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第10話 モーセの最期と、ヨシュアの出発

四十年の旅を終え、モーセは約束の地を目前に退場します。

そしてヨシュアがカナンへ踏み込みます。

世代交代です。人類には珍しく、今回はちゃんと引き継ぎます。


第五章 ~ モーセ、最後の語り ~


四十年が過ぎた。


カナンの入り口まで来た。


モーセは百二十歳になっていた。


岩を叩いたことで、彼はカナンに入れない。それはずっと前に決まっていた。


だからモーセは語り始めた。


旅の始まりから今日までを振り返り、神の教えをもう一度整理して、この民に手渡す。


それが申命記だ。申命とは「命令を繰り返す」という意味で、四十年の旅路で学んだことをまとめた言わば「モーセの遺書」だ。


モーセは語った。


「神があなたたちを愛し、選んだのは、他の民族より数が多かったからではない。あなたたちは最も少ない民だった。ただ神があなたたちを愛し、先祖への約束を守ったのだ」


モーセは語った。


「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい」


これが旧約最大の戒め、「シェマ」と呼ばれる言葉だ。ユダヤ教の礼拝で今も毎日唱えられる。後にイエスも「律法の中で最大の戒めは」と聞かれたとき、この言葉を引いて答えている。


モーセは語った。


「わたしは今日、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。命を選びなさい」


語り続けたモーセに、神が言った。


「ネボ山に上りなさい。カナンの地を眺めなさい。そしてあなたは死ぬ」


モーセはネボ山に登った。


神は山の頂から、カナン全土をモーセに見せた。


「これがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地だ。あなたの目に見せた。しかし渡ることはできない」


モーセはそこで死んだ。百二十歳。目は衰えず、気力もなえていなかった。


神はモアブの地のある谷にモーセを葬った。


誰もその墓の場所を知らない。


申命記の最後にはこう書かれている。


「イスラエルには、モーセのような預言者はその後現れなかった。神が顔と顔を合わせて語り合った者は、モーセをおいて他にいない」


四十年間、民に怒鳴られ続け、神と民の間で板挟みになり続けた男。


約束の地を目で見て、踏み込めずに死んだ男。


旧約聖書で最も人間らしく、最も偉大な指導者が、ここで幕を引く。


第六章 ~ ヨシュア、カナンへ踏み込む ~


モーセの後継者はヨシュアだ。


四十年前の偵察隊で、「神についていこう」と言った男だ。あの時、石を投げつけようとする民の前で、それを言い続けた男だ。


神はヨシュアに最初の言葉をかけた。


「強く、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたがどこへ行っても、あなたの神がともにいる」


ヨシュアは民に告げた。


「三日後に渡河する。準備をせよ」


まずは偵察として二人の男を、カナン最大の要塞都市エリコに送り込んだ。


二人は町に入り、ラハブという女性の家に宿を取った。


その夜、エリコの王のもとに密告が入った。


「ヘブライ人のスパイが来ている」


王の使者がラハブの家に来た。


「この家にスパイが入ったと聞いた。出せ」


ラハブは落ち着いた顔で言った。


「確かに男たちが来ましたよ。でもどこから来たかなんて知りません。夜が暗くなって門が閉まる前に出て行きました。急いで追いかければ追いつくんじゃないですか」


嘘だ。二人は屋根の上に隠してある。


使者が去ると、ラハブは屋根に上がってスパイたちに言った。


「正直に言います。ここの住人はみんなあなたたちを怖がっています。紅海を割った話も、荒野で戦に勝った話も、全部聞いています。あなたたちの神こそ、本物の神だとわかっています。だから約束してください。あなたたちが来るとき、わたしの父と母、兄弟姉妹とその家族を守ってください」


スパイたちは言った。


「命がけで誓います。ただし、この窓から赤い綱を結んでおいてください。家族全員をここに集めておいてください。その家の者は必ず守ります」


ラハブは窓から綱を垂らして二人を逃がした。


そして赤い綱を窓に結んだまま、その日が来るのを待った。


このラハブという女性は外国人だ。ヘブライ人でもない。それでも神を信じ、スパイを守り、やがてイスラエルの民の一員になる。


後世の系譜を調べると、彼女の子孫の中にダビデ王が、そしてさらに後の時代に、ある重要な人物の名前が出てくる。しかしそれは新約の話だ。


第七章 ~ ヨルダン川を渡る ~


三日後、ヨシュアはヨルダン川の前に全員を集めた。


「神の契約の箱を担いだ祭司たちが先に川に入れ」


今は麦刈りの季節で、ヨルダン川は増水していた。岸いっぱいまで水が溢れている。


祭司たちの足が川に触れた瞬間、上流から流れてきていた水が止まった。


ぴたりと。


民は乾いた川底を歩いて渡った。


百万人規模の民族が、川を歩いて渡りきるまで、祭司たちは川の中に立ち続けた。


全員が渡りきった後、祭司たちが上がると水が戻ってきた。


川は元の勢いで流れ始めた。


ヨシュアは各部族の代表に命じて、川底から十二個の石を運ばせ、川を渡ったところに積み上げさせた。


「将来、子どもたちが『この石は何ですか』と聞いたとき、答えなさい。ヨルダン川が止まって渡ることができた、その記念だと」


歴史を物語として語り継ぐ。それが聖書の文化だ。


こうして四十年越しに、ヘブライ人の民はカナンの地に足を踏み入れた。


第八章 ~ エリコの城壁が崩れた日 ~


最初の敵はエリコだ。


堅固な城壁に囲まれた要塞都市。攻め落とすには普通なら長い包囲戦か、巨大な攻城兵器が必要になる。


ヨシュアが神から受け取った作戦はこうだった。


「六日間、全軍でエリコの周りを一周しなさい。七人の祭司が角笛を持って、契約の箱の前を行きなさい。七日目は七回まわりなさい。祭司が角笛を長く吹き鳴らした時、民は大声で叫びなさい。城壁は崩れ落ちる」


……歩くだけだ。


ヨシュアは作戦を民に伝えた。そして付け加えた。


「叫ぶまで声を出してはならない。わたしが叫べと言うまで、一言も口にするな」


一日目。全軍がエリコの周りを粛々と一周して、宿営に帰った。


エリコの城壁の上から、兵士たちが見ていた。


「……何をしているんだ、あいつら」


「さあ。とりあえず歩いて帰った」


二日目。また一周して帰った。


三日目。また一周。


四日目。また一周。


五日目。また一周。


六日目。また一周。


エリコの兵士たちの困惑は、どれほどのものだったか。


七日目。夜明けとともに出発して、七回まわった。


七回目を終えたとき、祭司たちが角笛を長く吹き鳴らした。


ヨシュアが叫んだ。


「叫べ! 神がこの町を我々に与えてくださった!」


民が叫んだ。


地鳴りのような声が城壁を包んだ。


城壁が崩れ落ちた。


全軍が一斉に突入した。


ただし一か所だけ崩れなかった場所がある。


赤い綱が結んであった窓のある家の部分だ。


ラハブと彼女の家族は、約束通り守られた。


エリコは制圧された。


「歌って歩いていたら城壁が崩れた」という話は一見ファンタジーに聞こえる。


しかし考えてみてほしい。六日間、何万人もの軍が毎日自分たちの城を無言でぐるぐる歩いている。それを見せられる城の中の兵士の心理は、どんなものか。


何をしてくるかわからない恐怖というのは、時に城壁よりも強固な防衛を突き崩す。


エリコが落ちた後、ヨシュアはカナン征服を続けた。


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