第21話 始めてのお宅訪問——
凛のマンションは住む場所というより見せる場所みたいだった——
凛に連れられ訪れたのは、彼女の家の美しいビングルーム。
そこは想像以上に広く、大きなソファとローテーブルが中心に置かれていて余白があるのに落ち着いて見える、そんな空間。
その光景に圧倒されて立ち尽くしていた俺は、凛にソファに促されてそっと腰を下ろす。
視線の先のアイランドキッチンでは、カプセル式のコーヒーマシンを凛が制服のまま迷いない手つきで操作をしていて、しばらくして凛がトレーを持って戻ってきた。
「おまたせ飛鳥くん。これ、どうぞ」
ローテーブルの上に綺麗なガラス容器に入れられたコーヒーが置かれる。
その全てがあまりに完璧で、俺はただ驚くばかり。
「ありがとう。ごめんね凛、俺なんも手伝ってなくて……」
「いいのよ、飛鳥くんはお客様なんだから。気にしないで」
そう言って凛は自分の飲み物もテーブルに置くと、俺の正面ではなく横に腰を下ろした。ソファのクッションがわずかに沈んで距離が一気に現実になり、胸の内側が小さくざわめく。
「それじゃこのチョコ、せっかくだから開けさせてもらうわね」
「うん、開けて開けて!」
俺が渡したチョコの包装を丁寧に解き始めた凛。
ほどなくして箱が開かれ中身がテーブルに並べられていくと、さっきまで硬かった空気が少しだけ和らいだ気がした。
「それじゃ、いただきましょ飛鳥くん」
「うん、そうだね……」
返事をしながら凛を視線で追い、タイミングを合わせてコーヒーへ口を付ける。
次いで彼女と同じようにチョコを口にそっと放り込んだ。
「ふふっ♡これ、美味しいわ」
凛の唇が小さくほどけて、甘さに安心したみたいな声が零れる。
——よかった、喜んでくれて……
胸の奥に張っていたものがほんの少しだけ緩み、チョコの余韻が部屋の空気まで甘くしたみたいで、視線が自然と周囲へと流れる。
整然と並ぶ家具の数々は角度も距離も計算されているみたいに美しくて、思わず口から本音がこぼれていた。
「それにしても凛の家って本当に綺麗だよね。俺の家とは大違いだよ」
「そうかしら?……まあ生活感が薄いのかもしれないわね」
「生活感?」
カップを置きながら淡々と言う凛に俺が聞き返すと、彼女が一拍だけ置いて視線を遠くへやった。
「そう、生活感。私ね、両親と3人でここに暮らしているんだけど、実際には二人共あんまり家に居なくて、私の一人暮らしみたいになってしまっているのよ。だからリビングなんてほぼ使っていないから……」
その話を聞いた瞬間、腑に落ちた。
言われてみればどこにも今さっき触れた痕跡がない。
まるでここはショールームみたいで、美しいのに温かみが薄い。
「そっか、凛のご両親って忙しい方なんだね」
「そうね。だいたい週に1、2回顔合わせるくらいで後は家にいないわ」
さらっと言ったのに、言葉の端に薄い影が落ちている気がした。
何気なく振ってしまったこの話題は正解だったのだろうか?そんな考えが頭の中でこだまして心臓が落ち着かない。
隣に座る彼女の表情はほんの少しだけ寂しそうに見える。
その微かな揺れに俺の中のいい人スイッチが勝手に入ってしまい、余計なことを言うなと頭のどこかが警告しているのに口が先に動いてしまう。
「凛は……その、淋しくないの?」
言ってから激しく後悔する。淋しいに決まってるじゃないか……。
「そうね………………正直、少し淋しいわ。でも仕方ないのよ、仕事だもの」
その悲しげな一言に俺は驚いてしまった。あの凛が淋しいなんて素直な言葉をそのまま出すことに。
どう受け止めたらいいか分からない俺は、焦って誤魔化すように声を重ねていた。
「あっ!?えっと、ごめん凛……なんか変なこと聞いちゃって……」
「どうしたのかしら?そんなに気を使わなくてもいいのよ?飛鳥くん」
「でもさすがにノンデリな気がして、なんていうか……あははっ……」
笑って誤魔化している俺の様子をじっと見つめていた凛は、次の瞬間ゆっくり小さく口元をほどけさせた。
「ふふっ♡でも気遣ってくれてありがとう……優しいのね、飛鳥くん」
その笑顔にはやはり普段にはない柔らかさがあった。
それが不思議で、俺は余計どうしていいか分からなくなる。
そして、ふたりの間に沈黙が満ちる——
次に何を言えばいいのか分からない。
どう話題を切り出そうかと迷っていると、凛のほうから話を振ってきた。
「じゃあこの話題は終わりにして、新しい話題に変えてもいいかしら?」
「あっ、うん。そうだね、むしろそのほうがありがたいかも……」
——内心ホッとした自分が少し恥ずかしい。
俺の返事で部屋の空気がふっと切り替わる。それはさっきまでの柔らかさを綺麗に畳むみたいに。
「そう、それじゃあ……飛鳥くんは今週の土日って、どちらか暇かしら?」
「今週の土日?まあどっちも暇かな。どうして?」
予定を思い出すまでもない。土日に用事なんてあるとしたら、クラスの仲いい奴らと深夜にネトゲをするくらいだ。
そんな脳天気なスタンスは次の凛の言葉であっさり塗り替えられた。
「もし飛鳥くんが暇なら、私と、その……デートをしてほしいなって思ってて……」
——…………へっ………………?
言葉の意味が頭に届く前に心臓が先に跳ねた。
デート……。
そのワードだけが急に大きくなって、呼吸がうまく回らず、焦りが一気に押し寄せて声が勝手に裏返ってしまう。
「でっ!?でででっ、デートぉ!?」
あまりの突拍子のなさに、俺は目を見開いたまま固まっていた。
そんな俺を見て、凛は頬をわずかに膨らませるみたいに不服そうな顔をした。
「なによ……そんなに驚かなくたっていいんじゃないかしら?」
「ごっ、ごめん……でもデートって……」
口に出した途端、余計に意識してしまう俺がいる。
が、凛は少しだけ言葉を選ぶように間を置いてすぐに釘を刺してきた。
「あのっ……勘違いしていない?もちろん催眠検証の為のデートってことよ?」
「あっ……そういうことか……」
熱くなった頬が、一瞬で冷めるみたいだった。
安心ではなく恥ずかしさが遅れて襲ってくる。俺は何を勝手に舞い上がってるんだ?
そんなことあるわけ無いのに。
「ごめんなさい、私も言い方が悪かったわね……飛鳥くんには催眠検証で調べたいことがあって、土日どちらか協力してほしいのよ」
催眠にかかったフリをしてない状態でこうして二人で話していると、どうやら俺は簡単に浮ついてしまうみたいだ。女の子に慣れていないから。
そんな自分が情けなく思うも、気を取り直して話を進める。
「それなら全然いいよ。で、どんな事を検証するの?そのデートで……」
「それはいい質問ね。……飛鳥くん、いままで私たちって短い時間でしか催眠の検証を行ってきてないわよね?」
「うん、そうだね」
「だから、今度はデートを通して長い時間一緒にいることで、長時間催眠状態になっていられるのかどうか、それを検証したいの。時間が長いと途中で催眠が解けてしまう……そんな事も有り得るかもしれないじゃない?」
言われてようやく俺は凛の狙いを理解した。
確かに盲点だ。今までの検証は、昼休みや放課後の短い枠の中であり、長時間の継続性を見落としていた。これは大きな問題だ。
「確かにそれはそうかも。さすが凛……」
「ふふっ、そうかしら?じゃあ協力してくれる?飛鳥くん」
検証の話をしている時の凛は迷いがない。
真剣で、一直線で、みんなのために頑張ろうとしているのが分かる。
だから俺は変に私情を混ぜずちゃんと風紀委員として、協力者として、やるべきことをやらないといけないんだ。
——ちゃんと線を引け……浮つくな。
そう自分に言い聞かせて、俺は凛に応えた。
「もちろん協力するよ!」
「ありがとう飛鳥くん、頼もしいわ。それじゃ早速だけど……当日のデートプランを一緒に練りましょ?まだ時間あるわよね?」
そう言って凛は一歩近くに体を寄せてくると、テーブルの上にスマホを置いて操作し始める。
艷やかな長い髪が俺の手に微かに触れ、ふわりと漂う彼女のいつものいい香り。
俺はそんな彼女の行動に照れないよう自制をして、必死に一線を引こうとしていた。
そして、ふたりで一つのスマホを眺めながらデートプランを練ってゆくのだった——




