第5話 優しい掟
「亮太さんが、この隊に来たのは五年前です」
その夜、詰所の休憩室で、渚紗はぽつりぽつりと語り始めた。陸と巡は、温かい茶を挟んで、その話に耳を傾ける。
「最初は、正直、怖かったんです。あまりにも……"できすぎる"人だったから」
「怖かった?」
「はい。だって、普通じゃありえないでしょう。誰も助けられなかった深度から、平然と人を引き上げてくる。誰も潜れない時間、潜り続けられる。……最初は、化け物なんじゃないかって、本気で思いました」
渚紗は、少し寂しそうに笑った。
「でも、亮太さんは、いつも申し訳なさそうにしてたんです。誰かに褒められるたびに、居心地悪そうに。まるで、自分がそこにいることが、間違いみたいに」
陸は、その言葉に胸を突かれた。
「ある日、聞いたんです。なんでそんなに、自分を抑えてるのって。そしたら、亮太さん、こう言ってました」
渚紗は、その時の亮太の声を真似るように、少し声を落とした。
「──俺たちは、人の世界の"間借り人"だから。間借りしてる分際で、家主より目立っちゃいけないだろ、って」
その言葉に、陸は思わず目を伏せた。里で教えられてきた「人の範囲内で生きる」という掟。それを、亮太は自分なりの言葉で、ずっと大切に守り続けてきたのだ。
「亮太さんにとって、この隊は、特別な場所だったんだと思います」
渚紗は続けた。
「因子を持つ者同士、変に隠さなくていい。でも、力を振りかざす必要もない。ちょうどいい塩梅で、自分のままでいられる場所」
「その場所を、亮太さんは、大事にしていた」
「はい。だから……」
渚紗の声が、震える。
「だから、あの人が、自分から目立つような真似をするなんて、絶対に考えられないんです」
その夜遅く、陸は一人、崖の上に立っていた。
星明かりの下、海は静かに凪いでいる。だがその静けさの奥に、何かが潜んでいることを、陸はもう知っていた。
「亮太さん」
陸は、誰に聞かせるでもなく、呟いた。
「あなたが守ってきたもの、俺も分かるつもりです。……だから、必ず見つけます」
その時だった。
海面が、不自然に揺れた。波の動きとは違う、何か生き物が動くような、明確な揺らぎ。
「陸!」
いつの間にか隣にいた巡が、鋭く声を上げた。
海面から、何かがゆっくりと姿を現す。
──それは、亮太だった。
だが、陸が知る亮太とは、明らかに様子が違った。虚ろな目、力なく揺れる体。まるで意識だけが、どこか遠くに引き離されてしまったかのように。
「亮太さん!」
陸は崖を駆け下り、海へと駆け込んだ。冷たい水が全身を包む。だが構わず、亮太の元へと泳ぎ寄る。
「しっかりしてください、亮太さん!」
亮太の目が、わずかに動いた。焦点の合わない瞳が、一瞬、陸を捉える。
「……に、げ……ろ……」
かすれた声で、亮太はそれだけを絞り出した。
「海の底に……何か、が……」
そこで、亮太の意識は完全に途切れた。陸は、力の抜けたその体を、必死で抱きかかえる。
「巡! 手を貸してくれ!」
「うん!」
巡が駆け寄り、二人がかりで亮太を岸へと引き上げる。荒い息を吐きながら、陸は亮太の胸に耳を当てた。──息はある。とにかく、生きている。
だが、亮太が最後に残した言葉が、陸の耳の奥に、いつまでも重く響いていた。
海の底に、何かがいる。
それが何なのか、陸たちはまだ、知らない。
(第6話へ続く)




