26.この手何の手気になる手
お父さんが青ざめた表情で、みんなを見ている。
そんなにも驚いたの? もしかして、お父さんの中でのお母さんは、もっと『素敵なお母さん』だったのだろうか。
お父さん。現実を見よう?
つい、呆れて漏れそうになった溜息を噛み殺しつつ、お母さんを見た。
……ああ、お母さんは、まるで──
「まあ。なんだか照れてしまうわね!」
そう。お母さんは、まるで花が咲いたような笑顔だった。
「ソフィア……? どうしてそんな」
「あら。ルパートったら照れているの? んふふっ、でも残念でした! 子どもたちにはお見通しだったみたい。あなたの最愛が誰なのか」
嬉しそうに頬を染め、お父さんを見つめる眼差しには、私の知らない熱量があった。
これこそが『真実の愛』なのだと、かけらも疑うことなく信じているのだろう。
「……そうか。お前は本当に変わっていないのだな」
おじいちゃんの言葉は、誰かが拾い取る前に、元気に打ち鳴らされたノック音にかき消された。
「準備ができたから、子どもたちは食堂に移動するわよ!」
ベティさんとランディさんが迎えに来てくれたみたい。でも、みんなが私のほうを心配そうに見てきた。
「さっき言ったよね。私はみんなで幸せになるためにここに来たの。絶対にもうみんなを置いていかないから。だから、美味しいココアを飲んで待っていてくれる?」
「……わかった。じゃあ、みんな行こう。姉ちゃん、また後でな!」
よかった。誰かぐずるかと思ったけど、何とかなったみたい。私はみんなに手を振った。
みんなが出ていくと、応接室は張り詰めた空気に包まれた。
「ソフィア」
おじいちゃんがお母さんを呼んだ。
「……お前は、ずいぶんとみっともなくなったな」
この言葉、さっきも聞いたなと思った。
自分の髪を触る。
最初はやっぱりショックだった。
でも、とっても身軽になった。
レイさんやおじさんに男の子だと思われて、やっぱりちょっとだけ傷ついて。
だけどね? 今日の私はもう悲しくはなかった。
ブルーのリボンで結ばれたこの髪が誇らしかった。
──じゃあ、お母さんは?
「伯爵さま! 今の言葉を取り消してください!」
お母さんが反応するよりも早く、お父さんが叫んだ。
ずっとずっと、お母さんを『美しいソフィアさん』でいられるように努力してきたのはお父さんだ。
でも、そんなお父さんのことをおじいちゃんは呆れ返った顔で見返した。
「お前も時が止まっておるのか」
「……は?」
「爵位など、とうの昔にパーシヴァルに譲った。お前たちは、そんなことすら知らずに生きてきたのか」
「……それは、大変失礼を」
お父さんがもごもごと言い訳をしているのを見て、おばあちゃんがクスッと笑った。
「男の方は駄目ねぇ。その場に見合った美しさというものが分からないのだもの」
おばあちゃんの言っている意味がわからないのだろう。お父さんが困った顔をして、それでも何とか言葉を紡ぐ。
「……私は、伯爵家と同等とは言えませんが、自分に成し得る限りの愛を、ソフィアには捧げてきたつもりです」
お父さんが真剣な眼差しで訴えた。
いつもはお茶目なおばあちゃんが、すっごく冷たい眼差しのまま、口元にだけ笑みを乗せた。
「そう? ではそのソフィアとは、どんなソフィアなのかしら?」
「……は。それは……、私の妻としてと言いますか」
「なあ、おっさん。家出して何年経った?」
おばあちゃんの質問の意味が分からず、うろたえるばかりのお父さんに、レイさんが問いかけた。
……今のは、問いで合っているかしら。
破落戸レイさんがお父さんを真っ直ぐに見据えている。
「フィリシアが十五歳。ようするに、家を出て十五年以上だ。俺達がこうしてアンタと変わらないくらい大きくなれるくらいの年数が経った。──で? そこのおばさんは、何も変われなかったのか?」
……レイさんは的確だなあ。
おじいちゃんやおばあちゃんが言わんとしていることを、誰にでもわかるくらいはっきりと示してくれた。
「お父さん。これ、なーんだ!」
私はお父さんの顔の前に両手を広げた。
昨日も今日も、マチルダさんが何度も私の手に傷薬やクリームを塗りこんでくれた。
でも、たった一日でひび割れた指がきれいになるはずはなくて。
「さて、質問です! どうして私の手は、お母さんとは違うのでしょうか!」
さあ、ちゃーんと考えよう?




