21.大船とはどんな船?
早朝の小さな冒険は、マチルダさんの登場によって早々に終わりを迎えた。
「お嬢様! 何という格好で歩き回って──いえ、駆け回っているのですか!」
「おはようございます、マチルダさん。でも、昨日着ていた服がなかったし、この寝間着のほうが立派かなって」
「どれほど立派でも寝間着は寝間着でございます。さあ、お部屋に戻ってお着替えをしますよ!」
そもそも、お嬢様ではないと言っているのに。いつもは洗いざらしの木綿の服を着た平民だよ? と伝えたけれど、女の子は誰でもお嬢様なのだと押し切られた。
部屋に戻ると、今日はきれいなブルーのワンピースを着せられた。短い髪も丁寧に梳かし、サイドを編み込んでくれた。
ワンピースと同じ色のリボンが耳の横で揺れて、少しくすぐったかった。
「……どうしよう、マチルダさん」
「どういたしました? 編み方がきつかったでしょうか」
「ううん。……あの、ありがとうございます! 昨日も今日もこんなに可愛くしてくれて」
「まあ、喜んでいただけたなら私も嬉しいですわ。でも、何がどうしようなのです?」
『どうしよう』は『どうしよう』なの。
まるで小さな子どもみたいな言い訳が飛び出しそうになった。
昨日はあんまりにもいっぱいいっぱいだったから自分でも分かっていなかった。……だけど。
「……お母さんの気持ちがちょっとだけ分かっちゃった。きれいや可愛いってうれしいんだね」
マチルダさんが少し驚いたように目を見開いた。でも、その瞳に私を馬鹿にした様子はない。
「……当然でございます。おしゃれは女の子の嗜みの一つですもの」
「たしなみ……。困ったわ、今までおろそかにしてきたのだけど」
思わずつぶやくと、マチルダさんの笑みが深まった。
「そうでしょうか? まあ、確かに髪を切りっぱなしのざんばらなままでお越しになったときは少し驚きましたが、少し整えただけで可愛らしいお嬢様になりました」
そういえばそうだったなと、昨日のことなのに色々とありすぎたせいで少し前のことみたいに感じる。
「お嬢様はきちんとご挨拶ができる、人を気遣うこともできる。なにより、誰かのために頑張ることができる素敵なお嬢様ですよ」
「……それ、可愛いとは違うよね?」
「あら。このマチルダの目には、とっても健気でいじらしい、可愛らしいお嬢様にしか見えませんねぇ」
そう言って、胸元のリボンを少し直してくれた。
マチルダさんの手はお母さんとは違う。
荒れてはいないけど、短い爪に少し厚くなった肌。どこかおばちゃんの手に似ている。
「……マチルダさんの手、好きだな。やさしいもん」
器用にくるくる動く働き者の手だ。
荒れていないお母さんの手は羨ましいけれど、そうなりたいとは思わないんだよね。だって、縫い物や刺繍しかできないのだもの。
「嬉しいことをおっしゃってくださったお礼に、何か温かい飲み物でも持ってまいりますわ。残念ながら日の出とともに起床される方はいらっしゃらないので、朝食はもう少しあとになりますから」
まあ。皆様とってもねぼすけさんなのね!
ふだんならお父さんがそろそろ朝食を食べ終わり、仕事に向かう時間だ。
みんなを乗せた馬車は、今どのあたりを走っているのかしら。ちゃんと眠ることはできた? 途中でお手洗いにいきたくなって困ってはいない? 朝ごはんは持って出たかな。
……どうしよう、私ったら、そこまでは支度してこなかったわ!
「お嬢様? どうされました?」
「朝ごはん、多めに用意はできますか⁉」
「……それはもちろん」
「あの、妹たちがお腹を空かせてやってくるかもしれないの!」
だって、最初はもっと早くに帰るつもりだったんだもん。王都が遠いことは分かっていた。でも、それでもちゃんと帰るつもりで──
「お嬢様!」
「あ、はい!」
「皆様のお食事に関しては、旦那様がご指示をしていますから大丈夫でございます」
「……ほんとう?」
「もちろんですよ。お嬢様は旦那様を頼られました。ですから、大船に乗ったつもりで、どん! と構えてお待ちくださいませ」
……船は乗ったことも見たこともないのだけど。




