26_逃げ場のない夜 レインハルトside
深夜。
分厚い防護の結界に守られた別館の主寝室には、規則正しく穏やかな寝息だけが満ちていた。
豪奢な天蓋ベッドの乱れたシーツの中で、僕の愛しい妻、シャルロットは深い眠りに落ちている。
優しく、そして狂おしいほどに愛を交わし合った後の、甘く濃厚な余韻が部屋の空気を蕩けさせていた。
妊娠中で「理性を破壊する誘惑の香り」は発現しないはずなのに、彼女の熟れた果実のような蠱惑的な香りが、僕の鼻腔をくすぐり、満たされたはずの脳髄を再び甘く痺れさせる。
僕の精気と魔力を一滴残らず啜り尽くすかのように、彼女の内部は僕を受け入れるたびに熱く、絡みつくように変容していく。
その底知れぬ快楽に溺れ、魂の欠片すら削りながら彼女を満たす行為は、僕にとって至上の悦びであり、唯一の救済だった。
「……シャル」
僕はベッドの傍らに横たわったまま、まどろむ彼女の薄紫の髪を指先でそっと梳いた。
白い陶器のようになめらかな肌には、僕が執拗に刻み込んだ赤い痕がいくつも花開いている。
その愛らしい痕跡をなぞるように、僕は彼女の閉ざされた薄い瞼に、そして華奢でなだらかな肩のラインに、何度となく静かなキスを落としていった。
ちゅ、という小さな水音が響くたび、彼女は心地よさそうに身をよじり、僕の体温を求めてすり寄ってくる。
その無防備で愛らしい仕草に、胸の奥が締め付けられるほど愛おしさが込み上げた。
視線を下げると、彼女の純白の柔肌の中で、ほんの少しだけふっくらと丸みを帯び始めた腹部が目に入る。
そこに宿っているのは、僕と彼女の五人目となる結晶だ。
僕の証が彼女を満たし、こうして新たな命として根を下ろしている。
彼女の身体を僕の血肉で内側から作り替え、完全に僕の色で染め上げているという事実は、男としての、そして一人の雄としてのどす黒い征服欲をこれ以上ないほどに満たしてくれた。
「君は、永遠に僕のものだ……」
少しだけ膨らみかけたその腹部に唇を押し当てると、僕は深い陶酔の吐息を漏らした。
永遠にこの甘い檻の中に閉じこもり、彼女の肌の温もりだけを感じて生きていきたい。
しかし、そんな至福のひと時に、結界の表面を撫でるような微かな空気の揺れを感じ取った。
僕はゆっくりと身体を起こし、シャルロットの肩までしっかりと掛け布団を直してから、ベッドを降りた。
漆黒のシルクのガウンを羽織り、寝室の重厚な扉を音もなく開ける。
廊下には、女性の立ち入りしか許されていない別館を取り仕切る、古くからの年配の侍女が息を潜めて立っていた。
彼女は僕の姿を見るなり、深く、恭しく頭を下げた。
「……夜分遅くに申し訳ございません、閣下」
「構わない。報告を聞こう」
僕の声は、先ほどまでベッドで妻に向けていた甘いものとは打って変わり、一切の温度を持たない冷徹なものへと切り替わっていた。
「はっ。先ほど、本館の影の者たちより連絡がございました。対象の女、レオノーラ・ハーゼンと、その周辺で暗躍していたスパイの男二名の捕縛を完了したとのことです」
侍女は声を潜め、淡々と事実だけを告げる。
「手筈通り、本館地下の尋問室へ連行し、拘束を済ませております」
「ご苦労。もう休んでいい。あとは僕が処理する」
「御意に」
侍女は一礼し、影のように廊下の奥へと消えていった。
僕は寝室の扉を背に、ゆっくりと歩き出した。
別館から本館へと続く渡り廊下を抜け、地下へと続く隠し階段を下りていく。
一歩、また一歩と階段を下るたびに、空気は冷たく、湿り気を帯びていった。
壁に掛けられた魔力灯の青白い光が、石造りの冷たい廊下を不気味に照らし出している。
妻の甘い匂いに満ちたあの温かい寝室から、絶望の匂いが染み付いたこの場所への落差。
僕の中の温度は完全に氷点下まで下がり切り、黄金の瞳は底なしの闇夜のように昏く濁っていた。
あの愚かな羽虫ども。
僕のシャルロットを泣かせ、恐怖を与え、そしてあの美しい真珠色のドレスを汚した罪。
何より、僕の「黄金の檻」に土足で踏み込もうとしたその傲慢さ。
死よりも重い絶望をもって、その対価を支払わせなければならない。
重厚な鉄の扉の前に立ち、僕は静かに防音の魔法を解いた。
ギィィ……と、錆びた蝶番が耳障りな音を立てて開き、僕は尋問室の中へと足を踏み入れた。
そこは、窓一つない冷たい石造りの空間だった。
部屋の奥の壁には、太い鉄の鎖と手枷で両腕を吊るし上げられた、三人の男女の姿があった。
先日僕を誘惑しようとした、あの金髪の元メイド、レオノーラ。
そして、王宮の庭園でワイン樽を意図的にぶちまけた、見覚えのある大柄な男と、陰気な顔つきの男。
三人とも猿ぐつわを深く噛まされ、ボロボロになった衣服の隙間からは、恐怖に震える青ざめた肌が覗いていた。
僕の足音に気づいた彼らは、一斉に顔を上げ、その瞳に限界まで絶望の光を浮かべた。
「むっ! むーっ!!」
「んんっ、んぅぅぅっ!!」
猿ぐつわのせいで言葉にならない悲鳴が、湿った石壁に反響する。
レオノーラの、男を誘惑するためだけに磨き上げられたであろう美しい顔は、今は涙と鼻水で醜く歪み、僕を見るなり狂ったように首を振って命乞いをしているようだった。
男二人も、僕から放たれる圧倒的な魔力のプレッシャーに当てられ、鎖をガチャガチャと鳴らしながら無様に震え上がっている。
僕は彼らの惨めな姿を、路傍の汚物を眺めるような、徹底して冷酷な目で見据えた。
室内の空気が、僕の殺気と怒りに呼応してチリチリと凍てついていく。
僕はゆっくりと彼らの前へと歩み寄った。
「さて、君たちには罰を与えなければならない。理由は……分かっているね?」
僕の静かな、氷の刃のような宣告に、三人はビクッと大きく肩を跳ねさせた。
「ひぃっ、むぅぅぅぅっ!!」
「んっ、あ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」
「あぐううぅぅぅ!」
これからの自分たちに降りかかるであろう地獄を完全に理解したのか、彼らは猿ぐつわの奥から、喉が裂けんばかりの泣き叫びの声を上げた。
しかし、どれほど泣き叫ぼうとも、どれほど後悔の涙を流そうとも、この地下室からは一滴の音すら外の世界へは漏れない。
ここは、僕の怒りを鎮めるための、逃げ場のない処刑場なのだから。
僕は極上の微笑みを浮かべ、ゆっくりと右手の人差し指を彼らへ向けた。




