第12話 もう一人の"自分"
黒服たちが姿を消した後も、陸はしばらくその場を動けずにいた。
「陸、行こう。ここにいたら、また戻ってくるかも」
巡に促され、陸は工場の外へと足を向けた。だが、門を出たところで、陸はふと足を止めた。
「……誰かいる」
門の脇、闇の中に、一つの人影が立っていた。
黒服の一団とは、明らかに纏う空気が違う。整った身なりの、若い男。年の頃は、陸とそう変わらないように見えた。
「あんたは……」
陸が身構えると、相手は静かに口を開いた。
「戦う気はない。ただ、様子を見に来ただけだ」
低く、抑揚の少ない声だった。陸は油断なく、相手を観察する。敵意は、感じない。だが、何かただならぬ気配だけは、確かにあった。
「様子を見に、って。あんたも、あの黒服たちの仲間か」
相手は、それには直接答えなかった。ただ、じっと陸を見つめている。
その視線に、陸は妙な既視感を覚えた。どこかで、会ったことがあるような──だが、どうしても思い出せない、そんな感覚だった。
「陸っ……!」
巡が、突然、声を上げた。その顔は、驚愕に強張っている。
「陸、あの人……!」
「めぐ、どうした」
「あの人、知ってる!」
巡の声には、迷いがなかった。陸は困惑した。
(……知ってる? めぐが、あいつを?)
自分にはまるで心当たりがない。だが巡の様子は、とても勘違いや思い違いには見えなかった。
胸の奥で、オロチの頭たちが、一斉にざわめき始めていた。牙の頭が、明確な警戒の唸りを上げる。一方で、癒の頭は、なぜか静かに、様子を窺うような気配を見せていた。
そして──いつもは沈黙している奥底の何かが、わずかに、揺れた気がした。
「お前……」
陸は、思わず一歩、前に出た。
「何者だ」
相手は、少しの沈黙の後、静かに答えた。
「名乗るほどの者じゃない」
そう言うと、相手はゆっくりと踵を返した。
「待て!」
「今日は、これで失礼する」
引き止めようとした陸だったが、相手の姿は、まるで最初から霧か何かだったかのように、あっという間に闇の中へと溶けて消えてしまった。
「……逃げられた」
陸は、拳を強く握りしめた。
「巡、さっき"知ってる"って言ったよな。あれは、どういう意味だ」
巡は、まだ動揺した様子で、俯いていた。
「昔……ずっと昔、会ったことある。多分、陸も一緒だった」
「俺も?」
「うん。でも、いつの話か、どこでだったか……そこは、うまく思い出せない」
「大事な、誰か……」
陸には、心当たりがなかった。だが巡の言葉には、嘘や誇張が感じられなかった。
「めぐ、もっと思い出せそうか」
「ごめん……ちゃんと覚えてるはずなのに、靄がかかったみたいで」
巡は、悔しそうに首を振った。陸はその頭を、優しく撫でた。
「無理しなくていい。焦らず、思い出せたら教えてくれ」
「うん……」
二人が姿を消した後、少し離れた場所で、玲は一人、暗闇の中に立っていた。
胸の奥に、説明のつかない感覚が、まだ渦巻いている。
(あの気配……)
自分の中で、九尾の因子が、明らかに何かに反応していた。それも、これまでにない強さで。
「──何なんだ、あいつは」
呟いた声は、自分でも驚くほど、震えていた。
夜の帳の向こうに消えていった、あの背中。理由は分からないが、玲はその姿を、どうしても目に焼き付けずにはいられなかった。
(第13話へ続く)




