そして次の瞬間、悪魔の言葉が落ちた——
(この前の土曜さ、映画館の近くで月城さんっぽい人を見かけたんだよね。髪とか雰囲気とか、すごく似てて……)
次いで、決定打が落ちる。
「で、その子が並樹くんと手繋いで歩いてたんだけど……あれやっぱり月城さんだよね!?どういう関係なのっ並樹くんと!?やっぱり付き合ってるの!?」
——!?!?!?
冷や汗が背中を滑って、耳がその音だけを拾い始める。
まずい。これは本当にマズイ……まさか見られていたなんて……。
俺は無意識に机の下で膝を握りしめていた。
視線の先の凛は押されている様子。
普段なら一刀両断できるはずの相手なのに、女子の好奇心は別の圧がある。
逃げ場のない感じが遠目でも分かった。
「どっ……どうって言われても……それはっ……それは私じゃないわよ?」
確かにある意味では凛じゃない。ギリギリ嘘ではない。はず。
(ええ〜〜、ホントにぃ?絶対月城さんだと思ったんだけどぉ?)
「ちっ……違うわよっ!?その見かけたって人はどんな格好だったのかしら?」
女子は身振りを交えて答えてみせる。
(結構遠目だったんだけど……なんか大人っぽい感じで、セクシーで、露出が多くて……そういう雰囲気だった気がする!)
「そんな格好、私がするわけないでしょ?多分、他人のそら似よ。私は……家にいたもの……」
凛の返しは速かった。そこに焦りの色はあるのに理屈は崩れていない。
流石凛。上手い逃げだ。
あの格好の凛は誰も想像できない。俺だって別人だと思ったんだから。
女子たちの勢いが少しだけ鈍るのが見え、別の女子が納得したように口を開いた。
(たしかに……月城さんが露出が多いセクシーな服着てるの想像つかないかも……)
——助かった。
そう思った直後、別の方向から違った矢が飛んできた。
(ほらぁ!だから言ったじゃん見間違いだって。ていうかさ、月城さんが並樹くんと付き合うとか……ないでしょ!?並樹くんは優しいくていい人だけど……月城さんってもっとキラキラしたイケメンとか選びそうじゃん?そのほうがお似合いだしっ!)
——それは余計なお世話だ……。
思いながらも納得してしまう。
学年トップクラスの美女と、一方でモブに片足突っ込んだいい人だけが取り柄の普通の男。周りから見たらそういう評価になるのも当然だ。
でも、なぜか胸の奥がちくっとした。わかっていても現実は残酷だ。
そんな何気ない女子トークの一端に、凛の表情が少し曇る。
「ちょっと……それは並樹くんに失礼じゃない?それに、彼だっていいところは沢山あるわ」
——凛……そこまで俺に気を使う必要なんて無いのに……。
凛の次の言葉が俺の予想と違っていた。嬉しい、なんて思っちゃいけないのに。
(あれぇ?月城さん、並樹くん庇ってない……?)
女子の一人が茶化してみせると、凛は冷淡な声色で言い訳みたいに声を強めた。
「そっ、そんなことないわよ。一応同じ風紀委員だし、色々知っていることもあるからよ」
(ふぅぅぅぅん……そっかぁ……せっかくのスクープだと思ったのに、残念っ……)
そこへ救いの予鈴が鳴り響き、会話が強制的に中断された。
女子たちはそれぞれの席へ散ってゆき、凛も何事もなかったみたいに教科書を出して姿勢を整えてゆく。
(……なぁ飛鳥……どした?だいじょぶか?)
その様子をぼーっと見つめていた俺は、ゲーム友達の声でようやく我に返る。
息をしていなかったみたいに肺が痛い。
「あっ……うん。ちょっと昨日、夜ふかししちゃって……」
(お前……ゲームも程々になっwwまあ気持ちはわかるけどさww)
教室が静まっていく。
先生が入ってくる気配がして、空気が授業に向けて切り替わっていったその時、俺のポケットのスマホが震えた。
俺はあたりをそっと見回した後、机の下でそっと取り出して画面を覗く。
そこにはメッセージが一件。
【凛:飛鳥くん。今日お昼休み、風紀委員会議室に来てちょうだい】
——まあ、そうなるよな。こりゃ……。
後悔と申し訳なさが全部一緒に重なって襲ってくる。
俺は机に突っ伏したいのを必死でこらえながら、ただ静かに頭を抱えた——




