第20話 鷹宮の目
情報収集部門のフロアは、いつも通り、静かな喧騒に包まれていた。
鷹宮は、自分のデスクで、積み上げられた資料に目を通していた。玉藻計画──表向きの名称は、そう呼ばれている。だが、彼女の手元にある資料は、その表向きの名称からは、少しずつ、はみ出し始めていた。
「予算配分、また変わってるな」
呟きながら、鷹宮は画面をスクロールする。研究開発費のうち、"九代目関連"の項目だけが、この半年で不自然に膨れ上がっていた。他の因子研究の予算を圧迫してまで、だ。
「讓治さん、必死ね」
誰に言うでもなく、鷹宮はそう呟いた。
組織全体としての大義名分は、あくまで「国防」だ。多様な因子を、バランスよく研究・運用すること。だが、この予算の偏り方は、明らかにそのバランスを欠いていた。
(まるで、他のことなんて、どうでもいいみたいに)
鷹宮は、引き出しの奥から、古い紙の資料を取り出した。何年も前、まだ玲が幼かった頃の、当時の記録だ。
そこには、今よりずっと、穏やかな筆致の讓治の手記が残されていた。
『息子には、無理をさせたくない。因子の発現は、あくまで自然に任せるべきだ』
その一文を、鷹宮は何度も読み返した。今の讓治からは、想像もつかない言葉だった。
「いつから、変わったんだろうね」
鷹宮の脳裏に、ふと、あの日の光景が蘇る。幼い玲が、仲間から金平糖を分けてもらい、無邪気に笑っていた、あの瞬間。そして、それを知った讓治が、烈火のごとく玲を叱責した、あの夜。
(あの日から、だ)
あの日を境に、讓治は、明らかに変わった。息子の自然な感情を、まるで許されない過ちであるかのように扱い始めた。力を、管理すべきもの、完成させるべきものとして、より強く固執し始めた。
鷹宮は、資料を静かに閉じた。
「証拠が、足りない」
呟きながら、鷹宮は新たなファイルを開いた。玉藻計画の予算、九代目に関する測定データ、そして──讓治個人の、私的な行動記録。
これらを、時系列に沿って整理していけば、いずれ、何かが見えてくるはずだった。
その日の午後、鷹宮は廊下で、讓治とすれ違った。
「鷹宮、精が出るな」
「讓治さんこそ。相変わらず、お忙しそうで」
「玉藻計画のことでな。……もうすぐ、大きな進展がありそうだ」
その言葉に、鷹宮は内心、緊張を隠して微笑んだ。
「楽しみにしています」
讓治は、満足げに頷くと、去っていった。その後ろ姿を見送りながら、鷹宮は小さく息を吐いた。
(大きな進展、ね)
それが何を意味するのか、鷹宮にはまだ分からない。だが、良い兆しではないことだけは、確信していた。
夜、鷹宮は一人、自宅で古い写真を眺めていた。そこに写っているのは、まだ幼い、自分の息子の姿だった。
(あの子とは、もう何年、まともに話してないんだろう)
仕事にかまけて、気づけば、大切なものから目を逸らし続けていた。玲を見ていると、時々、その事実を、嫌でも突きつけられる。
「私も、人のこと言えないか」
自嘲するように呟いて、鷹宮は写真をそっと仕舞った。
だからこそ──せめて、目の前にいる、あの九代目と呼ばれる少年だけは。
鷹宮は、静かに決意を固めた。
(第21話へ続く)




