第16話 ダビデ、追われる者から王になる
ゴリアテを倒した少年は、英雄になりました。
ただし英雄になると、王に嫉妬されて命を狙われます。
出世とは何か。だいたい面倒の別名です。
第四章 ~ ダビデとサウル ~ 追う者と逃げる者 ~
「ダビデが一万を討った」
その歌が聞こえるたびに、サウルの心の中で何かが歪んでいった。
「もう足りないのはダビデの王位だけだ」
翌日、悪い霊がサウルを苦しめた。ダビデが竪琴を弾いていた。
サウルは突然、手に持っていた槍をダビデに向けて投げた。
「壁に縫い付けてやる」
ダビデはかわした。
また投げた。またかわした。
二回槍を投げた男の宮殿で、ダビデはまだ仕えていた。人間というのは強い。
だがやがてサウルは本格的にダビデを殺そうとし始めた。
ダビデは逃げた。
そこから長い逃亡生活が始まる。
サウルはダビデを追い続けた。ダビデは荒野を逃げ続けた。
洞窟に隠れた。山を移った。時にはペリシテ人の土地に逃げ込んだりもした。
ある夜、ダビデは洞窟の奥に隠れていた。
追ってくるサウルが、まさにその洞窟に入ってきた。
用を足しに来たのだ。
洞窟の奥で息を潜めながら、部下たちがダビデにそっと言った。
「今です! 神がチャンスをくださった!」
ダビデはそっと近づき、サウルの上着の端を切り取った。
それだけだ。
部下たちは「もっとやれ」という顔をしたかもしれない。
ダビデは引き返しながら言った。
「神に選ばれた王に手を下すことは、わたしにはできない」
サウルが出て行った後、ダビデは洞窟の入り口から叫んだ。
「王様!」
サウルが振り返った。
ダビデはひれ伏し、切り取った上着の端を高く掲げた。
「見てください。今、あなたを殺すことができました。でもわたしはしなかった。わたしはあなたに逆らおうとしていない。なぜわたしを追うのですか」
サウルは泣いた。
「お前はわたしよりも正しい。わたしはお前を苦しめたのに、お前はわたしに良いことをした。……お前が王になることはわかっている。約束してくれ。わたしの子孫を滅ぼさないと」
「約束します」
こんな場面が、旧約聖書には何度も出てくる。
追われながら恨まない。殺せる時に殺さない。
ダビデが後の世まで「神の心にかなった人」と呼ばれる理由は、ゴリアテを倒したことより、この場面にある気がする。
第五章 ~ ダビデ王 ~ 栄光と、最大の失敗 ~
サウルが戦死し、ダビデは王になった。
三十歳の時だ。
ダビデはエルサレムを都とした。神の契約の箱を運び込んだ。踊りながら。
妻のひとりミカルが窓から見て、「王様が踊るなんて恥ずかしい」と思った。
ダビデは言った。
「神の前で踊ることのどこが恥ずかしい。神はサウルではなくわたしを選んだ。神の前ではもっと身を低くする」
ダビデ王の治世は輝いていた。
戦に勝ち続けた。民は繁栄した。ダビデは詩を書き、賛美の歌を歌った。今日でも世界中で歌われる詩篇の多くは、ダビデが書いたと言われている。
そんなダビデが、ある夕方に人生最大の失敗をした。
屋上を歩いていると、向かいで入浴している女性が目に入った。
美しかった。
「あの女は誰だ」
「ウリヤという兵士の妻で、バテシバという名です」
「連れてこい」
バテシバを呼んで関係を持った。
しばらくして、バテシバから知らせが届いた。
「子ができました」
ダビデは焦った。
夫ウリヤは今、戦場にいる。妻が身ごもれば発覚する。
ダビデはウリヤを戦場から呼び戻し、家に帰らせようとした。
「家に帰って妻と過ごせ」
ウリヤは家に帰らなかった。
神殿の入り口で寝た。
翌日ダビデが呼んで「なぜ家に帰らなかった」と聞くと、ウリヤは答えた。
「神の契約の箱も、イスラエルもユダも野営しているのに、なぜわたしだけが家に帰って飲み食いし、妻と過ごせましょうか。そんなことはできません」
まっとうな人間ほど、追い詰めた者を深く刺す。
ダビデは手紙を書いて、ウリヤ自身に戦場の将軍のもとへ届けさせた。
手紙の内容は「ウリヤを激しい戦いの前に出し、退いて彼が打たれて死ぬようにせよ」だった。
ウリヤは自分の死刑命令を、自ら運んだ。
命令通りになった。ウリヤは死んだ。
ダビデはバテシバを妻に迎えた。
神はこれを見た。
しばらくして、預言者ナタンがダビデのもとに来た。
「王様、一つ話があります」
「言え」
「ある町に二人の男がいました。一人は金持ちで羊や牛をたくさん持っていました。もう一人は貧しくて、小さな雌の子羊を一匹だけ大切に育てていました。その子羊は家族と一緒に育ち、食べ物を分け合い、胸に抱いて眠るほどかわいがっていました。ある日、金持ちの男に旅人が来ました。自分の羊を使いたくなかった金持ちは、その貧しい男の子羊を奪って料理しました」
ダビデは怒りが燃え上がった。
「その男は死刑だ! 子羊を四倍にして返せ!」
ナタンは静かに言った。
「その男は、あなたです」
沈黙が落ちた。
「神はあなたにすべてを与えた。それでも足りなかったのか。ウリヤの妻を奪い、ウリヤを剣で殺した」
ダビデは言った。
「……わたしは神に罪を犯した」
言い訳をしなかった。
サウルはいつも言い訳をした。ダビデは言い訳をしなかった。
この違いが、二人の運命を分けた。
ダビデには重い罰が下った。生まれた子は死んだ。家族の中で争いが起き、息子が反乱を起こし、一時は都を追われた。
しかしダビデの王国は続いた。
神はダビデと「永遠の契約」を結んだ。「ダビデの家系から王が絶えない」という約束だ。
この約束が、旧約聖書の後半全体を貫く光になる。




