天上カリー
そもそも、元の世界でも『風呂なしアパート』は安かったしな。
そうか、風呂って贅沢だったのか。
「それよりお主、この白い石造りの四角い家はなんじゃ? 継ぎ目も見当たらん、ドワーフの技でもこうは見事には……」
ドワーフ……?
いや待て待て。
フェンリルに、ドワーフだと?
はあ!? ここは、異世界なのか――!?
やっぱり俺は死に際で……。
――どっちでもいい。結局、腹が減ることに変わりはない。
俺は、おじさんを部屋に案内した。
「靴は、ここで脱いでください」
「脱ぐ!? 室内で履き物を脱ぐのか? まさか……ここが聖域である証か!」
「いや、掃除が面倒なだけです」
「ほうほう……ほうほうほうほう……」
靴を脱いで部屋に上がってもらい、玄関脇の風呂場に案内すると、おじさん――ドワーフ……どっちにしろおじさんか――は、フローリングの床を、まるで希少な鏡面木材でも見るかのように這いつくばって、その隅々を凝視し始めた。
「なんと――! なんと――!!」
風呂場の折れ戸――その曇りガラスを見て、おじさんは震えている。
「で、これでお湯が出ます。それと、これは石鹸で、これは――」
「おおおおおおおお!!」
お湯が出るだけでこれだと、たぶんトイレを見たら、おじさんショックで死ぬんじゃ……。
「それでは、ごゆっくり~……」
戸を閉める。
直後、浴室から
「ぎゃああああ! 泡が! 泡が無限に湧いてくる! 精霊の祝福じゃああああ!」
という絶叫が聞こえてきた。
石鹸も、この世界では貴重品なのだろうな。
適量に使ってくれているだろうか。消耗品なんだ。
俺はため息をつきながら、ガスコンロに再び火を点け、カレーの鍋をかき混ぜた。
暫くして、風呂を出たおじさんに、ドライヤーの使い方を教える。
「これは――!! 風の精霊を宿しておるのか!?」
いや、家電量販店で買った三千円のやつ。
「この服を着てください。服は洗っておくので」
Tシャツと、スウェットのズボンを渡す。
「なんだ。この肌触りは。貴族の寝巻きか……。編み目が……まるで見えん。この糸……均一すぎる。手紡ぎではありえん。織り機か? いや……この細さは神の指先でも不可能じゃぞ!」
近所の洋品店で、二組セットで3千8百円だったやつだが――おじさんにとっては伝説の聖遺物だったらしい。
風呂から上がったおじさんの髪と髭は、ボディーソープとシャンプーとコンディショナーとドライヤーで、見違えるほど、ふわっっっふわになった。
すっかり綺麗になったおじさんを、ダイニングに案内する。
そこへ、窓から顔を突っ込んだハクが、鼻先をスリスリと寄せた。
「ぬおっ!? な、なんじゃ貴様! またわしを喰おうというのか!?」
「おじさんいい匂いー。お花畑の匂いするー」
「やめんか!!」
どうやらハクは、石鹸の香りに包まれたおじさんに、すっかり懐いたようだ。
ダイニング――といっても、カウンターキッチンに椅子を置いただけだが。
そこに座ってもらう。
そして、炊き立てのご飯にカレーをかけた皿を、おじさんの目の前に置いた。
「これが……あの黄金の香気の元――なんじゃ、この料理は。それに、この皿……木でも石でもない。陶器か? おまけにこのスプーンは……銀? こんな食器、貴族しか持てんぞ」
いや、百均で買った皿とスプーンです。締めて二百円プラス消費税の。
揺れを感知したらロックが掛かる棚戸のおかげで、食器類もほぼ無傷だった。
おじさんは、恐る恐るの雰囲気で、カレーを一口食べた。
「……カッ!!」
おじさんの目が見開かれ、スプーンを持つ手が小刻みに震えだした。
「な、なんじゃ。これは。辛い……だが、甘い……いや、違う……。舌の上で、数千の薬草が踊っておるのか……?」
「旨いだろ?」
「旨いなどという言葉では足りん」
おじさんは、震えながらこう言った。
「これは――新たなる文明じゃ」
愕然とした表情。
「お主……」
「はい?」
「この料理を売れば」
「売れば?」
「王都が落ちるぞ」
おじさんは、冗談ではなく本気の顔をしていた。
そんな。
大袈裟な。




