第32話 鷹宮、動く
夜遅く、玲の部屋に、静かなノックの音が響いた。
「玲、少しいいか」
鷹宮の声だった。玲は、隠していた資料を慌てて片付け、扉を開けた。
「こんな時間に、珍しいですね」
「話がある。……できれば、誰にも聞かれたくない話だ」
その言い方に、玲は緊張しながら、鷹宮を部屋の中へと招き入れた。
鷹宮は、扉を閉めると、しばらく無言のまま、玲を見つめていた。
「鷹宮さん?」
「玲。単刀直入に聞く」
鷹宮の声は、これまでになく真剣だった。
「お前、検体No.0について、何か知ったんじゃないか」
その一言に、玲の心臓が、大きく跳ねた。
「……なぜ、それを」
「勘よ。それに──あんたの父上が、最近、あの資料室への出入り記録を、妙に気にしていたから」
玲は、しばらく迷った末、静かに頷いた。
「検体No.0――玉藻という名の記録を、見つけました。それと、俺自身の記憶の中に、ある人物と、重なる断片があります」
鷹宮は、その言葉に、静かに目を伏せた。
「……やっぱり、そうか」
「鷹宮さんは、何もかも知ってるんですね」
「全部じゃない。でも、あんたが思ってるより、私は長く、この組織にいるから」
鷹宮は、椅子に腰を下ろし、静かに続けた。
「玲、これから話すことは、他言無用だ。……讓治さんの目を盗んで、話す」
「はい」
「玉藻という女性は、あんたの母親だ。そして、あの草薙という若者――陸の、母親でもある」
その言葉に、玲は、ついに、確信という形で真実を突きつけられた。
「……兄弟、ってことですか」
「そういうことになる」
鷹宮は、静かに頷いた。
「詳しい経緯は、俺にも全ては分からない。ただ、讓治さんが、玉藻さんを巡って、草薙の当主と争ったことは、確かだ。その結果として、玉藻さんは命を落とした――ということになっている」
「ということになっている?」
玲の問いに、鷹宮は、少し考えるような間を置いた。
「……讓治さんは、そう信じてる。でも、私は、そこに、ずっと違和感を持ってきた」
「違和感?」
「因子の安定度の問題だ。解析は完璧なはずなのに、いつまで経っても、正しく機能しない。……まるで、"本体"がどこか別のところにあるみたいに」
その言葉に、玲は、あの鏡に触れた時の感覚を思い出していた。誰かの記憶、海辺の景色。
「もし、玉藻さんが……」
「まだ、確証はない。だが、その可能性は、頭の隅に置いておいた方がいい」
鷹宮は、そう言うと、静かに立ち上がった。
「玲。讓治さんは、お前を、検体No.7と連動させようとしている。正直、これは危険だ」
「分かってます」
「無理だと思ったら、逃げなさい。私が、できる限り、時間を稼ぐから」
その言葉に、玲は驚いて顔を上げた。
「鷹宮さん、それは……」
「私にも、譲れないものがあるから」
鷹宮は、そう言って、静かに微笑んだ。その笑みには、これまで見せたことのない、母のような温かさが滲んでいた。
「今日の話は、忘れて。でも、心には留めておいて」
そう言い残し、鷹宮は静かに部屋を出ていった。
一人残された玲は、拳を強く握りしめた。
「兄弟……か」
その言葉を、何度も、口の中で繰り返す。信じがたい真実と、同時に、これまで感じてきた奇妙な既視感の、全てが繋がっていく感覚があった。
窓の外、雨は、まだ静かに降り続けていた。
(第33話へ続く)




