闇夜に嗤う不穏……
獅子の姿と人の姿を抱く獅貴族の王国、ゼクレシアウォード……。
昼日中は熱い日差しに身を晒される事になるこの国だが、夜になると過ごしやすい冷たさを抱く気配が国全体を包み込み、ひとときの休息を民に与える。
酒場は夜通し盛り上がる人々の賑わいを暗闇の広がる通りへと伝え、それ以外の者達は自分の家に足を向け、朝日が窓辺を照らすまで心地良い眠りの中に。
平穏そのもの、不穏の足音など、まるで聞こえていない暢気な王都の様子に……、彼はそれを見下ろしながら嗤いを零した。
吸っていた葉巻の屑が、その先端から地上へと風に攫われながら舞い落ちていく。
「祭りの日が……、近づいてるねぇ」
女神フェルシアナに捧げる獅貴族の祭り。
それは数日間によって大きな賑わいを呼び、他国からの観光客も波のように流れ込んでくる。
そして、最終日にはこの獅貴族の幼い姫が女神の依代として舞を踊り、神の言葉を響き渡らせる、と……。それが本当に本物の女神かどうかも知らずに喜ぶこの国の民の顔を思い浮かべると、彼はどうしても嗤いを抑えられなくなってしまう。
平穏と平和が、永遠に続くと勘違いをしている浮かれた多くの命。
不穏と絶望の足音は、確実にこの世界へと迫っているというのに……、何も気付かない。
かつてこの地で、その国の民として生きていたはずの男は、何の情もなく嗤い続ける。
遠い昔……、自分という存在を不要のものとして消し去った、懐かしい国。
自分を騙し、破滅へと追いやった……、『彼女』の存在を強く感じられる、獅貴族の領域。
「もう~、ヴァルドナーツったら、何をやってますの~? アヴェルがカンカンですわよ~」
闇夜の中、遥か上空で佇んでいた彼の傍に、ふわりと空間を開いて現れた金髪の少女。
行動を共にしてもう長い時が経つが、相変わらず彼女の精神は無垢な子供のままだ。
一人の時間に興じていた彼、ヴァルドナーツは葉巻をまたひと口吸うと、「ごめん、ごめん」と、全く笑っていない目で、愛想よく返事を返した。
「仕事の準備、ちゃんと上手くいくかどうかマメな確認が必要だからね~」
祭りの最終日に備え、ヴァルドナーツは自身が仕えている神様の目的を果す為に仕掛けた仕事の最終確認を終え、そのついでに夜の散歩を楽しんでいた。
もうあと数日もすれば、祭りの幕が上がる……。
神様……、自分達がアヴェルと呼んでいる少年から与えられた個々の力を生かし、人々の喜びの声を絶望へと変える準備を終えた。
本来であれば、目的の物だけを回収すればいい話だが、ヴァルドナーツ達はそれに余興を加える事を好む。幸いな事に、今この地には、ウォルヴァンシアの者達が何人か滞在しており、彼らが大切にしている少女は……、また面白い事になっているようだ。
どうせなら、自分達が用意した『祭り』も楽しんでほしい。
「それに、今回は……、ようやく俺の望みを叶えてもいい、って、アヴェルが許してくれたからねぇ」
単独で動く事は出来ても、ヴァルドナーツも、その傍で溜息を吐いている金髪の少女マリディヴィアンナも、……アヴェルという神様との『約束』で、自分勝手な事は出来ない。
縛られている……、そう言ってもいいかもしれないが、いまだこの世界に留まっていられるのは、自分達に希望をくれた神様のお蔭だ。
それは、互いの願いを叶え合うという取引ではあったけれど、アヴェルは自分達を駒のようには考えず、同士として扱ってくれている。
古の時代、女神の魂が十二の形に分かたれ、災厄の道具と名付けられたそのうちのひとつ……。
ディオノアードの鏡が割れた事により、このエリュセードに飛び散った多くの欠片達。
それを回収する手助けをし、アヴェルの望む『復讐』を叶えさせる事……。
その手伝いをするだけで、自分達の願いが叶う。
ヴァルドナーツは王都の奥にあるゼクレシアウォード王宮に視線を向けると、マリディヴィアンナが絶句する程の、蕩けた笑みを浮かべた。
「ヴァ、ヴァルドナーツ……? どうしたんですの?」
「いやぁ~? 祭りの日が楽しみだな~と……、そう思ってねぇ」
アヴェルにとっては、仕事のついで。
けれど、ヴァルドナーツにとっては、恐ろしい程に長く、求め続けた……、成就の時。
ようやく許された、『彼女との再会』。
ヴァルドナーツは狂ったように喉の奥で嗤い続けると、恐る恐る寄ってきたマリディヴィアンナの手を取って、その小さな身体を星空の下で躍らせ始めた。
「ヴァルドナーツ!? な、何をやってるんですの~!!」
「ふふ……、もうすぐ、もうすぐなんだよ~。俺の愛する『彼女』が」
――もう一度、この腕の中に戻ってくる。
互いに愛を誓い合った関係であったはずなのに、自分を騙し、ゴミ屑のように捨て去った『彼女』が、もう一度、ヴァルドナーツの許へ……。
憎悪? 愛情? そんなもので、もう自分と『彼女』の関係性を表す事など出来はしない。
この胸の奥から溢れ出す『彼女』への想いは……、どんな言葉も意味をなさないのだから。
くるくるとヴァルドナーツによって踊らされているマリディヴィアンナは、彼の様子に眉を潜めている。
「ヴァルドナーツ、貴方の気持ちはよくわかりませんけれど、お仕事だけはきちんとやってくださいませね?」
「うんうん、それは勿論~! アヴェルとの約束だからね~」
守るも守らないもない。ヴァルドナーツ達は、アヴェルとの契約に逆らえはしないし、ようやく実現する最上の幸福を思えば……、裏切ろうなどと、思えはしないのだから。
神様を味方につけているからこそ、ヴァルドナーツはもう一度『彼女』をその腕に抱く事が出来るのだ。
(俺の愛しい人……、君の裏切りも、俺を捨てた訳も、全部許してあげるから)
――瞬間、ヴァルドナーツの顔に獣じみた狂気の笑みが浮かび、マリディヴィアンナが恐怖に全身を震わせた。
「ヴァ、ヴァルドナーツっ、こ、怖いですわっ。も、もうっ、離してくださいな!!」
骨を軋ませる程の力から、マリディヴィアンナは涙目でそう懇願すると、自分一人の世界に閉じこもり愉悦に浸っているヴァルドナーツに、本気で戦慄してしまう。
自分達の中で、一番底が知れない恐ろしい男……。
残虐な性質を抱くマリディヴィアンナでさえ、ヴァルドナーツが時折表へと出す一面は怖くて堪らない。
「うぅっ……、は、離してくださいですの~!!」
「お姫!!」
望みの叶うその瞬間に思いを馳せ狂気に嗤い続けるヴァルドナーツを、闇の中から現れた真紅の瞳の青年が雷撃を食らわせてマリディヴィアンアを助け出す。
我を失い、気が狂わんばかりに待ち続けたその時を前に、抑え込んでいた何もかもが溢れ出した仲間に、真紅の瞳の青年は鋭い眼差しを向ける。
「待ちきれないのはわかるがな? まだお前の仕掛けた仕事は始まってもいないし、完成してもいない。事前に気を抜くのは早いぞ」
「あ~……、ふふ、痛いなぁ。君だって、俺と同じように成就の時をアヴェルに許されたら……、こんな風に狂っちゃうよぉ?」
「お前は元から狂ってるだろうが……っ。お姫、暫くはヴァルドナーツに近づくな。いいな?」
「は、はいですわ……。うぅっ、こ、怖かったですのぉ~!!」
子供らしい大泣きと共にわんわんと声を上げるマリディヴィアンナを、真紅の瞳の青年はよしよしと甲斐甲斐しく慰める。
彼女の腕には、ヴァルドナーツが狂気に駆られて刻み付けた痛々しい赤の痕が……。
それを見ても、成就を目前とした男は何も思わない。
ただ心にあるのは……、ずっと求め続けてきた愛しい女性への想いだけ。
その目に宿る狂気は、誰が見ても……、愛しい人を大切に想う男のものではなく、憎悪と深い愛情が焼き切れて、恐ろしい結末を呼ぶ予感しか与えない。
自分達の中で、一番底が知れず、危険極まりない……、狂愛の魂。
真紅の瞳の青年はマリディヴィアンナをその腕に抱き上げると、一度アヴェルに相談するべきかと考え、その姿を闇に溶かした。
「俺の気持ちは……、ふふ、誰にわかるものでもない、かぁ~」
こんなにも高揚した気分は久しぶりだ。
ヴァルドナーツは新しい葉巻に火をつけると、愛しい人の名を囁き始める。
『彼女』と過ごした、遠い日の懐かしい思い出……。
あんなにも愛し合っていたのに、この国は自分達を引き裂いた。
『彼女』がヴァルドナーツを捨てるように、そう仕向けたのは、……この獅貴族の国。
あの時の報復を、祭りの最終日に、―― ……の、声、と、共に。
「早く最終日にならないかなぁ。『君』に相応しい贈り物を用意してあるんだよ? 喜んでくれるかなぁ……。いや、喜んでくれるよねぇ。俺の……、俺の……、――!!」
その音を聞けたのは、恐らく……、ヴァルドナーツと夜の美しい星空だけだっただろう。
隠し、誤魔化す能力を授かった狂愛者の声は、地上の者達には聞こえない。
一度箍が外れ、自身の心に抑え込んでいた狂気にその身を支配されたヴァルドナーツは、仲間達からも嫌悪される存在だ。誰よりも一番狂っている、普段は空の人形。
歪んだ想いに満たされたその時だけ、彼は生きていると言えるのかもしれない。
そして、ヴァルドナーツの狂気は、やがてこの国の者達だけでなく、幸希達の存在さえも呑み込んで、さらなる大きな歪みをもたらす事を、――誰も、知らないでいる。
というわけで、第四章、各ルート分岐前の話を完結させて頂きます。
現在、第四章の続きである、アレク・恋愛&本編ルート開幕中です。
『ウォルヴァンシアの王兄姫~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~』
http://ncode.syosetu.com/n5972cv/
(※ウォルヴァンシアの王兄姫シリーズ・リンクからもいけます)




