第13話 退けず、深入りもできず
里に戻った陸は、その夜、なかなか寝付けずにいた。
目を閉じるたび、あの男の顔が浮かぶ。名も知らない、けれど確かに何かを感じさせる、あの静かな眼差し。
「起きてるの?」
隣の布団から、巡が小さく声をかけてきた。
「ああ。……悪い、起こしたか」
「起きてたから平気。めぐも、あんまり眠れなくて」
二人は、しばらく黙って天井を見つめていた。
「陸」
「なんだ」
「あの人、悪い人じゃない気がする」
巡のその一言に、陸は少し驚いて体を起こした。
「なんでそう思うんだ。黒服たちと、一緒にいたのに」
「わかんない。でも……なんか、あの人自身は、辛そうな顔してた気がする」
陸は、あの男の表情を思い出そうとした。だが、闇の中でのわずかな邂逅では、そこまで読み取る余裕はなかった。
「めぐの勘、当たること多いもんな」
「今回はまだ、勘とも言えないけど」
巡は、そう言って小さく笑った。だがその笑みには、いつもより幾分か、翳りがあるように陸には見えた。
一方、施設のある一室で、玲もまた、眠れぬ夜を過ごしていた。
『九尾因子──安定度、七十一パーセント。前回計測より、大幅増』
昼間の測定結果が、頭の中で繰り返し響く。あの男と対峙した直後から、明らかに数値が変わっていた。研究員たちは色めき立っていたが、玲自身は、その変化を素直に喜べずにいた。
(何なんだ、あの気配は)
胸の奥で、確かに何かが目を覚ましていた。これまで感じたことのない、強い疼き。それは苦しみに近いようでいて、同時にどこか──懐かしさにも似た感覚だった。
コンコン、とノックの音がした。
「九代目、まだ起きていますか」
鷹宮の声だった。玲は少し迷った末、扉を開けた。
「珍しいですね、鷹宮さんが直接来るなんて」
「たまにはね」
鷹宮は、玲の顔を一瞥すると、小さくため息をついた。
「あんまり、いい顔してないな」
「そうですか」
「今日の作戦のこと、報告書は読んだ。単独で接触したんだって?」
玲は答えなかった。鷹宮は、それ以上追及することなく、静かに続けた。
「別に、咎めるつもりはないのよ。……ただ」
鷹宮の目が、わずかに細まる。
「無茶はしないで。あんたは、まだ知らないことが、多すぎる」
その言い方に、玲は微かな違和感を覚えた。
「鷹宮さんは、何か知ってるんですか」
「さあね」
鷹宮は、はぐらかすように笑った。だがその笑みの奥に、何か言い淀んでいるものがあることを、玲は感じ取っていた。
「今日は、もう休みなさい。父上には、うまく報告しておくから」
「……ありがとうございます」
鷹宮が去った後、玲は再び一人になった部屋で、窓の外を見つめた。
遠く、夜空の下に広がる街の灯り。その先のどこかに、あの男がいるはずだった。
「お前は、何者なんだ」
呟いた声は、静かな部屋に、ただ虚しく溶けていった。
翌朝、陸は里の縁側で、一人ぼんやりと空を眺めていた。事の次第は、昨夜のうちに白澤へ報告済みだった。
黒服との戦闘。そして、あの名も知らぬ男との邂逅。得られたものは多いはずなのに、心の中には、解けない霧のようなものが、いつまでも残り続けていた。
「若、当主様がお呼びです」
術師の声に、陸は静かに立ち上がった。
母屋へ向かう足取りは、いつもよりわずかに重かった。あの男について、父が何か知っているのではないか──そんな予感が、拭えなかったからだ。
(第14話へ続く)




