第17話 交わり始める道
翌朝、陸は改めて、母屋の叢雲のもとを訪れていた。手には、あの写真のコピーを持っている。
「父上」
叢雲は、写真を一目見るなり、静かに目を閉じた。長い沈黙が、部屋を満たす。
「……その男の名を、知りたいか」
「はい」
叢雲は、湯呑みを置き、久方ぶりに、はっきりとした声で言った。
「三輪玲。あの警備会社、三輪の家の跡取りだ」
「三輪、玲……」
その名を、陸は口の中で繰り返した。
「父上は、いつから知っていたんですか」
「随分と、昔からだ」
叢雲は、遠くを見るような目をした。
「お前とあの子は、幼い頃、一度だけ会ったことがある。詳しいことは、まだ話せない。だが──」
叢雲は、そこで一度言葉を切り、静かに続けた。
「あの子は、決して、お前の敵として生まれたわけじゃない。それだけは、覚えておいてくれ」
その言葉の意味を、陸はまだ、完全には理解できなかった。だが、確かなことが一つあった。
自分と三輪玲の間には、何か、単なる偶然では片付けられない繋がりがある。それを、父はずっと前から知っていながら、あえて語らずにいたのだ。
その日の夕方、陸は縁側で、悠人と巡と共に、静かな時間を過ごしていた。
「結局、俺は、しばらくここに世話になっていいのか」
悠人が、少し遠慮がちに尋ねる。
「ああ。狙われてるなら、下手に一人で戻る方が危険だ」
「……恩に着る」
悠人は、そう言って小さく笑った。
「にしても、妖怪の因子だ、平安の因縁だって、正直まだ実感が湧かない。俺には、そんな特別な力なんて、ないと思うんだけどな」
その呟きに、陸は何も言わなかった。ただ、心の中で、小さな違和感だけが、静かに残り続けていた。
同じ夕暮れ時、施設の一室で、玲もまた、一枚の報告書に目を通していた。
『情報屋"夜行主"、行方不明。回収失敗』
差出人の欄には、鷹宮の名前があった。玲は、その文字をしばらく見つめた後、静かに報告書を閉じた。
(あの男が、絡んでいるのか)
理由は分からない。だが、玲の中では、あの夜出会った男の存在が、日に日に大きくなっていくのを感じていた。
コンコン、と扉が鳴る。
「九代目、父上がお呼びです」
玲は、静かに立ち上がった。父の元へ向かう足取りは、いつもより、わずかに重かった。
父の執務室、讓治は玲を迎えると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「玲、話がある」
「はい」
「例の、分家の動きが、活発になっている。もうすぐ、お前にも本格的に、動いてもらうことになるだろう」
その言葉に、玲の中で、何かが静かに強張った。
「……分かりました」
「案ずるな。お前なら、必ずうまくやれる」
讓治は、そう言って、玲の肩に手を置いた。優しい仕草だった。だが玲は、その手のひらから伝わる温もりの奥に、これまで感じたことのない、微かな冷たさを感じ取っていた。
同じ空の下、里で静かな夜を過ごす陸と、施設で父の言葉を受け止める玲。
二人はまだ、互いの本当の関係を知らない。だが、確実に、二つの世界は交わり始めていた。
海の底に潜んでいたもの。都市の奥で進められている実験。そして、千年の時を経て、再び巡り合おうとしている、二つの因子。
その先に待つものが何なのか──それは、まだ誰にも分からなかった。
(第2部・完)




