27.ルパートの幸福な日々
目の前に差し出されたフィリシアの手。
生まれたときはあんなにも小さかった手が、今では美味しい料理を作り上げ、家族のために頑張る手に変わっていった。
その証のように荒れた手を見て、親としての不甲斐なさと、そんな親孝行の娘に育ってくれた感謝の気持ちが込み上げて来る。
思わず走馬灯のように、ソフィアを連れてこの伯爵家を飛び出してからの半生が蘇った。
「私はあなたと離れるなんて堪えられない。他の人に嫁ぐなんて無理よ……」
ソフィアの瞳から流れる涙は、まるで宝石のようだ。
見かけの儚さからは考えられないほどの激情をはらんだ彼女のいびつさを、私は心の底から愛していた。
ソフィアは人付き合いがうまくない。
なぜなら、彼女に必要なのは、愛も関心も、そのすべてを捧げる覚悟のある人間だけだからだ。
そして、私の愛を彼女は認め、受け入れてくれた。
……そんな彼女が私の胸に飛び込んできてくれたのだ。何を恐れることがある?
その時の私は、まるで天啓を得たかのように、普段からはありえないほどに素早く脱走計画を立て、彼女を攫った。
伯爵には申し訳ないが、彼女の持っていた宝飾品を売った。彼女が心のままに生きるためだ。許してほしい。
長旅は心身ともに負担が大きいし、何か不測の事態が起きたときのことを考えて、王都からあまり離れていない町に腰を下ろした。
「お前さんたちは駆け落ちか」
……一発でバレた。
「はい。どうしてもこの人と添い遂げたかったのです」
ソフィアは隠しだてしなかった。
その真っ直ぐな眼差しから、彼女の覚悟を悟ったのだろう。問題を起こさないようにとだけ釘を刺されながらも、この町で暮らすことを許された。
それからの毎日はただがむしゃらに働いた。
彼女に苦労を掛けたくはなかった。笑顔を曇らせたくなかった。
どれほど疲れようとも、ソフィアが幸せそうに笑いかけてくれるだけで、明日も頑張ろうと笑うことができた。
初めての妊娠と出産は、私はあまりにも役立たずだった。
町のみなさんが助けてくれなかったら、どうにもならなかっただろう。
生まれた赤子は本当に可愛らしくて、私は大泣きした。産婆さんに赤ちゃんを驚かせるなと叱られたほどだ。
名前をフィリシアとつけた。
その意味は『幸福』だ。
私たちの愛の結晶であり、幸せを体現した女の子。
私たちは幸せだ。心からそう思った。
フィリシアは病気一つなく、すくすくと育った。やはりご近所のみなさんの手助けを受けながらではあったが、その好意をありがたく受け取った。
みんなに愛され、のびのびと育つ姿を見ることができる毎日は本当に楽しいものだ。
そしてソフィアは、より一層慕わしくなった。
ご近所のみなさんのおかげか、それともフィリシアの母になったためなのか、彼女は以前よりも穏やかになった。
ご婦人たちにお叱りを受けることもあるようだが、伯爵家にいたころのように癇癪を起こすことはなくなった。
ここでの暮らしが間違ってはいなかったと思える日がこんなにも早くに来るなんて。
思わず涙ぐんでしまうと、ソフィアがおかしそうに笑う。
久しぶりに燃え上がり、第二子を授かった。
フィリシアはまだ幼いのに、とってもいいお姉さんだった。
そうして少しずつ家族が増えていくと、フィリシアは率先して家の手伝いをしてくれるようになった。
「フィリシアは本当にえらいな。ありがとうな」
ソフィアと同じ色の美しい髪は、子供だからだろうか。ふわふわと柔らかく、撫でてやると花が咲くように笑った。
「……そうか。お前が生まれてから、もう十五年も経ったんだな。……こんなにも素敵な女性になっていたのに、お父さんはちっとも気づかなかったよ」
目の前にある手をそっと握る。
次の瞬間、強い衝撃が私を襲った。
「ルパート⁉」
ソフィアの悲鳴が響いた。返事をしなくてはと思うものの、視界が揺れる。
「……は?」
気づけば床に転がっていた。
目の前で仁王立ちをしている人物を見上げる。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまでとは」
「……パーシヴァル……さま?」
私は今……殴られたのか?




