第36話 不完全な力
讓治の腕に、紫の光が這うように広がっていく。
「ぐ……ぅ」
低い呻き声と共に、讓治の姿が、変貌し始めた。皮膚の下に、何か歪な輪郭が浮かび上がり、瞳の色が、これまでとは全く違う、昏い光を帯びる。
「父上……!」
拘束具の中、朦朧としていた玲が、その様子に気づき、声を上げた。
「これが……真の力だ」
讓治の声は、二重に響くような、奇妙な歪みを帯びていた。
「陸、貴様には、これが見えるか」
「見える、って……」
問いかけた瞬間、陸は、視界の端に、奇妙な"揺らぎ"を感じた。まるで、讓治の輪郭が、もう一人分、重なって見えるような。
(これが、"見たら死ぬ"って力か……!)
咄嗟に、陸は目を逸らそうとした。だが、体の内側で、ある頭が、静かに、しかし確かな意志を持って、応えた。
(――大丈夫だ)
聞き覚えのない、しかし確かに自分自身の内から響く声。これまで一度も、はっきりと言葉を発したことのなかった存在。
「まさか……」
陸の瞳が、これまでにない色に染まっていく。だが、それは、他の頭たちのような荒々しさではなく、どこまでも静かで、しかし揺るぎない光だった。
第八が、初めて、目を覚まそうとしていた。
「な……に……?」
讓治の"見たら死ぬ"力を受けたはずの陸が、平然と立っている。その事実に、讓治の表情が、初めて動揺に歪んだ。
「効かない、だと……?」
「あんたの力は」
陸の声が、これまでと違う響きを帯びていた。まるで、複数の声が、重なり合っているかのような。
「誰かを傷つけるための力だ。……だが、こいつは違う」
体の奥から、力が満ちてくる。牙、剛、癒、疾、呪、静。これまで少しずつ積み重ねてきた、頭たちとの絆が、今、一つに束ねられていく感覚があった。
だが、それでも――讓治の力は、まだ完全な形ではなかった。急ごしらえの投与、不完全な適合。歪な力は、暴走の兆しを見せながら、辛うじて形を保っているに過ぎない。
「……くそ……ッ」
讓治は、苦悶の表情を浮かべながら、後退った。
「今日は、退く。だが……これで終わりだと、思うなよ」
その言葉と共に、讓治の姿は、黒い靄のようなものに包まれ、瞬時にその場から消え去った。
「玲!」
陸は、慌てて拘束具に駆け寄り、玲を解放した。
「……陸」
朦朧としながらも、玲は、確かに陸の名を呼んだ。
「大丈夫か」
「ああ……多分」
玲は、体を起こしながら、深く息をついた。
「父上は……」
「逃げた。だが、あの力、完全じゃなかった」
「完全じゃない、って」
「多分……もっと強い"何か"を、探してる」
陸の脳裏に、白澤との会話が蘇る。輪廻、憑依。そして――殺生石。
「巡、悠人、無事か」
「うん、平気」
「こっちも、無事だ」
二人の無事を確認し、陸は、深く息を吐いた。だが、安堵する間もなく、新たな不安が、胸に広がっていた。
(あいつは、次に、どこへ向かう)
その答えを、陸は、まだ知らなかった。だが、遠からず、それを知ることになる予感だけが、確かにあった。
(第37話へ続く)




