忘我
安紀は、実際、少しもてていた。端正な顔立ち、痩せてスラリとし、頭は、群を抜いて良い。常に冷静沈着。告白もされた。でも、安紀は、「僕は他の人と約束してるから。」と平気な顔で断った。余計、皆、夢中になった。誰も、安紀の過去を知らない。
恵里菜は、康人を抱っこして買い物に出かけると、安紀と同じ高校の制服を着た女の子がいるので、聞き耳を立てる。折しも「林先輩、かっこいいよね!」と言っている。「えっ、先輩って、同学年じゃん!」「みんな先輩って呼んでるよ。だって先輩って感じするじゃん!」と、きらきらした笑顔で、弾んだ会話をしている。康人が手に持っていたおもちゃを落とす。すると、その女子高生は、わざわざ腰を屈めて取ってくれる。恵里菜は、「ありがとうございます。」と短く言って、早足で外に出た。
安紀が来る日、恵里菜は、激しく安紀を誘惑して、安紀も、「何か今日違うね。」と言いながら、それに乗っていたが、恵里菜は、焦点が合わなくなってきた安紀に、「林先輩。」と短く呟く。安紀は、ぱっと目が覚めたような顔をして、「そんなに僕を疑うの?そんなに僕が信じられない?」と、真顔で、激しく詰め寄る。恵里菜は、「だって、安紀くん、もててるんでしょ?」と言う。安紀は、ため息をついて、「あんなもの、うるさいだけだ。」と言う。「嘘!」と恵里菜が言うと、「僕がいつ嘘をついた?嘘を言うのはいつも石川さんじゃない。」と言う。恵里菜は、「ひどい!」と言いつつ、安紀を刺激する。安紀は、怒ったような興奮したような、ごちゃまぜな顔になって、ひどく息切れする。
安紀は、とろりとした目で、「そうやって僕をからかって、勝ったつもり?」と聞く。恵里菜は、「うん。」と言う。安紀は、「やめて、話している途中だ。」と言うが、恵里菜は、やめないで、暫くしてから「いいよ。」と言う。安紀は、結局、それに従って、また、あの不定期な呼吸をする。
恵里菜は、意地悪をして、興奮を隠しながら、「誰とも話しちゃ、だめ…。私と新しい子どもだけを見て。いい?」と言うと、安紀は、また、一瞬呼吸を止めて、「限界かも。」と、ただ、報告する。
あまり気持ちよいとも思えないのに、安紀は、力が抜けて、次の瞬間には、満足げに寝ている。「ねぇ、約束、したよね?」と揺さぶっても、寝ているふりで黙っている。




