第18話 叢雲の名を持つ剣
「今日から、しばらく稽古の内容を変える」
朝の空気がまだ冷たい時分、叢雲は道場の中央で、陸にそう告げた。
「稽古、ですか」
「ああ。お前に、伝えておかねばならないものがある」
叢雲は、床の間の奥から、古びた木箱を運んできた。手つきは、いつになく丁寧だった。
蓋を開けると、中には一振りの剣が納められていた。刃こぼれ一つない、しかしどこか、ただの鉄とは違う気配を纏った剣。
「これは……」
「天叢雲。この里が、代々守ってきた神器だ」
陸は、思わず息を呑んだ。話には聞いていた。だが、実際に目にするのは、これが初めてだった。
「触れてみろ」
「良いんですか」
「お前のための剣だ。いずれ、そうなる」
陸は、恐る恐る、柄に手をかけた。触れた瞬間、指先から、何か温かいものが流れ込んでくる感覚があった。
同時に、体の奥で、オロチの頭たちが、一斉にざわめいた。
牙の頭が、明らかな警戒の唸りを上げる。剛の頭は、逆に落ち着かなげに、身を縮めるような気配を見せた。普段は滅多に声を発さない静の頭さえも、珍しく、はっきりとした緊張を纏っている。
(こいつら……この剣を、知ってるのか)
戸惑う陸の内側で、ただ一つ、癒の頭だけが、どこか安堵したような、静かな気配を見せていた。
「……熱い」
「それは、剣が"応えて"いる証だ」
叢雲は、静かに続けた。
「この剣は、ただの武器じゃない。因子を宿した、生きた神器だ。解析でどうにかなるものじゃない。付き合い方を、体で覚えるしかない」
「付き合い方、ですか」
「そうだ。抑えつけるのでも、力任せに振るうのでもない。……委ねることだ」
その言葉に、陸はふと、オロチの頭たちとの日々を思い出した。牙の頭、癒の頭、静の頭──それぞれの気配と、少しずつ向き合ってきた日々。
「この剣を通じて、俺は、お前の祖父から、その前の代から伝わる、扱い方を教わった。今度は、俺からお前へ、伝える番だ」
「父上」
陸は、剣を握りしめたまま、叢雲を見た。
「なぜ、今なんですか」
叢雲は、少しの沈黙のあと、静かに答えた。
「お前が、あの男──三輪玲と関わり始めたからだ」
その名を聞いて、陸の心臓が、大きく跳ねた。
「あちらの家にも、対になる神器がある。名も、扱い方も、まるで違う形でな」
「対になる、神器」
「うむ。……いずれ、お前たちは、それぞれの神器を通じて、向き合うことになるだろう。その時に、何も知らないままでは困る」
叢雲は、そこで一度言葉を切り、陸の肩に手を置いた。
「この剣を、正しく扱えるようになれ。それが、お前自身を守ることにも繋がる」
陸は、剣を強く握りしめた。手のひらに伝わる熱が、まるで、何か大きな約束を交わしているかのように、じんわりと広がっていく。
「はい」
「今日から、毎朝この稽古を行う。……長い道のりになるぞ」
「望むところです」
叢雲は、その返事に、わずかに口の端を緩めた。それが、陸にとって、久しぶりに見る、はっきりとした父の笑みだった。
稽古を終えた後、陸は縁側で、汗を拭いながら息をついていた。
「疲れた?」
巡が、冷たい麦茶を運んできてくれる。
「ああ、正直、へとへとだ」
「頑張ったね。……はい、これも」
巡は、ポケットから小さな包みを取り出し、金平糖を一粒、陸の手のひらに乗せた。
「疲れた時は、糖分」
「お前が食べたいだけだろ」
「それも、ちょっとある」
陸は苦笑しながら、金平糖を口に含んだ。ほのかな甘さが、疲れた体に染み渡っていく。
「頑張ったね」
陸は、剣を膝の上に置いたまま、その刃を見つめた。
「めぐ、この剣、あっちにも対になるものがあるらしい」
「うん、聞こえてた」
「そっちは、どんな形をしてるんだろうな」
陸の呟きに、巡は少し考えるような顔をして、それから静かに言った。
「多分……ぜんぜん、違う形をしてると思うよ。あっちは、あっちのやり方で、扱ってきたはずだから」
その言葉に、陸は妙に納得した。同じ根から生まれたはずのものが、まるで違う形になって、それぞれの場所で受け継がれている。
──それは、まるで、自分たちと三輪玲の関係そのもののようだった。
(第19話へ続く)




