恍惚
数ヶ月後、恵里菜は、お腹が張るので、病院に電話して、向かおうとすると、間が悪く、安紀が訪ねてくる。「今から、病院に行くの。どいて。」と目も見ずに言うと、「付いて行こうか?」と言うので、「やめて。」と言って、タクシーを待つ。ようやくタクシーが来ると、それに飛び乗るが、安紀も当たり前のように乗る。安紀は、ふー、と息をする恵里菜に、「ねぇ、前の続き、覚えているよね?」と言う。「婚姻届、持ってきたんだ。」恵里菜は、「だから、全部、後にして。」と怒り狂った顔で言う。恵里菜が、また、ふーと吐くと、「どうせ帝王切開になるよ。」と見透かしたように笑うので、恵里菜は、つい、安紀を殴る。安紀は、「ごめん、ごめん。」と軽く言う。恵里菜は、安紀に何か言おうと、睨みつけるが、あっ、と思って、足元を見ると、少し破水していた。シートに手のひらほどの染みが付く。安紀はそれを見て、「どうなるんだろうね?」と他人事のように言った。安紀は、「もう、生まれてもいい頃なんでしょ?」と続けて言うが、恵里菜は、無視する。実際には、確かにもう生まれてもいい。産休に入って数ヶ月間、ずっと、この時を待っていたはずなのに、安紀に言われると、腹が立つ。タクシーの運転手は、えっ、ちょっと!お客さん、大丈夫ですか?と言う。お腹も痛くなってくるので、恵里菜は、「すみません、シートのお金は後で必ず払います。あと、何分で着きますか?」と慌てた口調で聞くと、もうすぐだよ。と、言われる。安紀は、「お母さんに連絡したら。」と冷静に言う。恵里菜は、力を込めないように息を整えるが、安紀を見ると怒りが湧いてきて、どうしても身体に力が入る。安紀は、「まだ水出てるの?」と澄まして聞いてくる。
病院に着くと、車椅子が用意させれていた。そこに座る、途端に運ばれる。安紀が付いてきているのが分かる。「帰って!」と言っても、届かない。恵里菜は、医者の説明を聞き、帝王切開に同意した。遠くで安紀が、ほらね、と言っているのが聞こえた気がした…。
子供は、無事、生まれた。恵里菜は、良かったぁ、と、今までの複雑な感情も全て報われた気がして、涙が溢れた。一瞬、安紀のことなど忘れて、しばらく、康人と遥菜の弟を見ていた。




