第7話 日常への帰還、と小さな影
里に戻った翌朝、陸は縁側で、久しぶりにゆっくりと朝日を浴びていた。
「若、お帰りなさい」
若い術師が、茶を運んできてくれる。陸は礼を言って、湯呑みを受け取った。
「亮太さんの容体は?」
「渚紗さんから連絡がありました。もう、普通に会話もできるくらいに回復しているそうです」
「そうか。よかった」
安堵の息をつく陸の隣で、巡が縁側にごろりと寝転がっていた。
「めぐ、行儀悪いぞ」
「疲れたの。海の中、寒かったし」
「金平糖、もう食べたのか」
「食べた。もう一箱ちょうだい」
陸は苦笑しながら、懐から予備の包みを取り出して渡した。
その日の夕方、陸は母屋で、叢雲と向かい合っていた。
「事件は、一段落したようだな」
「はい。ですが」
陸は、今回の一件で分かったことを、簡潔に報告した。因子への直接干渉、「足りない」と繰り返す何か、そして白澤が言っていた「他の場所でも増えている痕跡」。
叢雲は、湯呑みを傾けながら、黙って聞いていた。話を聞き終えても、しばらくは何も言わない。
「……父上?」
「案じていたことが、そろそろ動き出したのかもしれん」
叢雲は、ぽつりとそう言った。
「案じていたこと、とは」
「今は、まだ話す時ではない」
いつもの、多くを語らない答えだった。陸はそれ以上聞くことができず、ただ小さく頷いた。
「一つだけ、言っておく」
叢雲は、湯呑みを置き、陸をまっすぐに見た。
「お前が、今回のように動いたことは、間違っていない。これからも、その目と足を、大事にしろ」
その言葉に、陸は胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。父からこうして、はっきりと肯定される言葉をもらえることは、決して多くない。
「はい」
「下がっていいぞ」
会話は、それだけだった。だが陸にとっては、十分すぎるほどの言葉だった。
その夜、陸は自室で、何気なくスマートフォンを眺めていた。里の若い衆の間で、ちょっとした話題になっているという動画があると聞いて、開いてみる。
画面の中では、制服姿の女子高生が、古めかしい口調で喋りながら、器用にダンスを踊っていた。
『──妾は、負けぬぞ。この曲、伊達に千回は踊っておらんからの』
コメント欄は、笑いの絵文字で溢れている。
《なにこの子www》
《狐憑きって設定でバズってるらしいw》
《声出た》
陸も、思わず小さく笑ってしまった。
「なんだこれ」
「あ、それ知ってる」
いつの間にか部屋に上がり込んでいた巡が、画面を覗き込んでくる。
「最近、女子高生の間で流行ってるんだって。急に古い喋り方になったり、変なダンス踊ったりする子がいるとかって」
「狐憑き、ねえ」
陸は、動画をもう一度再生した。画面の向こうで、少女は楽しそうに、変わらぬ調子で踊り続けている。
「まあ、ただのネタだろ。都市伝説みたいなもんだ」
「だね」
そう言って、陸はスマートフォンを閉じた。
その画面の向こうにいる少女が、自分にとってどれほど深く関わる存在なのか──このときの陸には、知る由もなかった。
窓の外、夜空には、静かに月が昇っていた。穏やかな夜だった。だがその穏やかさの向こうで、遠く離れたどこかの街で、また新たな因子の痕跡が、静かに刻まれ始めていた。
(第8話へ続く)




