第4話 痕跡の正体
海の中は、陸上とはまるで違う速さで時間が流れる。
巡を抱えるようにして、陸は海底へと潜っていった。水はまだ冷たく、視界も決して良くはない。だが陸自身、里の術で多少の無理は利く体だ。
「あそこ」
巡が指差した先、岩場の陰に、確かに何かの跡があった。
削れたような岩肌。まるで何か大きな力が、そこを掴んだか、引きずったかのような痕。
陸はその場に手をかざした。里で叩き込まれた、痕跡を読む術。指先に、じわりと何かの気配が流れ込んでくる。
(これは……)
複雑に絡み合った、いくつもの"匂い"。亮太のものらしき気配は、たしかにある。だがそれ以上に強く残っているのは、まったく異質な、これまで嗅いだことのない因子の残滓だった。
「陸、大丈夫?」
巡の声で、陸は我に返った。気づけば、軽い眩暈のようなものを覚えていた。
「ああ、平気だ。……ただ、この痕跡、俺たちの知ってるどの因子とも違う」
「うん。めぐも、そう思う」
二人は顔を見合わせた。海面へと戻る間、陸の脳裏には、白澤の言葉が繰り返し響いていた。
海の近くで、似たような痕跡が最近、他にも上がってきてる。
詰所に戻ると、渚紗が心配そうな顔で待っていた。
「何か、分かりましたか」
「亮太さんの他に、もう一つの因子の痕跡がありました。俺たちの知らないものです」
渚紗の顔が、さっと青ざめる。
「もう一つの……それって」
「まだ断定はできません。ですが」
陸は言葉を選びながら、続けた。
「亮太さんが自分から姿を消したわけではない、という可能性が高くなりました」
渚紗は唇を噛んだ。
「誰かが、亮太さんを……連れ去った、ってことですか」
「分かりません。ただ、亮太さんが最近言っていたという、『海の底が騒がしい』という言葉。あれは、この痕跡と何か関係があるのかもしれません」
陸はそう言いながら、スマートフォンを取り出し、再び白澤を呼び出した。
「白澤、追加で聞きたいことがある」
『はいはい、なに。今度は何くれるの?』
「海底で見つけた因子の痕跡について。俺たちの知らないものだった」
『ほう。それは、面白そうな話じゃん』
白澤の口調が、わずかに軽さを増す。好奇心をそそられている証拠だと、陸はもう分かっていた。
「詳細を伝える。代わりに、心当たりがあれば教えてくれ」
しばらく間があった後、白澤の返事が返ってくる。
『……うーん、正直、儂のデータベースにも、完全一致するものはない。でも』
「でも?」
『似たような"手触り"の痕跡、実はここ半年くらいで、じわじわ増えてきてるんだよね。しかも、海だけじゃない。山でも、街中でも』
陸は思わず、息を呑んだ。
「それは……つまり」
『さあ。儂にも、まだ全部は見えない。でも、一つだけ言えるのは──これ、単発の事件じゃない気がするってこと』
その言葉を最後に、通信は切れた。
夕暮れの中、陸は詰所の外で、一人考え込んでいた。
「陸」
巡が、隣にそっと寄り添う。
「大丈夫? めぐ、陸がそういう顔してるとき、ちょっと心配になる」
「……ああ、平気だ。ただ、少し嫌な予感がしてる」
陸は空を見上げた。夕焼けが、まだ赤く街を染めている。この穏やかな景色の裏で、何か大きな歯車が、静かに動き始めているような気がしてならなかった。
「亮太さんを、必ず見つける」
「うん」
「それに──もし、他にも同じことが起きているなら」
陸はそこで一度言葉を切り、拳を握った。
「それを、止めなきゃいけない」
巡は何も言わず、ただ小さく頷いた。海の向こうで、日が完全に沈もうとしていた。
(第5話へ続く)




