第5話 モーセ、ナイルから拾われて神に呼ばれる
いよいよモーセ登場です。
川から拾われ、宮殿で育ち、人を殺して逃げ、八十歳で神に呼ばれます。
人生、いつ本編が始まるかわかったものではありません。
時は流れた。
ヨセフを知らないファラオが立った。
エジプトにいたヤコブの子孫——ヘブライ人——は増えすぎていた。
「この民は数が多い。戦争になったら敵側についてしまうかもしれない」
ファラオはヘブライ人を奴隷にした。
彼らは煉瓦を作り、ピトムとラメセスという貯蔵都市を建てた。
だが苦しめるほど増えた。
ファラオは次の手を打った。
「ヘブライ人の産婆よ、男の子が生まれたら殺せ」
産婆たちは神を恐れて従わなかった。
「なぜ殺さないのか」
「ヘブライ人の女は丈夫で、産婆が来る前に産んでしまうんです」
——嘘をついた産婆たちを神は祝福した。
ファラオは命令を全国民に出した。「ヘブライ人の男の子はすべてナイル川に投げ込め」
そんな時代に一人の男の子が生まれた。
母は三か月隠したが、隠せなくなり——葦のかごに入れて、ナイル川のほとりの葦の茂みに置いた。
姉が遠くから見ていた。
ファラオの娘が水浴びにきた。かごを見つけた。
泣いている赤ちゃんを見て「かわいそう、ヘブライ人の子ね」と言いながらも——
拾い上げた。
姉が駆け寄った。「乳母を呼んできましょうか」
「そうして」
姉は実の母を連れてきた。
「この子を育ててくれ。賃金を払う」
実の母が賃金をもらって実の子を育てることになった。
子が大きくなってから——
ファラオの娘のもとに連れていかれ、息子となった。
名前をモーセとした。「水からすくい上げた」という意味。
モーセは宮殿で育ったが、自分の出自を知っていた。
ある日、ヘブライ人の同胞がエジプト人に打たれているのを見た。
周囲を確認した。誰もいない。
エジプト人を殺し、砂に埋めた。
翌日、ヘブライ人同士が争っているのを見て仲裁しようとした。
「なぜ同胞を打つのか」
「誰がお前を指導者や裁判官にしたのか。エジプト人を殺したように俺も殺すつもりか?」
バレていた。
ファラオも知った。モーセを殺そうとした。
モーセは逃げた。ミデアン地方へ。
そこで井戸のそばで腰を下ろしていると——ミデアンの祭司レウエル(イテロ)の七人の娘が羊の群れを連れてきた。ほかの羊飼いたちが彼女たちを追い払おうとした。
モーセは立ちあがって助けた。
娘たちが帰ると父が言った。「なぜ今日は早いのか」
「エジプト人が助けてくれて、水を汲んでくれた」
「なぜ置いてきた! 呼んで来い!」
こうしてモーセはミデアンに住み、娘チポラと結婚した。
牧者として四十年が過ぎた。
エジプトの宮殿で育ち、殺人を犯し、砂漠に逃げて牧者になって四十年。
神は遅い。
だが神が選ぶのは「準備が整った人」ではなく、「神が使う時が来た人」だ。
モーセが八十歳になった頃——
ホレブ山の近くで羊を追っていると。
柴が燃えていた。
だが燃え尽きない。
「なんだろう」と近づくと——
「モーセ、モーセ!」
「はい、ここにいます」
「近づいてはならない。サンダルを脱げ。あなたが立っている場所は聖なる地だ」
「わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神だ」
モーセは顔を隠した。神を見るのが恐ろしかった。
「わたしはエジプトにいる民の苦しみを見た。その叫びを聞いた。わたしは彼らを救い出し、良い広い地カナンへ連れ上るために降りてきた。今行け。ファラオのもとに行き、民をエジプトから連れ出せ」
モーセは言った。
「わたしは何者なのでしょう。ファラオのもとに行けるでしょうか」
「わたしがともにいる」
「でも民がわたしに『その神の名は』と聞いたら何と言えば?」
「わたしはある。わたしはあるという者だ。」
有名な神の自己紹介——「わたしはある(YHWH:ヤハウェ)」。
神の名を表すヘブライ語の四文字(YHWH)は、後に「読み方がわからなくなる」ほど畏れられ、神の名は声に出して読まれなくなる。「主」と読み替えられ、英語では「LORD」と表記される。
モーセはなおも渋った。
「民が信じないかもしれない」
「何を持っているか」
「杖です」
「地に投げよ」
投げると蛇になった。
「しっぽを掴め」
掴むと杖に戻った。
「これが証拠だ。次に手をふところに入れよ」
入れて出すと、雪のように白い(癩病になった)。
「もう一度入れよ」
入れて出すと元に戻った。
「それでも信じないなら、ナイルの水を地に注げ。血になる」
モーセは言った。
「ですが、わたしは弁が立ちません。昔からそうです。言葉が重く、舌が重いのです」
神は言った(そろそろ苛立っている)。
「誰が人間に口を与えたのか。わたしが行く先を教え、言葉を授ける」
それでもモーセは言った。「どうか、誰かほかの人を遣わしてください」
神の怒りが燃え上がった。
「兄のアロンがいる。弁が立つ。彼をお前の代わりにしゃべらせる。行け」
——散々渋ってから結局行く男。それがモーセだ。
しかし考えてみれば、エジプトで人を殺した逃亡犯で、四十年砂漠で羊を追ってきた八十歳の老人が「ファラオのもとに行って百万人の奴隷を解放してこい」と言われたら誰でも渋る。
むしろ渋るほうが正常だ。
この「自分には無理だ」という率直さが、モーセというキャラクターの人間的な魅力だ。




