33.花嫁の装い
「……どうして? 私はちゃんと子どもを七人も産んだわ。お腹にもう一人いる! 私は立派に母親だわ!」
お母さんの叫び声を聞いて、おじいちゃんが悲しげに顔を歪めた。
「貴族ならば褒められたな。……だが、お前はもう平民だろう」
なんで……なんで……。
お母さんが何度も繰り返す。
「えっと、貴族なら褒められたの? 平民だと喜べないの?」
どうして違いがあるように話すのかが分からず質問した。すると、おじいちゃんの眉が下がった。
「純粋に分からないから聞いただけで、傷つかないから教えてください」
合ってるかな? たぶん、私が傷つくから困っているのだと思ったのだけど。
すると、おばあちゃんが説明してくれた。
「基本的に貴族の妻は、跡取りを産むことを一番に求められるわね。まずは男児を望まれ、家の資産となる娘ももちろん喜ばれるわ。でも、平民だと収入に限りがあるでしょう。食い扶持が増えれば、それだけ家計を圧迫するから、両手を上げて喜ぶことは難しい場合もあるでしょうね」
そうよね。我が家は子どもが七人。家計はいつもギリッギリで蓄えなどないもの。それにしても。
「……資産?」
「もちろん、物として扱うわけではないわ。それでも、家を繁栄させるための婚姻は結びます。私とアルバートだってそうよ? そこから信頼関係を結び、家族を作り上げる。そういうことですよ」
そうか……。資産だからきれいに磨き上げるのかな。だからお母さんは生まれてからずっと大切に、美しく保たれていたの?
「……じゃあ、お母さんは家を出たときに、磨き上げられるのをやめないといけなかった?」
「フィリシア! 家を出てもソフィアはソフィアだ!」
「うるさいですよ、ルパートさん。フィリシアの考えを邪魔しないで。この子なりに、あなたたちのこれまでのことを理解しようと努力しているのです。今からはあなたに発言を許しはしません」
「ですが!」
「平民落ちしたくせに、いつまでもソフィアにだけ貴族の暮らしをさせようとするあなたに疑問を感じることの何が問題ですか。お前のわがままは度を越していますよ! そもそも、ソフィアを貴族ではいられなくしたのはあなたでしょう!」
おばあちゃんが本気で怒った。
本当はずっとずっと怒っていたのかな。お父さんたちが家出した日からずっと、この怒りを忘れていなかったのかもしれない。
……それは、とっても悲しいよ。
「確かにむずかしい子だった。それでも、幸せになってほしいと願っていたの! それを! こんな十五歳の少女の気持ちのまま、まったく成長していない愚か者にして! 自分の娘から搾取していることにすら気づかず、貴族ごっこを続けて、子どもたちには母親という名前の生き物としか思われない存在に貶めて! あなたは! 一体何がしたかったの⁉」
お母さんは『お母さん』だ。
でも、私を育ててくれたのは誰かと聞かれたら、ご近所のおばちゃんたちだわ。
産んでくれたことはもちろん感謝しているし、きれいなお母さんが嫌いなわけではない。
だけど、同じ家にいても違う世界にいるみたいな人だ。
おじいちゃんがおばあちゃんの肩を優しく撫でた。
お父さんの顔は青ざめ、お母さんは……何を言われたのかわからないといったように、ぼんやりと小首をかしげた。
「ごめんなさいね、フィリシア。できればこの子に自ら気づいてほしかったけど、だめだったわ」
おばあちゃんがおじいちゃんの手を握った。
そうだね。こういうときに、信頼できる人の手は心強いよね。
おじいちゃんも、そんなおばあちゃんの手にもう片方の手を重ねた。おじいちゃんたちは、ちゃんと信頼を重ねてきたんだ。
「……私達は待っていたんだ。いつか、お前たちが自分の足でこの屋敷に訪れることを。……そんな、夢みたいなことを願っていたことが罪だったのだろうな」
違うよ、おじいちゃん。私だって考えもしなかった。
おじいちゃんたちがいることを知っていたのに、お父さんたちが身勝手に飛び出してきたことだって知っていたのに。
こうして自分が困って、初めて会いに行こうと思ったのだから、ひどい孫だ。
「おじいちゃん、ごめんね? もっと早くに来たらよかった」
「お前がこうしてきてくれたから、こうして馬鹿娘を叱ることができたんだ。……よくぞ頑張ってくれた。感謝する」
おじいちゃんが近くにいた使用人に声をかけ、マチルダさんを呼ぶように指示を出した。
「……ねえ、ルパート。私はどうしてこんなにも叱られるのかしら。私たち、そんなにも悪いことをしたの?」
「ソフィア……」
お母さんがお父さんにすがりついた。
「私は子どもたちにひどいことはしていないのに、いつだって優しくしていたはずなのに、どうして? あれもだめ、これもだめとか厳しくもしなかったわ。……それなのに、おかしいわよね?」
子どものような繰り言に、お父さんは何も答えることができず黙り込んだ。
そうして、誰もが黙り込んでしまったお部屋にマチルダさんがトレーを持って現れた。
トレーの上には──はさみ?
あれは昨日私の髪を整えてくれたときに使ったものではないだろうか。ほら、その横にはブラシもある。その隣にあるのは爪切り鋏だろうか。
「ソフィア。さあ、ここに座って?」
おばあちゃんが一人掛けの椅子を示した。
お母さんと一緒にお父さんが腰を浮かせたけど、おじさんに止められる。
「今から一言も喋るな。動くな。息は……許すが、少しでも邪魔をしたら、貴様は罪人として採掘場送りにするからな」
……こわっ! 息すら止めようとした!
「お母様? どうしたの?」
言われるがまま腰掛けはしたが、不穏な空気は感じているみたい。
そんなお母さんの問いかけには応えず、おばあちゃんがブラシを手に取り、お母さんの髪を梳かし始めた。
「……きれいな髪だこと。本当に愛されていたのねぇ」
「そうよ? ルパートは本当に素敵な旦那様なのよ? ようやく分かってくださったのね」
「……ええ。もう、あなたたちの結婚に反対はしません。ちゃんと彼の妻にふさわしい姿に整えてあげるわ。……十五のあなたにはできなかったものね」
「本当? 嬉しいわ、ありがとう!」
お母さんが嬉しそうに笑った。おばあちゃんも優しく微笑み返し、丁寧に髪を梳かし続ける。
「あなたの娘にも頼まれたわ。あのとき一緒に過ごすことのできなかった成人までの数日を、今やり直してほしいのですって。……ちゃんとあなたを送り出す機会をもらえたの。ありがたいことだわ」
美しい髪を梳かし終えると、ブラシを置き──
『シャキリ』
はさみに持ち替えたおばあちゃんは、戸惑い一つなく、お母さんの髪を切り落とした。




