第24話 ランチと谷間と揺らぐ心——
最初に訪れたのは、こじんまりとした小さなカフェ風のレストランだった——
木目のテーブルにやわらかい照明。壁にはドライフラワーと小さな黒板メニュー。
いかにもカップル向けと言いたくなる景観で、休日の空気が甘くまとわりついているその中に、俺たちは横並びで腰を下ろしていた。
注文したのは別々のワンプレートランチ。凛は鶏肉の洋風煮込みで俺は牛肉のなんとかコンフュってやつ。
それが目の前に運ばれてくると、凛が嬉しそうに身を寄せた。
「えへへっ♪これ食べてみたかったんだぁ〜」
「そうなんだ!確かに美味しそうだよね、凛のプレート」
「うん♪じゃあ早速食べよっ!あっくん♡」
催眠時の甘々モードの呼称で呼ばれると、ついこそばゆい感覚がつきまとう。
でも、それを顔に出すわけにもいかず、俺は表情を作って凛に合わせてゆく。
「「いただきますっ!」」
二人で仲良く挨拶する。その瞬間だけ、まるで本当に普通のデートみたいだ。
早速凛は一口鶏肉を食べて、すぐに頬をゆるませた。
「ん〜〜♡これ美味し〜♡ほらっ、あっくんも食べてみて♡」
美味しそうな表情のまま、凛はちょうどいいサイズの鶏肉をフォークに刺して、迷いなくこちらへ差し出してくる。それが俺の顔の前で止まると、次の言葉が追い打ちみたいに落ちた。
「はいっ、あ〜〜ん♡」
いつものあーんだ。そう思おうと何度も試みた。けれど今日だけはそれがうまくできない。
理由は最悪なくらい単純……そう、凛のおっぱいだ。
隣でずっと視界に入るそれは、たまたま見えるんじゃない。服の仕様上あえて見せているのだ。
胸の谷間の部分だけぽっかりと空いた薄手のニット。その奥に、普段はサラシで抑え込まれているはずの谷間がガッツリと覗いているわけで……視線を逸らそうとすればするほど逆に意識してしまう。
このままじゃどこを見ていいのか分からなくなる。
そう思った俺は、誤魔化すように差し出されたフォークにかぶりついた。
「ほんとだ、コレ美味しいね……」
「でしょ〜♡んふ〜♡」
そう言うのが精一杯だった。それでも凛は満足そうに笑って、俺を見つめてくる。
その笑顔が可愛い。可愛いすぎるから困る。そして、その笑顔に視線が向くと、自然とその下にある胸元へ吸い込まれ、俺の集中をさらに奪う。
——マズイ。心が乱される。控えめに言ってもエッチすぎて、俺の心の風紀が乱れまくっている……。
違う意味で動揺しているのを絶対に見抜かれたくないと思った俺は、食事に集中しているフリをするみたいに手元へ意識を落とし、自分の皿へフォークを走らせようとした。
その刹那、凛の声が近い距離でふわりと落ちた。
「ねぇねぇあっくん……」
「ん……?」
凛の声に呼ばれて顔を上げた瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。
そこにあったのはどこか意味深な笑みで——
「もしかしてさっきから……私のおっぱい見てない……?♡」
「えっ……そそそそっ、そんな事ないよっ!?そんな事っ……」
「あ〜〜!焦ってるぅ♪あやしぃ〜〜……あっくんのえっちぃ♡」
凛がそう言いながら、わざとらしくこちらに身を寄せてくる。
笑いながらもその目はジト目で、逃げる俺を面白がっているようにも見えて……いまや視界の半分を埋め尽くす凛のおっぱいに、俺は言葉が上手く繋げられなかった。
「そっ、そんなことはっ……」
大アリである。言い訳のしようがない。
否定すればするほど自分がそれを意識しているのが浮き彫りになる。
既に俺の内側はパニックなりかけていて、そんな俺を見て、凛は勝ち誇ったみたいに笑っていた。
「あっくんおっぱい好きだって言ってたもんねぇ♡ほらっ……ちょっとだけサービスしてあげる♡」
いたずらな表情になった凛が、胸元の穴の空いた部分に人差し指を添えると……谷間の辺りをくいっと引いてみせる。
すると、そこから覗く白い肌がより増えてしまい、俺の視界を真正面から奪ってきた。
視線を外さなきゃいけないのに、外せない。
「ちょちょちょっ!?凛!!なにしてっ!?」
両手で目を覆い隠すようなフリしながら口では止めているのに、心では眼福と思ってしまう自分が情けない。
でも心は揺れる。揺れすぎて足元がふらつくみたいに落ち着かない。これは演技なのに。
「んっふぅ〜〜♪は〜い、お・し・ま・い♡」
「………………」
どこか満足そうに息を漏らしすっと指を離した凛に、俺は反応出来なかった。
「こっから先はぁ……もっと人の居ないところでね♡」
——えっ!?この先もやる気なのぉ!?
今度は軽くウインクしてくる凛に、頭の中で叫びが爆発する。
その仕草があまりにも自然で、俺の中の検証という建前が薄く剥がれそうになる。
こんな状態で今日一日を回せるのか?俺の精神が持たないんじゃないか?
そんな予感が嫌なほど現実味を帯びてくる。
それでも凛は隣で楽しそうに笑っていて……俺は結局その笑顔に逆らえないまま、こうして幸せながらも波乱に満ちたデートが幕を開けたのだった——
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食事を終えた俺たちは、ふたりで食後のドリンクに手を付けていた——
あらかたそれを飲み終えた頃、凛がスッと立ち上がって『ちょっとお手洗いに行ってくる』と告げて奥のほうへ消えていく。
その背中を視線で追って見えなくなった瞬間、俺はようやく息を吐けた。
「ふぅぅぅぅ…………」
——まだ始まって数時間なのに、これはマズイな……。
今日の凛はあまりに可愛くて、エッチすぎて、俺の精神を容易く侵食してくる。
彼女をそんな目で見ちゃいけないのは分かってるのに。どうしても意識が持っていかれそうになってしまう。男ってダメな生き物だ。
——線を引け、公私を混ぜちゃいけない。
頭ではそう言い聞かせているのに、凛が隣にいるだけで簡単に境界が溶けそうになる。
それに、ほのか先輩との一件でついた心の傷を、勝手に癒そうとしてしまっている自分もいる。あまりにも情けなくて泣けてくる。
俺はそんな自分を正すべく、顔を両手でパンパンと叩いて無理やり気合を入れた。
「な〜にしてんのあっくん?もしかして寝不足とかぁ?」
そっと肩に温度のある手が一瞬触れ、顔を上げると、そこには隣に凛が立っていた。
「あっ、凛……いや、寝不足じゃないよ。なんていうか……デート頑張ろって気合い入れただけ」
「気合い……?えへへっ♡それならちょっと嬉しいなっ♪」
その笑顔があまりにも眩しすぎて、素直すぎて……またしても心がぐらついてしまう。さっき叩いた頬の痛みなんて簡単に上書きされてしまうみたいだ。
「じゃあそろそろ次、いこっ♪」
「そうだね、じゃあお会計を……」
そう言って俺も立ち上がり、財布に手を伸ばそうとした直前——
凛がすました顔で言う。
「お会計ならもう済ませてあるよっ♪」
「えっ!?なんで!?」
驚きで声が出てしまう。
凛は悪びれるでもなく、むしろ少しだけ照れくさそうに目を泳がせている。
「なんでって……あっくんには色々付き合わせちゃってるからね……その、日頃のお返しって感じかなっ?」
その一言はいつもの、風紀委員長の凛のようだった。
言葉は甘くても、これを検証としてきっちり捉えていて、演技の隙間からそれが顔を出してきたような。
「お返しって?!そんなの悪いよっ!?」
「いいのいいのっ!ほらっ行こ行こっ!」
「まって凛!ちょっと!!俺にも払わせてって!」
「だ〜め!もう払っちゃったもん!」
店の入口まで早歩きで向かっていく凛。
ヒールの音が軽く弾んで、今日の凛の気分の良さがそのまま足音に出ているみたいだった。俺は慌てて後を追いかけてゆく。
結局、また凛のペースに巻き込まれてしまっていた。
追いかけながら、俺は必死に頭を回す。
検証だ。演技だ。そう言い聞かせても、凛がしてくれた当たり前じゃない優しさが、俺の中で重く残ってしまう。
だからこそ、ちゃんとお返しをしなきゃいけない。
そう思いながら、俺は凛の背中に追いつくために歩幅を上げていった——




