第44話 もう満足した
「なぜだ」
陸の声が、震えていた。
「せっかく、会えたのに。せっかく、母さんだと、分かったのに」
玉藻は、優しい眼差しで、陸を見つめた。
「陸。お前は、もう、妾がいなくとも、ちゃんと歩いていける」
「そんなこと……」
「叢雲が、ちゃんと、お前を育ててくれた。そうじゃろう?」
その一言に、陸は、言葉を詰まらせた。父の、不器用だが確かな愛情を、改めて思い出す。
「玲も、じゃ」
玉藻は、玲へと視線を移した。
「お前は、もう、誰かの"作品"でも、道具でもない。自分自身の足で、これから、自分の道を選んでいける」
玲は、唇を噛みしめながら、静かに頷いた。
「母さん、は……これから、どうするんですか」
その問いに、玉藻は、少し困ったように、それでいて、どこか楽しそうに笑った。
「さてな。またどこかの誰かに、ちょいと間借りさせてもらうかもしれん。今度は、女子高生じゃなく、案外、おじいさんかもしれんぞ」
その軽やかな物言いに、陸と玲は、思わず、涙の滲む目で、笑ってしまった。
「妾はな、この千年、ずっと、色んな景色を見てきた。楽しいことも、辛いことも、たくさんあった」
玉藻の声が、少しだけ、しみじみとした響きを帯びた。
「じゃが、今日、お前たち二人が、こうして、並んで立っている姿を見られた。……それだけで、もう、十分すぎるほどじゃ」
「母さん……」
「もう、満足した」
その一言に、陸と玲は、それ以上、何も言えなくなった。
玉藻は、静かに、二人に歩み寄ると、それぞれの頭に、そっと手を置いた。
「幸せに、生きよ。……妾の分まで、な」
温かい、しかし、確かに別れを告げる手のひらの感触。二人は、その温もりを、目に焼き付けるように、じっと感じ取っていた。
やがて、玉藻の体が、淡い光の粒となって、静かに空へと溶けていった。
「母さん!」
陸の叫びも、玲の伸ばした手も、その光を、掴むことはできなかった。ただ、光は、優しく二人を包み込むように、しばらく舞い続けた後、静かに、山の空へと消えていった。
風が、静かに吹き抜ける。剥き出しだった勾玉も、いつの間にか、その禍々しい輝きを失い、ただの、静かな石の欠片へと変わっていた。
「終わった、のか」
陸は、空を見上げたまま、呟いた。
「ああ」
玲が、静かに頷いた。
二人の頬を、涙が伝っていた。それは、悲しみだけでなく、長い長い因縁に、ようやく区切りがついたことへの、深い安堵の涙でもあった。
千年の時を経た物語が、今、静かに、その大きな一幕を閉じようとしていた。
(第45話へ続く)




