9_血塗られた系譜
「レ、レインハルト……さま……?」
わたしがその名を呼んだ瞬間、彼は深々と、重苦しい溜息を吐く。
次の瞬間、彼の黄金の瞳がゆらりと禍々しいまでの金色に発光しました。
周囲の圧力が急上昇し、空気が震え、枯れ葉がパチパチと音を立てて爆ぜる。
「……はぁ…無事で良かった。…あんなに忠告したのに…まさか僕以外の男に、その香りを振りまくために逃げ出したのかい?」
声は静かなのに、怒りだけが刃のように研ぎ澄まされていました。
彼の周囲で魔力が渦を巻き、街灯の火が一瞬、怯えたように揺らぐ。
「だ、誰だよアンタ……っ!」
男のひとりが虚勢を張った瞬間。
レインハルト様は指先を僅かに払っただけでした。
――ドン、と。
衝撃が空気を押し潰し、男たちは悲鳴を上げる間もなく路地の外へ弾き飛ばされました。
ドン!バンッ、ベシャアッ!!
壁に叩きつけられ、転がり、呻き声を漏らしながら動きを止める。
ガタガタゴトゴトと凄まじい衝撃に路地の壁がひび割れ、凄惨な音が夜の静寂を切り裂いていく。
「ひ……っ!」
背筋を凍りつかせ、震えるわたしの前に、レインハルト様がゆっくりと歩み寄ってきました。
彼の一歩ごとに石畳が凍りつき、魔圧で空気が重く軋み、ミシミシと嫌な音を立ててひび割れていく。
「…ふ、素晴らしく甘く、果実のような香りじゃないか、シャルロット?」
レインハルト様はわずかに口の端を上げ、目を細めながら吐き出すようにこぼしました。
彼は、ガタガタと震えるわたしの顎を強引に掬い上げた。
その指先は、以前の冷たさとは対照的に、火傷しそうなほど熱い。
「僕が、どれほどの思いで……君を壊さないよう、自分を殺して耐えてきたか。……それを君は、こんな場所で、こんな連中に………」
「あ……ぅ、ちが、……ちがいます……っ」
「いいや、違わない。……もう、僕の負けだよ、シャルロット。君の勝ちだ」
彼は狂気すら孕んだ、けれどどこか酷く悲しげな微笑を浮かべました。
その言葉の「勝ち」が何を意味するのか、わたしには理解できませんでした。
ただ、彼の声が――崩れそうで。
怒りの奥にあるものが、あまりに切実で。
レインハルト様は一歩、距離を詰め、乱れたわたしの髪を撫でました。
その仕草だけは、ひどく優しい。
なのに瞳だけが、昏い光を宿したまま。
「―さあ、そろそろ自覚する頃合いだ」
「な、何を……」
禍々しいまでに発光する彼の黄金の瞳が、見たこともないほどに激しく揺らぎ、昏い愉悦と苦悩に濁っていました。
――怖い。
けれど、それ以上にわたしの身体の奥が……彼を求めていた。
レインハルト様は苦しげに眉を寄せ、こめかみに指を当てました。
まるで頭の中で暴れる何かを押さえ込むように。
「……っ、はぁ、はぁ……っ、う、ぐ……。……淫魔の末裔の血を引く、二百年ぶりに生まれたエリュシオン家の子女よ」
その一言で、胸の奥が凍りつきました。
「……うそ……」
「嘘じゃない。……本来なら、伝承通りなら……僕は君を、殺さなければならない」
「っ……!?レ、レインハルトさま……や、やめて……何を、言ってらっしゃるの……っ」
恐怖が喉を塞ぎ、息が詰まる。
けれど――彼の声は、断罪者のそれではありませんでした。
むしろ、泣き出しそうに歪んでいる。
「先代のリリスは、その色香で国ひとつを滅ぼした。……その亡国を吸収して、我が国は大陸一の国土を誇るようになったんだ。……ふっ、戦争のことは授業でも習ったろう?もっとも、傾国の理由が一人の女だったなどとは、教科書に載るはずもないが……」
「…そ、そんな……知らない…、知らなかったわ………。わたしが、その、末裔なのですか……っ…」
「…………シャルロット……、僕は………」
初めて聞く、血塗られた一族の真実。
あんなに毎日毎日古文書を読みふけっていたのは、この事実を突き止めるためだったのだ。




